弁護士会の自浄能力を問う

2007年02月19日

 とうてい納得はできないが、驚きも落胆もしなかった。「ま、こんなもんだろうな」というのが率直な感想である。
 東京高裁がオウム真理教教祖の麻原彰晃こと松本智津夫の弁護人二人について求めていた処置請求を、日本弁護士連合会が退ける判断をした。「処置請求の目的は審理中の訴訟手続の障害を取り除くことにある」として、「裁判が終了した後に処置請求はできない」として、高裁の請求を門前払い。期限を過ぎても控訴趣意書を提出しない”作戦”が「手続の迅速な進行を妨げた」か否かという点はまったく判断しなかった。
 
 今回の手続きは、刑事訴訟規則の次のような規定に基づいて行われた。
 
<第三百三条  裁判所は、検察官又は弁護士である弁護人が訴訟手続に関する法律又は裁判所の規則に違反し、審理又は公判前整理手続若しくは期日間整理手続の迅速な進行を妨げた場合には、その検察官又は弁護人に対し理由の説明を求めることができる。 
2  前項の場合において、裁判所は、特に必要があると認めるときは、検察官については、当該検察官に対して指揮監督の権を有する者に、弁護人については、当該弁護士の属する弁護士会又は日本弁護士連合会に通知し、適当の処置をとるべきことを請求しなければならない。>
 
  この条文のどこに、「処置請求の目的は審理中の訴訟手続の障害を取り除くことにある」とあるのだろうか。その前後の条文を読んでみても、このように判断できる根拠はみつからない。日弁連が、自分たちの都合のいいように条文を解釈したのだろう。
  だから納得はできないのだが、今回の請求を認めれば、弁護士の活動範囲を日弁連が自ら狭めてしまうという内部の懸念も大きかったことは推測に難くない。「高裁の要求は受け入れられない。かといって控訴趣意書不提出という刑事訴訟法に違反する弁護人の行為を肯定するわけにはいかない」というわけで、ああいう門前払いにするしかなかった、ということではなかったのかと、(少し日弁連に甘すぎるかもしれないが)私は想像している。
  二弁護士に対して全国の弁護士が約六〇〇人も指示をしたそうだが、何も全員が控訴趣意書を出さない愚かな作戦を肯定的に考えているわけではあるまい。むしろ、裁判所に弁護活動に対する介入、弁護士会を裁判所の下請けのようにして処分を迫ってくるやり方に対して、弁護士自治という建前から、処分に反対したということではないのか。本音では、「この二弁護士の愚かなやり方のせいで、訴訟促進という国民受けするキャッチフレーズを掲げて裁判所が弁護活動の領域まで踏み込む、格好の口実を与えてしまった」と苦々しく思っている、まっとうな人権派弁護士も少なくないはずである。
  多くの迷惑を考えれば少しは恐縮しているのかと思いきや、当該の松下明夫、松井武両弁護士は全然懲りていないらしい。
 自分たちの弁護活動が正当であるというお墨付きが欲しかったのか、記者会見で「門前払いの判断は物足りない」と言ってのけ、高裁を相手に損害賠償請求の裁判を起こす考えがあることを明らかにした。
 開いた口がふさがらない。裁判でも何でも、二人で勝手にやってなさい、と言うしかない。

