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森健兒
森健兒写真森 健兒(もり けんじ)
出身地:広島県

昭和35年3月慶應義塾大学経済学部卒業と同時にわが国有数の総合機械メーカーである三菱重工業株式会社に入社し、以降平成5年5月までの33年間、本社で営業、総務、広報に、名古屋航空機製作所で資材調達にそれぞれ従事、関連会社社長として宇宙ロケット開発の一環として、水素燃料製造に携わった。

上記業務の傍ら、同好会サッカー活動を通じて、わが国サッカーのレベル向上を図るべく企業内スポーツから住民主導の地域スポーツクラブへの転換に尽力した。
昭和40年の日本サッカーリーグ創設と三菱の同リーグへの参画、昭和50年オープンの三菱創業100年記念事業 (総事業費・32億5千万円)、地域総合スポーツクラブとしての三菱スポーツクラブの創設に参画4年間専従。

平成5年開幕のわが国初のプロリーグであるJリーグの創設には、三菱重工を退職しJリーグ専務理事として中心的な役割を果たした。
Jリーグ映像、フォト、エンタープライズなど、主催者(Jリーグ)、クラブ、選手の肖像権、放送権、商品化権、広告看板掲載権等々の諸権利の確保と管理のための会社の設立し、スポーツビジネスのシステム構築に尽力した。

平成8年に福島県双葉郡にオープンしたサッカー場12面を有するわが国最大級のナショナルトレーニングセンター(総工費130億円。福島県、東京電力、日本サッカー協会3社共同事業)の総合企画、施設建設及び運営、事業性の確保など全般にわたり指導性を発揮した。

平成10年には、(財)日本サッカー協会専務理事に就任、日本サッカー界の全体の運営に携わり、47都道府県サッカー協会、各種加盟団体を含めサッカー界全体の組織運営の活性化、意思疎通の円滑化を図った。これが、平成14年開催の日韓共催のFIFA2002ワールドカップの成功につながった。

平成11年には(財)日本体育協会理事に就任し、三菱重工、サッカー界での経験を、主として総合スポーツクラブ作り、スポーツビジネスを中心に広くスポーツ界に伝承することに努めた。
高坂知勝
高坂 知勝(たかさか ともかつ)

三菱重工にて石油関連プラント事業、宇宙関連事業に携わる。
その後世界で始めてのデジタル補聴器を世の中に出す。

座右の銘は“宇宙技術と街の発明家の融合”