「デビューから間もなく27年になっちゃうんですね。当時は毎日毎日、体操選手の練習のようなレッスンで、体中、青アザだらけ。まるでスポ根ドラマみたいでした」。
1984年11月5日、それは濱田のり子さんが所属していた4人組アイドル「セイントフォー」の芸能界デビュー記念日だ。
応募総数3万人超、育成期間2年、プロモーション費用40億円…。まさに鳴り物入りだった。
衣装は原色のレオタード。そして間奏の間にバク転宙返りを繰り返すステージがファンを虜にした。レッスン初日、所属事務所の社長が「仮想敵はジャッキー・チェンだ!」と言ったのは伊達ではなかった。
「当時の熱狂的なファンは、曲中に掛け声をかける『コール隊』を結成していたのですが、今でもメンバーの交流が続いているんです。今年4月から始まった岐阜放送さんのラジオ番組『濱田のり子のノリノリたいむ』を岐阜のメンバーが録音して、関東のメンバーたちにデータを送ってる、って耳にした時は、ホント、うれしかったですね」
現在のタレント活動は、ラジオパーソナリティーの他、グラビアモデル、女優がメーン。10月14日には、今年2作目のセクシーDVD『ONE PARIS NIGHT(ワン・パリス・ナイト)』を発売したばかりだ。
「ロケは4泊6日で、パリ市内のバンドーム広場、キャバレー『ムーラン・ルージュ』、高級ホテル『オテル・ド・クリヨン』、それに郊外の古いシャトーでも撮影しました。アンダーヘアをきれいに剃り、どこまで露出できるかにチャレンジしたんですよ」
カラミこそないが、現地の専門店で購入した十数種類のド派手な紐パンやセクシーランジェリー、さらに電動マッサージ機や拘束具でいたぶられるシーンの連続。「恥ずかしいから、私は絶対作品は見ません」と濱田さんが顔を赤らめるほどの仕上がりだ。
10年前に広告プロデューサーと結婚。露出の多い作品にダンナからのクレームはないのか?
「私の仕事を知って結婚したわけですし、仕事とプライベートを分けて考えてくれてるので、特にはないですね」
年明けには、パリロケ第2弾をリリース予定だ。
■濱田のり子(はまだ・のりこ) 1965年2月22日、埼玉県出身。46歳。アイドルユニット『セイントフォー』のセンターボーカルとして、84年11月に芸能界デビュー。バック転宙返りを振り付けに取り入れるなどド派手なアクションで一世風靡したが、87年1月に解散。その後はセクシーユニット「ピンクジャガー」、ロックバンド「CHABACCO(チャバッコ)」で音楽活動を続けながら、グラビアモデル、女優として活躍。現在、ラジオ番組『濱田のり子のノリノリたいむ』(岐阜放送/土曜午後11時45分〜深夜零時)のレギュラーパーソナリティー。