 ただ、一方の高裁も、感情的で意固地になりすぎてはいる、という気がする。
 日弁連の決定を受けて、東京高裁は「形式的な理由で両弁護人の弁護活動の逃避についての判断を回避した(中略)きわめて遺憾」(山名学事務局長)と厳しく批判。二弁護士の懲戒請求を行う方針だ。
 人権にかかわる問題について、しばしば形式的な”三行半判決”を出す裁判所が、日弁連の判断を「形式的」と非難するとは、なんだかブラック・ジョークの世界のようだ。
 私に言わせれば、東京高裁も二弁護士の作戦に乗せられ、”訴訟遅延”に一役買ってしまった時期があることを忘れないでいただきたい。元々の控訴趣意書提出期限は、2005年1月だったのを、高裁は弁護側の要望に応えて8月末に延期。弁護側は一応書面を用意していたにもかかわらず、この新たな期限までに提出をしなかった。本来高裁は、その時点ですぐに控訴棄却の決定を出すべきだったのだ。なのに、最終的な控訴棄却決定を出したのは、7ヶ月も後の翌年3月末だった。、後から「精神鑑定の結果も待たずに拙速すぎる」と裁判所が批判されるのを恐れて、判断を延ばしたのではないか。
 それに−−これは皮肉を込めて言うのだが−−訴訟の促進を第一義に考えるのであれば、この2弁護士はむしろ功労者だろう。もっと知恵のある弁護士ならば、精神鑑定の結果が出された直後に控訴趣意書を提出し、裁判が開かれた後にまた新たな精神鑑定を要求するなど、あれやこれやの手法で訴訟の引き延ばしをはかるだろう。そんなことになれば、まったく中身のない裁判に何年もの時間が費やされることになった。上告して最高裁で判決が確定するまでに、少なくとも6、7年はかかっただろう。
 ところが、裁判官が本気で控訴棄却決定を書く決意を固めたという空気も読めず、刑事裁判のルールに明らかに違反する作戦に固執したために、松本智津夫の裁判は予想より早く確定させることができた。
 東京高裁は懲戒請求などする代わりに、最高裁判所と連名で、松下・松井両弁護士に対して表彰状でも送ってやったらどうか
 裁判員制度の導入など、裁判所と弁護士会が協同で取り組まなければならない司法改革の真っ最中だというのに、こんな愚かな弁護活動のためにゴタゴタするのは馬鹿げている。
 
 ただ、両弁護士には訴訟遅延とは別の観点から問題点が指摘されている。
 彼らが、被告人を弁護する職責を果たさなかったのではないか、という弁護士としての根幹に関わる問いが投げかけられているのだ。
 長年オウム問題に取り組んでいる滝本太郎弁護士は、昨年9月、松下・松井両弁護士が所属する仙台、東京第2の各弁護士会に懲戒請求を出している。その理由はこうだ。
  
<対象弁護士らが右書面を提出しなかったことにより、同被告人に控訴審以降の審理を受ける機会を与えられず、その一審死刑判決を確定させたものである。
右は、被告人の訴訟能力を争って控訴趣意書を提出しなかったということであるが、弁護人としてはこれを争うものであっても、被告人が一審において罪状認否を行うなどしているものであるから、控訴趣意書を提出したうえで高裁審理にて訴訟能力、罪体ともども争うならば争うべきものであって、被告人の裁判を受ける権利をも明らかに侵害し、かつ弁護人の職責を殆ど果たさなかったものである。
 仮に訴訟能力を争うが故に、またその鑑定に裁判所が立会いを許さないからとし控訴趣意書を提出しなかったと理屈づけるとしても、裁判所との間であまりに危険な「チキンレース」をしたところこの見通しを安易に考えたのであるから、同被告人の裁判を受ける権利を侵害したものである。>
 
 被告人の訴訟能力は高裁の審理でも争うことができるのだから、弁護人は控訴趣意書を出したうえで、法廷で主張すればよかったのだ。それを怠ったために、被告人が高裁、最高裁で裁判を受ける権利が奪った両弁護士は、弁護士倫理にもとる、というわけだ。
 いろいろ手を尽くした末なら仕方がない。ところがこのケースでは、弁護士が自分たちの主張にこだわりすぎて、やるべきことをやらずに被告人に不利益をもたらした。医者が、独自の”秘薬”にこだわって、当然やるべき処置をせずに患者を死なせてしまえば、責任を問われる。それと同じで、被告人の裁判を受ける権利を奪っただけでなく、確定したのが死刑判決ということを考えれば、確実に死期を早めたのだから、2弁護士には何らかの処分があってしかるべきではないのか。
 なのに、松本智津夫の人権を擁護しようという立場の人が、この弁護士の愚かで違法な作戦について、どうして何もコメントしないのか、本当に不思議でならない。
 もう一つ不思議なのは、日弁連の決定を報じたメディアが、ほとんど滝本弁護士が提起した懲戒請求に言及していないことだ(私が見た中では触れているのは、産経新聞だけ)。
 この場合は、外部からの介入や圧力ではない。同じ弁護士仲間から、弁護士モラルに反する行為は許せないと、声が挙がっているのだ。万一、この請求を退けるようなことがあれば、弁護士会は自浄能力を完全に失っていると見なさざるを得ない。
 「身内に甘い弁護士会」というイメージを払拭するためにも、迅速で適正な対応を求めたい。

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