Act Against AIDS 2006 桑田佳祐
「星条旗よ永遠なれ!?~私のアメリカン・ヒーローズ」演奏曲目&解説
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M1 | Sherry / The Four Seasons (1962)
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まさに古き良きアメリカを代表するポップ・グループ。1955年ニュージャージーで結成された。
特にファルセットを巧みに操るフランキー・ヴァリのヴォーカルが素晴らしい。
この「Sherry」は、1962年に放った彼ら初の全米No.1ヒット曲。他にも「Big Girls Don’t Cry」「Walk Like A Man」「Rag Doll」「December,1963(Oh, What A Night)」などのNo.1ヒットがある。
なお、フランキー・ヴァリはソロになり「Can’t Take My Eyes Off You」「My Eyes Adored You」「Grease」などの名曲を残している。
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M2 | That'll Be The Day / Buddy Holly (1958)
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バディ・ホリーは、1936年テキサス生まれのロックン・ローラー。主に50年代の後半に活躍。彼の残した大きな功績は、ロック・バンドにおいてドラムにベース、そしてギターが2人という4ピース・バンドのスタイルを最初に確立したということだ(ビートルズも手本にした)。
この「That’ll Be The Day」は、1957年の全米No.1ソング。1958年、飛行機事故で他界。
近年、バディ・ホリーの功績を称えた「バディ・ホリー物語」と言うミュージカルがブロードウェイで大ヒットした。
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M3 | Oh Pretty Woman / Roy Orbison (1964)
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映画「プリティ・ウーマン」の主題歌としても有名な曲。この曲は60年代のポップス界のリーダー的存在、ロイ・オービソンが書いた名曲。1964年全米1位に輝いた。
ロイは1936年テキサス生まれ。ロイ・オービソンに敬意を表し、かのジョージ・ハリソン、ボブ・ディラン、ジェフ・リン、トム・ペティと言った豪華アーティストがロイをサポートし、“The Traveling Wilburys”というバンドを結成したこともあった。1988年、心臓麻痺で他界。
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M4 | Never My Love / The Association (1967)
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アソシエーションは、1965年LAで結成された6人編成のバンド。その美しいコーラスを活かしたスタイルから『ソフト・ロック』と呼ばれていた。
この「Never My Love」は、1967年に全米2位を記録。「かなわぬ恋」の邦題で日本でもヒット。
他にも全米No.1に輝いた「Cherish」「Windy」という2曲も要チェック!
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M5 | Turn! Turn! Turn! (To Everything There Is A Season) / The Byrds (1965)
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バーズは、1964年LAで結成されたフォーク・ロック・バンド。メンバーはロジャー・マッギン、デイヴィッド・クロスビー、クリス・ヒルマン、ジーン・クラーク、マイク・クラークの5人。1965年、フォークの帝王ボブ・ディランと出会い、1965年ディランの「Mr. Tambourine Man」をカヴァーし、これが全米No.1を記録。続いて、この曲「Turn! Turn! Turn!」も連続No.1に!この曲の詩は「花はどこへ行ったの」で知られるフォークの先駆者ピート・シーガーの本が元になっている。
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M6 | Do You Believe In Magic ? / The Lovin' Spoonful (1965)
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「魔法を信じるかい」と言う邦題でもおなじみの曲。ラヴィン・スプーンフルは1965年ニューヨークで結成された4人組。リード・ヴォーカルであり、ソングライターでもあるジョン・セバスチャンがバンドの要。その演奏スタイルはジャグ・バンド・ロックなどと呼ばれた。
この曲は1965年に発表された彼らの最初のヒット曲。全米9位を記録。
1966年には「Summer In The City」がNo.1ヒット。
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M7 | Proud Mary / Creedence Clearwater Revival (1969)
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ジョン・フォガティとトム・フォガティの兄弟に、同じハイ・スクールの仲間2人を加えてカリフォルニアで1959年に結成。当時のバンド名は“ザ・ブルー・ヴェルヴェッツ”だった。1967年、クリーデンス・クリアウォーター・リバイバルと言う長いバンド名で再デビュー。特にジョン・フォガティの荒々しい歌とギターは強烈!バンド名はC.C.Rと略される。
