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【駅メロものがたり】JR一ノ関駅「夕暮れ時はさびしそう」N.S.P

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 ■地域振興、母校・一関高専に託す

 JR一ノ関駅は、一関工業高等専門学校(岩手県一関市)で結成されたフォークグループ「N.S.P」(ニュー・サディスティック・ピンク)のヒット曲「夕暮れ時はさびしそう」(昭和49年)を3月20日から東北新幹線ホームの発車メロディーに採用した。初日は早朝から往年の女性ファンらが駅に集まり、「復活」を懐かしんだ。駅メロには、高専に地域振興を託す思いも込められており、元メンバーの平賀和人さん(65)は「僕らを覚えていてくれてうれしい」と話す。 (藤澤志穗子)

 「夕暮れ時-」は、平成17年に52歳で亡くなった元メンバー、天野滋さんが作詞作曲と歌を手がけた。一関市内を流れる磐井川の河川敷のベンチで、恋人と待ち合わせていた心象風景をつづった。

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 N.S.Pは天野さん、平賀さん、中村貴之さん(65)のメンバー3人が一関高専在学中の昭和48年、ヤマハのポピュラーソングコンテストでの受賞をきっかけにデビュー。卒業後、本格的に音楽の道を志そうと上京した時期に4枚目のシングルとして発表され、音楽チャートで11位まで上がった。

 天野さんが曲を最初にメンバーにギターで弾き語りしたときの反応は芳しくなかった。「『お経』みたいに聞こえて、僕も中村君もピンと来なかった」(平賀さん)。だがそれまでのシングル3枚の売れ行きが振るわず、4枚目の制作にあたって、天野さんが強硬に主張。オカリナと弦楽器によるアレンジが郷愁を誘う仕上がりになった。

 「『さびしくて』ではなく『さびしそう』と詞を書いたところが天野君らしい。東北ならではの温かさがある。ヒット後はコンサートで、若い女性ファンが急に増えた」と平賀さんは振り返る。

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 駅メロの発案は勝部修市長(68)=同左。「学生時代によく聞いた。メンバーが一関高専出身、磐井川が舞台との縁もあった」。音源制作は岩手放送出身の姉帯俊之さん(63)。「聞いた瞬間に岩手の田園風景や自然のイメージが広がるように、シンセサイザーでチェンバロに近い音も入れた」といい、平賀さんは「天野君も喜んでいるはず」と評価する。

 N.S.Pの活動は1980年代半ばに自然消滅。天野さんは音楽活動を続け、中村さんは会社員に、平賀さんはレコード会社のディレクターに転じた。平賀さんは、シンガー・ソングライターの平松愛理さんの「部屋とYシャツと私」などを手がけた。「天野君に曲や詞を頼んだこともありました」という。

 その後、N.S.Pは再結成し、平成17年2月にアルバムを発売、同3月に東京・渋谷公会堂(当時)で復活ライブを行った。だが天野さんは末期がんで左目がほとんど見えない状態だった。「演奏して歌う自分の姿を見せたかったのでしょう」と平賀さん。ほどなくして亡くなった。

 勝部市長は磐井川の河川敷に桜を植え、N.S.Pを記念する観光スポットとする案を温めている。

 「『夕暮れ時-』の歌詞に出てくるベンチや、楽譜を刻んだ記念碑を建てたい。天野さんの命日の7月1日にコンサートができたら」

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 【地元アーティストが彩る駅のメロディー JR一ノ関駅「夕暮れ時はさびしそう」】https://youtu.be/tYx5JqQqD3s

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