2020年6月4日木曜日

フェルディナント・ブルックナーの戯曲『青春の病』(ストローブによる縮小編集版)の日本語訳(旧ブログより)

【2015年11月7日の記事を大幅に修正したものです】

 68年運動真っ只中のミュンヘンにおいて、ユイレとストローブが撮影した映画『花婿、女優、そしてヒモ』は、若きファスビンダーやハンナ・シグラが所属した劇団「アクション・テアター」の作品『青春の病(Krankheit der Jugend)』(ファスビンダーの戯曲『出稼ぎ野郎(Katzelmacher)』との二本立てで、1968年4月7日初演〔情報源はこちら〕)の記録としても大きな意味を持っている(ユイレとストローブによる記録は初演前の4月1日になされた〔情報源はこちら〕)

 演出を務めたストローブによって大胆に縮小編集されたフェルディナント・ブルックナー(Ferdinand Bruckner)の戯曲『青春の病』の日本語訳を、以下の5つの資料を参照しながら作成したので、『花婿、女優、そしてヒモ』を見る前に/見た後に、ご一読いただけたら幸いだ。

(1)フェルディナント・ブルックナー『青年の病気』(「現代世界戯曲選集 ドイツ篇」、白水社、1953年)
(2)Ferdinand Bruckner, PAINS OF YOUTH (Absolute Press, 1989)
(3)1968年10月号の『フィルム・クリティーク(Filmkritik)』に掲載された『花婿、女優、そしてヒモ』のシナリオの原文(ドイツ語)
(4)1969年夏号の『チーネマ・エ・フィルム(Cinema & Film)』に掲載された『花婿、女優、そしてヒモ』のシナリオのイタリア語訳
(5)『アンナ・マグダレーナ・バッハの年代記』のBlu-ray (Grasshopper Film) に所収されている『花婿、女優、そしてヒモ』の英語字幕(ユイレがベルナール・エイゼンシッツとともに作成したもの)

フェルディナント・ブルックナー
『青春の病』
(ジャン=マリー・ストローブによる縮小編集版)

登場人物

マリー  女子医学生。ペトレルの恋人だったが、ふられてしまう。デジレーとは単なる親友以上の関係。

デジレー  極めて優秀な女子医学生。伯爵令嬢。フレーダーの恋人。彼からもらったベロナールを飲み、自殺してしまう。

ルーシー  女子医学生の住む寮で働く女中。フレーダーに誘惑され、売春をさせられる。『花婿、女優、そしてヒモ』の中では、若きハンナ・シグラがこの役を演じている。

イレーネ  女子医学生。デジレーの才能に嫉妬している。マリーからペトレルを奪う。

フレーダー  デジレーの恋人。ルーシーに手を出し、彼女のヒモとなる。デジレーの死後は、マリーのヒモになるだろう。『花婿、女優、そしてヒモ』の中では、若きファスビンダーがこの役を演じている。

ペトレル  詩人。マリーのヒモだったが、イレーネに手を出し、彼女の恋人になる。

アルト  元公共病院の医者。子供を安楽死させた罪で、刑務所に入っていたという過去を持つ。デジレーやマリーのメンターをしている。

舞台

 1923年のウィーン。女子医学生たちの住む寮の一室。


第一幕

デジレー: どうしてこんなに早起きしてしまったのかしら?
マリー: すごく緊張してる?
デジレー: 今のところ何とも思っていないのだけれど。さて。空洞性の段階(訳注・原作では「段階(Phrase)」の語は「肺結核(Phthise)」となっている)は進行性の普通の段階と原則的に異ならない、というのも空洞の発生は乾酪化の過程の二次的な結果に過ぎないからである。
マリー: 空洞が発生する場所は?
デジレー: 最も古い発病の位置に、上葉に、そして亜頂端の部分に。より小さい空洞は比較的軽度の病気の拡張に際しても既に生じる。フレーダーが女中を追いかけまわしているの。
マリー: あのルーシーを?
デジレー: 彼女の部屋からこっそり出てくるのをつかまえたのよ。
マリー: なんて不潔な人。それで、あなたは?
デジレー: ああ、私。彼にはずいぶん前からうんざりしていたんだわ。
マリー: でも、あなたたちふたりとも、お互いに夢中だったじゃない。
デジレー: 昔はね。彼は私に証明することのできた最初の人だった…。凄腕よ。でも凄腕がいても、人はやがて物事に嫌気がさしてしまうものなのね。
マリー: 人はひとりの男の人を愛さなければいけないわ、でないといつだって、あっという間に物事に嫌気がさしてしまうものよ。
デジレー: どうして私たちは一生のあいだずっと子どものままでいられないのかしら? 
マリー: 私は現在に満足してるわ。続けましょう。より大きい空洞は?
デジレー: より大きい空洞は膿の貯蔵所の役割を果たすので予後を悪化する。
マリー: 症状は?
デジレー: 同時に見つかることはほとんどないが、空洞の症状として当てはまるのは、1.鼓のような打診音、2.金属音である。
マリー: 金属音はいつ?
デジレー: 空洞の壁がなめらかで張りがある時のみ。
ルーシー: (ドアをノックして、扉の背後から。)男の方が下で待ってますが。
マリー: 勘定書だわ。ブービー(訳注・後に登場するペトレルの愛称。1923年に出版されたエルゼ・ウリィの児童向け読み物『教授の双子ブービーとメーディー』に由来している)にロココ風の書き物机を贈ったの。彼ったらね、古風な書き物机の上だったら、もっと美しい作品がたくさん書けるかもしれないって言うのよ。
デジレー: あなたったらお馬鹿さんね。