「Proud Mary」は1969年全米2位を記録。「雨を見たかい」も名曲。
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M8 | Up On Cripple Creek / The Band (1969)
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その名もズバリ“ザ・バンド”。バンドの中のバンドである。メンバーはロビー・ロバートソン(g)、リチャード・マニュエル(key)、ガース・ハドソン(key)、リック・ダンコ(b)、レヴォン・ヘルム(d)の5人。アメリカ・アーカンソー州出身のレヴォン・ヘルムを除く他の4人は、全員カナダ人。ボブ・ディランとのセッションで頭角を現し、ウッドストックを本拠地に活動した。
1968年「The Weight」がヒット。翌1969年にこの「Up On Cripple Creek」が全米25位に。
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M9 | Dixie Chicken / Little Feat (1973)
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サザンオールスターズのデビュー・アルバム『熱い胸さわぎ』に「いとしのフィート」という曲があるがごとく、桑田さんが学生時代から超お気に入りのバンド。1969年LAで結成された。特にローウェル・ジョージの歌とスライド・ギターは、聞き手の魂を揺さぶる。
70年代、数々のアルバムをリリースするが、売れ線より本音で語るバンドゆえ商業的には恵まれなかったが、多くのミュージシャンに、売り上げ以上の影響を与えた。
ローウェル・ジョージ、1979年6月29日、心臓麻痺で死亡。わずか34歳。
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M10 | Sweet Home Alabama / Lynyrd Skynyrd (1974)
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オールマン・ブラザーズ・バンドと並ぶサザン・ロックの代表格。1965年、フロリダのハイ・スクール仲間が集まりバンドを結成。バンドの名前は、学校の先生の名前Leonard Skinnerをもじったものだと言われている。この「Sweet Home Alabama」は、1974年、全米8位まで上がった彼らの代表曲。1977年、飛行機事故でメンバーの中核、ロニー・ヴァン・ザントが死去。
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M11 | Ramblin' Man / The Allman Brothers Band (1973)
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サザン・ロックの雄。1969年、ジョージア州メイコンで結成された6人組。グループの中核と言えば、スライド・ギターのデュアン・オールマンとキーボードのグレッグ・オールマン兄弟。特にギターのデュアン・オールマンは、セッション・ギタリストとしても活躍。ウィルソン・ピケット、アレサ・フランクリン、デラニー&ボニー、クラレンス・カーター、ボズ・スキャッグスなどのレコーディングに参加。『フィルモア・イースト・ライブ』は傑作アルバムである。デュアン・オールマンは1971年バイク事故で、わずか24歳で死去。
「Ramblin’ Man」は、二番手ギタリストだったディッキー・ベッツをフィーチャー。1973年全米2位を記録。ブルース主体のオールマンとしてはカントリー色の強い曲。
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M12 | Woodstock / Crosby, Stills, Nash & Young (1970)
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元バーズのデイヴィッド・クロスビー、元バッファロー・スプリングフィールドのスティーヴン・スティルスとニール・ヤング、そして、元ホリーズのグラハム・ナッシュの優れたミュージシャン4人が1968年に結成したグループ。
この曲は、女性シンガーソングライター、ジョニ・ミッチェルが、伝説の“ウッドストック・コンサート”をテーマに書いた。4人のハーモニーが素晴らしい。1970年、全米11位。
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M13 | Indian Reservation (嘆きのインディアン) / Mark Lindsay & The Raders (1971)
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1960年、ポール・リヴィアとレイダーズとしてポートランドで結成されたポップ・ロック・バンド。この曲は「嘆きのインディアン」と言う邦題でも知られるように、チェロキー・インディアンの居住区問題を歌ったナンバー。1971年、全米でNo.1を記録。
ちなみにマーク・リンゼイは1942年アイダホ生まれ。歌ばかりでなくサックスも上手い。
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M14 | Purple Haze / Jimi Hendrix (1967)
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まさに伝説のロック・アーティスト! ジミ・ヘンドリックスは、1942年シアトル生まれ。黒人でありながら、白人のロック・スタイルを飲み込み、それ以上に昇華させた天才である。右手用のフェンダー・ストラトキャスターを、そのままの弦の張り方で、サウスポーで弾く変則奏法。コンサートでは、ギターを燃やしたり、叩き壊したり、歯で弾いたり、その過激なパフォーマンスが話題を呼んだ。1970年、ドラッグ中毒で他界。
