9月3日(月) |
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出た349、350と2本早熟の天才が、32歳にして初めて手に入れた“ナンバーワン”の勲章だった。 「記録というのは知っていました。なかなか抜けないと思うし、1個くらいは(名前が)残ってよかったです」 1回、1死三塁。349本目の二塁打が、右翼線をまたがずに落ちた。谷沢健一氏(本紙評論家)を抜き去り、球団史に名を刻む。派手な本塁打でもなく、偉大な安打数でもない。二塁打というところが、立浪和義内野手(32)らしい味わい深さ。そして、この1本で、チームの連敗は止まった。 二塁打とは何だ。この問いに、こう答えた。「1人で得点圏にいくヒット。チャンスが広がるヒット。自分は中距離打者ということ。そういう感じでいきたい」。距離さえあれば事足りる一発とは違う。強い打球を、上がりきらず、野手の間に打たねばならない。その技術を黙々と磨いてきた。だから立浪の打撃論には、職人の趣がある。 「(前半戦は)受けて打ち過ぎました。(自分のスタイルは)呼び込んで打つんだけど、突っ込むのじゃなく、泳いでもいいからどんどん打たないと。微妙なところだけど、それが打撃で一番、難しいんです」 経験で培った感覚のエリアがある。そこに入った後半戦は、打率3割8分3厘。6回にも右中間を割り、通算350二塁打(史上22人目)をクリアした。 「打撃は難しい。日々、向上心をもって頑張ります」 福本豊氏(元阪急)の日本記録まであと99本。円熟の域から、緩やかに下る。それでも立浪を支えるのは、向上心だろう。(渋谷真)
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