 マリーとデジレーは別々の扉から去る。

マリー: (戻ってきて、大きな声で。)済んだわよ。

 フレーダー登場。

マリー: 何でしょう?
フレーダー: デジーのところに行かないといけないんです。向こうのドアが閉まってるので。
マリー: こっちのドアも閉まってますが。
フレーダー: え?

 フレーダーはマリーにキスしようとする。

マリー: 何をするんですか。
フレーダー: まずはイレーネちゃんに、可愛いブービーの件をおしまいにさせたらいかがですか。
マリー: イレーネ?

 デジレー登場。

フレーダー: 伯爵夫人におかれましては本日は試験でございますか?
デジレー: こんなに早くから酔っ払っているのね。
フレーダー: お前が俺を見捨てるからだ。
デジレー: 慰めてくれる人が、そう遠くない場所にいたじゃない。
フレーダー: 手を貸せよ。
マリー: (デジレーに。)あなたに付いてくわ。

 デジレーとマリー退場。ルーシー登場。

フレーダー: ルーシー。
ルーシー: 私、水を外へ持ってかなければならないんです。
フレーダー: どの水だよ?
ルーシー: そこにある水です。
フレーダー: 嘘つけ。そばに来いよ。お前は何がしたいんだ? 自分がしたいことに勇気を持たなきゃいけないぜ。俺の目を見ろよ。澄んだ、きれいな眼をしてるんだな。誰にもそう言われたことはないのか?
ルーシー: ありません。
フレーダー: 昨日はちゃんと眠れたな?

 ルーシーは肩をすくめる。

フレーダー: 俺のことが好きか?
ルーシー: フレーダーさん。
フレーダー: 俺はお前のことが好きだ。今夜、また行くからな。
ルーシー: はい。
フレーダー: 水は運んでかないのか?
ルーシー: 運んできます。
フレーダー: 外へ持ってきな。(デジレーの扉に向かう。)俺はここで大の字になって寝るからな。まさかお前、嫉妬してるのか? 忘れるなよ、あいつは伯爵夫人なんだからな。

 ルーシーとフレーダー、別々の扉から退場。イレーネとペトレル登場。

ペトレル: 誰もいない。デジレーは今日試験ですね。マリーは付いていったんでしょう。
イレーネ: デジレーが試験。あの未熟な人が。
ペトレル: でも彼女はどんな試験でも優秀な成績で合格してますよ。
イレーネ: 伯爵令嬢だからですわ。勉強とは何か、彼女には分かっていません。
ペトレル: あなたは本当にとてもきれいですね。でも、あなたにそうしたことを口にする勇気を、人は持てないんです。
イレーネ: デジレーはそうしたことをみんなに簡単に言わせますけれど。
ペトレル: どうしていつもそう冷ややかなんですか?
イレーネ: ふざけないでください。
ペトレル: ふざけてません。
イレーネ: 手を離してください。
ペトレル: 離しません。
イレーネ: ブービー! あなたはまずマリーに許可を得なければいけません。
ペトレル: マリーは僕たちのことを見てやしませんよ。
イレーネ: 略奪愛は嫌なんです。あなたはいつマリーをお知りになったのかしら?
ペトレル: 二年前です。マリーは僕の人生を美しいものにしてくれました。すごく感謝してます。
イレーネ: それにロココ風の書き物机まで。あなたは気の毒ですわ、ブービー。

