【高橋惠子 芸能生活42年回顧録「女優物語」(9)】
昭和46(1971)年11月末に私が所属していた大映が倒産…。この一報が届いたとき、私は気が動転し、事態を把握するまでに時間がかかりました。なにしろこの時私は女優引退を撤回し、仕事を続ける覚悟を決めたばかりだったのですから。
これからどうすればいいのか…。暗たんたる気持ちのまま、年の瀬を迎えようとしていたころのことです。大手映画会社各社から、私の両親に連絡が入りました。どの会社の担当の方も「ウチにぜひ」とおっしゃっているというのです。最高にありがたいお話でした。
当時、大手映画会社は各社専属の監督、俳優の引き抜きを禁止する五社協定(東宝、東映、松竹、日活、大映)を締結していました。ですが、大映が倒産したことで五社協定は自然消滅。私に声をかけてくださったのは、東宝、東映、松竹、日活の4社で、各社の担当者は私の自宅まで足を運んでくれました。
自宅では私の両親を交えての“4者面談”で、じっくりお話をうかがいました。その結果、東映は高倉健さんの「網走番外地」シリーズや、藤純子さん(現富司純子)の「緋牡丹博徒」シリーズに代表される仁侠路線を続けていくことが判明しました。
松竹は渥美清さんの「男はつらいよ」シリーズが人気爆発する直前で、社会派サスペンスと文芸路線が主流でした。日活は経営不振を打開すべく、“ロマンポルノ”路線を打ち出したばかりです。それぞれの会社が熱心に説明してくださいましたが、私にとっては「う〜ん…」。生意気なようですが、ピンとこなかったのです。
せっかくのありがたいお話なのに、なぜ乗り気になれないのか? 理由ははっきりしていました。当時16歳だった私は「17歳の関根恵子像」や「18歳の関根恵子像」、さらに「大人になった関根恵子像」を明確に描いていたからです。
例えば、東映に入社したとします。私は藤さんのように女博徒シリーズに何本も出演することになるのでしょう。同じ役柄を繰り返して演じる、それも仁侠路線の役柄を演じることは自分にとってプラスになるのか? そうとは思えませんでした。
松竹はこのころ良心的な作品を製作する半面、これといった特徴が感じられない会社でした。ちょっと偉そうな言い方をさせていただくと、「女優・関根恵子」がこれから飛躍していくためには、もう少し強い“カラー”が必要だと思えたのです。
日活は経営的にも苦境に立たされていたようで、ロマンポルノにシフトチェンジすることも決まっていました。大映の“レモンセックス路線”の作品に7作連続で主演した私です。ロマンポルノ路線は自分を成長させてくれるとは思えませんでした。
こうして私は東宝に入社することにしたのです。
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