陸自前川原駐屯地 幹部候補生学校史料館   福岡/久留米


  • 三八式歩兵銃、四四式騎銃、十五年式村田銃、九九式小銃
  • 九二式重機関銃、十一年式軽機関銃、九八式軽機関銃
  • 八九式擲弾筒
  • 十四年式自動拳銃、南部式小型自動拳銃
    など

 


昭和16年設立の久留米第1陸軍予備士官学校のあったところ。
敗戦後は、昭和27年に警察予備隊総隊普通科学校を開設。
その後、普通科学校が富士に移転、幹部候補生学校が創設された。


三八式歩兵銃、四四式騎銃、十五年式村田銃

 

九二式重機関銃 八九式擲弾筒

 

十一年式軽機関銃 九八式軽機関銃

 

▲M1小銃 九九式小銃

 

十四年式自動拳銃 南部式小型自動拳銃

 


▲明治建軍以来の日本陸軍に関する資料、軍人の事跡などが展示されている。

 

▲小野田寛郎少尉が30年の間、携えていた軍刀と銃剣。

 

▲左の銃弾は三八式歩兵銃の実包。 右は小野田少尉の持っていた九九式小銃に使っていた銃弾。純正の実包が切れたため、口径の近い銃弾を加工して1発づつ装填したらしい。説明書きには「ウイルス式機銃弾(リングをつけて99式に使用)」とあった。
小野田寛郎少尉は、昭和19年にここ久留米第一予備士官学校を出て、陸軍中野学校二俣分校に入学、その後フィリピンに派遣された。

 


陸軍予備士官学校とは、下級将校の不足を補うために昭和14年に盛岡、豊橋、久留米に設置された。
中等学校以上で軍事教練を受け将校適任とみなされた甲種幹部候補生が派遣され入学、 盛岡(後に前橋に移転)では歩兵科、豊橋では歩兵科と砲兵科、久留米では輜重兵科の教育が行われた。
11ヶ月の教育を受け、 原隊に戻り見習士官(曹長)となり、その後満期除隊と同時に予備役少尉に任官、即日召集となった。

昭和15年8月に関東軍幹部候補生隊が奉天陸軍予備士官学校に改編され、翌年7月に久留米に移転、久留米第一陸軍予備士官学校となり歩兵及び砲兵の将校教育を行った。
従来の久留米陸軍予備士官学校は久留米第二陸軍予備士官学校と改称され輜重兵の教育を行った。

騎兵、重砲兵、工兵、高射兵、機甲兵、迫撃兵、通信兵などの幹部候補生は、 それぞれの実施学校内の幹部候補生隊に派遣された。


H22.12.21

 

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