 フレーダー登場。

フレーダー: メーディー!
イレーネ: あなたがドアの後ろで盗み聞きしてるんじゃないかって、ずっと思ってました。
フレーダー: それから、鍵穴からのぞいてるんじゃないかってことも。
ペトレル: 本当ですか?
フレーダー: もちろん。
イレーネ: 私たち、隠さなければいけないようなことは何もありませんわ。
フレーダー: 君たちふたりはたった今、ブービーとメーディーを演じてたんじゃなかったっけ?
イレーネ: 付いてきてくれません、ペトレルさん。
ペトレル: 僕たちはマリーを待つんです。
イレーネ: 下でも待てます、来てください。
ペトレル: 君はどうして彼女を怒らせるんですか?
イレーネ: (腰をかけ、本を手に取る。)お笑い草。
フレーダー: 「学問においてもまた、何ひとつ知ることはできない、全ては実行されることを望んでいる」、ゲーテによればね。
ペトレル: こんな馬鹿げたことはやめてください。
フレーダー: デジレーはあなたに惚れてませんでしたっけ?
ペトレル: ちっとも。
フレーダー: 僕は嫉妬してるんじゃありませんよ。
ペトレル: 誓いましょうか? デジレーは僕のことをほとんど見てやいませんよ。

 アルト登場。

アルト: マリーはまだ戻ってませんか?
フレーダー: (アルトに。)タバコをくださいよ。
アルト: (ペトレルとイレーネに。)あれって本当なんですか?
イレーネ: 何がです?

 マリー登場。

マリー: アルト。嬉しいわ。
アルト: デジレーはどこ? 優秀な成績だったんでしょ、もちろん?
マリー: 私は入り口まで付いてっただけ。しまいには不合格が、彼女にとっては喜ばしい出来事になるかもしれないわね。ご機嫌斜めなの、ブービー?
フレーダー: (マリーにイレーネを示し。)ブービーのメーディーを紹介させてもらうぜ。
マリー: まさか!

 幕。

第二幕

デジレー: (音楽が流れる中。)もっと歩幅を小さくして。私の足を踏んだわよ。
マリー: まただわ。何だったけ?
デジレー: え?
マリー: 内面の制圧だったわね。「ついに習慣という留め具の外に出たことは、内面の制圧だったのです」。
デジレー: あの退屈な手紙をもう暗唱できるようになるとは。
マリー: たぶん彼の言ってることはその通りなのよ。
デジレー: 彼を自由にしてあげたら。
マリー: もちろん自由にしてあげるわ。(音楽をとめる。)思いもよらなかったわ――人はなんて急速に乗り越えてしまうものなのかしら。
デジレー: どんなに急速か、あなたには決して分からないわ。
マリー: あるいは、そう思ってるだけ?
デジレー: フレーダーに感謝したら。
マリー: 彼には会いたくないわ。
デジレー: あなたのためになりそうだけど。
マリー: ならないわ。
デジレー: ベッドに行かない?
マリー: (立ち上がる。)彼女にお茶を入れてもらうわ。

 マリーはベルを鳴らす。

デジレー: 私がベッドで寝たら、隣で座っててくれる?
マリー: お休みなさい、おチビちゃん。

 デジレー退場。ルーシー登場。

マリー: 私たちにお茶をお願いします。どうかしまして? お出かけ?
ルーシー: たぶん。あまりにいい天気なものですので。でも、今はまだ出かけなくてもいいんです。
マリー: (菓子を差し出し。)召し上がって。
ルーシー: どうも。私たちはふたりとも、パッサウから出てきたんですね。私の父はあなたのお父さまのところで働いてたんです。私の父は家具職人です。あなたのお父さまは建築家でなくて?
マリー: ええ。
ルーシー: やっぱりそうだったんですね。

 ルーシー退場。イレーネ登場。

イレーネ: あなたとお話できないかしら? 私たちの友情をあなたに申し出たいのよ。
マリー: それはどうも。(イレーネに菓子箱を差し出す。)デジレーからよ。この箱を今日贈ってくれたの。すごくいい感じでしょ? この花もデジレーからよ。
イレーネ: 彼女って、すごくいい感じね。
マリー: 違うわ、箱がいい感じだって言ってるのよ。さて。あなたたちの友情ね。
イレーネ: 冷静にじっくり考えてね。
マリー: 私は完全に冷静だわ。彼の考えだったの?
イレーネ: それはどうでもいいことよ。
マリー: 彼の手紙にはまだそのことが書かれてないわ。
イレーネ: 後になって私たちの心に浮かんだのよ。
マリー: 誰のですって?
イレーネ: それはどうでもいいことよ。
マリー: どうでもよくなんかないわ。
イレーネ: あなたを落ち着かせてあげられたらと思ったの。
マリー: あなたはきちんとしてないと気が済まないからそうしてるだけ。あなたは魚よ。
イレーネ: それは知らなかった。あなたはいずれ思い直すわ。私たちはいつか友だちになるのよ。

 ペトレル登場。

マリー: 私はなりたくないわ。あなたと彼に、二度と会いたくないの。
イレーネ: じゃあ、押しつけがましくしてごめんなさい。

 イレーネは去る。

ペトレル: だからさっき言ったんだ、こんなことをしても上手くいかないって。
マリー: 彼女に言いくるめられなければよかったのよ。ここにいてちょうだい。ひとりの女性を二年間愛したのなら、そんな風に逃げ出したりはしないものよ。
ペトレル: 言葉を交わしてもどうにもならないさ。
マリー: で、私のお金は?
ペトレル: 君のお金?
マリー: 私のお金。私、あなたを養ってたんじゃなくて?
ペトレル: 家じゅうにそのことを聞かせたいのか?
マリー: 家じゅうにそのことを聞かせたいのよ、あなたが二年間、私に食べさせてもらってたってことを。
ペトレル: お金なら返済するよ。
マリー: あなたは見事にすっぽかすんでしょうね。あの人は自分のお金は自分のために取っておく人よ。
ペトレル: 僕は自分で稼ぐさ。
マリー: 泥棒よ、あなたは。
ペトレル: もう十分だ。
マリー: さあ、ぶちなさいよ、ぶちなさいったら、泥棒じゃないんなら。私を可哀想に思ってくれないの?
ペトレル: 君は頭がどうかしてるんだ。

 ペトレル退場。デジレー登場。

デジレー: いらっしゃい、あなたは私のものよ。

 幕。

第三幕

フレーダー: ルーシーは天才的な子さ。立ちんぼさせることだってできるかもしれないな。
マリー: ご冗談を。
フレーダー: 冗談じゃないさ。
マリー: 私はあなたの思い通りにはならないわ。もう結婚してるのよ。
フレーダー: デージーとか?
マリー: デージーと。彼女が心配だわ。あなたと出会わなければよかったのよ。
フレーダー: お前も俺に惹かれてるとはね。
マリー: 頭でも打ったんじゃないの。
フレーダー: お前も俺に惹かれてるんだ、刃物に惹かれるように。
マリー: ほっといてよ。

 マリーは出ていく。叫び声をあげる。

マリー: 手遅れかしら?
フレーダー: 手遅れだ。
マリー: アルトに来てもらわないと。
フレーダー: 手遅れだ。
マリー: だとしても、お医者さんに来てもらわないと。
フレーダー: 手遅れだ。俺は確信している。
マリー: あなたが彼女にベロナールを入手したのね。
フレーダー: 彼女が頼んできたのさ。
マリー: 人殺し。
フレーダー: お前を置いてくとするか。
マリー: ここを動かないで。
フレーダー: 弔辞を聞くのは好きじゃないんでね。
マリー: 私たちは黙ってもいられるわ。(訳注・この台詞は、新約聖書の『使徒行伝』第4章の「主よ、私たちは自分たちが見聞きしたことを黙っていられないのです」をふまえている。)
フレーダー: お前の言う通りだ、医者に来てもらわないと。
マリー: ここにいてちょうだい。

 フレーダー、酒を注ぐ。

マリー: 私にも。
フレーダー: 唯一の救い、それは俺たちが結婚することだ。ブルジョア社会への自覚的統合(訳注・ストローブによって縮小編集された『青春の病』の最重要語。原語は「Verbürgerlichung mit Bewußtsein」。英語字幕では「Deliberate social integration」。なお、ブルックナーの原作には「Entweder man verbürgerlicht, oder man begeht Selbstmord. Einen andern Ausweg gibt es nicht.(ブルジョア社会に統合されるか、自殺するかのどちらかだわ。他の逃げ道はないの)」というデジレーの台詞がある)だ。それに俺たちはもう、俺とお前の仲なんだから、結婚は形式上の事柄に過ぎない。じっくり考えろよ。お前が決心を固めた瞬間、ルーシーとの関係は全て断ち切ることを約束するぜ。俺たちは模範的な夫婦になるのさ。俺は養ってほしい。働くのは好きじゃないんだ。それに反してお前は働くのが好きだ。故に俺たちは補い合うのさ。

 幕。

(旧ブログ上でこの戯曲の翻訳を発表した時点では、「フレーダーは私である」ことが分かっていなかった。今回の大幅な修正に取り組む中、「Verbürgerlichung mit Bewußtsein」の適切な訳語として「ブルジョア社会への自覚的統合」という表現が思いついた瞬間、現在の社会で自殺することなく生きている人間の大多数(=マジョリティー)が、「フレーダー」同様、誰か(=マイノリティー)の「ヒモ」であることが認識できた。)

0 件のコメント:

コメントを投稿