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M15 | Surfer Girl / The Beach Boys (1963)
M16 | Fun, Fun, Fun / The Beach Boys (1964)
M17 | California Girls / The Beach Boys (1965)
M18 | Good Vibrations / The Beach Boys (1967)
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もし、イギリスを代表する60年代ロック・ヒーローをひとつあげるとしたら、当然ビートルズだろう。そして、それに対抗すべき、60年代のアメリカン・ロック・ヒーローをひとつあげるとしたら、このビーチ・ボーイズになる。
ビーチ・ボーイズは1961年、カリフォルニアで結成された。メンバーはブライアン(b)、カール(g)、デニス(d)のウィルソン3兄弟に、従弟のマイク・ラヴ(v)とアル・ジャーディン(g)を加えた5人組。特にリーダーのブライアン・ウィルソンは、サウンド・メイキングの要であり、ジャズやR&Bに精通し、常に実験的音楽の創作にチャレンジした天才アーティストだ。
ビーチ・ボーイズのサウンドの特徴は、ロックンロールであろうが、バラードであろうが、コーラス・ワークが素晴らしいことである。そのコーラスはジャズのフォー・フレッシュメンの手法を取り入れつつ、それをより親しみやすく、よりポップに仕上げている。
今回リストアップされた4曲は、それぞれビーチ・ボーイズを代表するヒット曲。
「Surfer Girl」は1963年、全米7位。ビーチ・ボーイズのコーラスの魅力を存分に示す曲だ。
「Fun, Fun, Fun」は1964年、全米5位。いかにもビーチ・ボーイズらしい、楽しいナンバー。
「California Girls」は1965年、全米3位に輝いた曲。東部のイカシタ女の子も、南部の素敵な女の子も、農夫の可愛い娘も、みんなカリフォルニアの女の子になってくれれば最高!と言う内容。
そして「Good Vibrations」は、1966年全米1位に輝いた名曲。あまりに実験的な曲ゆえ、レコード会社がこの曲の発売に猛反対したが、ブライアン・ウィルソンは、「この曲を出せないなら、レコード会社を辞める!」と反発し、発売にこぎつけたいわくつきの作品。結果は、No.1になったわけだから、明らかにブライアンの勝利。この曲は、当時、最も制作費がかかったシングル・レコードでもあった。
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M19 | You Keep Me Hanging On / Vanilla Fudge (1968)
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この曲の原曲はダイアナ・ロスとシュープリームスが1966年に全米No.1ヒットさせた曲。それをヴァニラ・ファッジが取り上げ、サイケデリックなアート・ロックに変貌させた。
このヴァニラ・ファッジのバージョンは、1968年、全米6位を記録している。
メンバーはマーク・ステイン(k)、ヴィニー・マーテル(g)、ティム・ボガート(b)、カーマイン・アピス(d)の4人。1966年、ニューヨークで結成された。
ベースのボガートとドラムスのアピスは、後にジェフ・ベックと、“ベック・ボガート&アピス”を結成し話題を呼んだ。
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M20 | Touch Me / The Doors (1969)
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60年代アメリカの音楽シーンで、最もショッキングなバンドがこのドアーズであった。
1965年LAで結成。メンバーはジム・モリソン(v)、レイ・マンザレク(k)、ロビー・クリーガー(g)、ジョン・デンズモア(d)の4人。ベーシストが存在しないので、オルガンでベース音をカヴァーした。このバンドの中核は、なんと言ってもヴォーカルのジム・モリソン。彼の歌声には神秘性があり、彼の書く詩には文学の匂いがした。詩のテーマは“愛とセックスと死”。ジム・モリソンはステージ上で自慰行為をし、逮捕されたことがある。1971年没。
「Touch Me」は1968年に全米3位。「Light My Fire」「Hello, I Love You」がNo.1ヒット。
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M21 | Happy Together / The Turtles (1967)
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亀も知ってるタートルズは、1961年、LAのハイ・スクールの仲間が集まって結成された。当初は“ナイトライダーズ”、その後、“クロスファイヤーズ”と名乗っていたが、1965年にタートルズに改名。デビュー早々、ボブ・ディランの作品「It Ain’t Me Babe」を取り上げ、全米8位を記録し注目を集める。この「Happy Together」は1967 年全米No.1に輝いた。
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M22 | Mrs.Robinson / Simon & Garfunkel (1968)
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S&G;の略でもお馴染みのニューヨーク出身のフォーク・デュオ。当初は“トム&ジェリー”の名前で1957年デビュー。S&G;として1965年「The Sound Of Silence」が全米No.1ヒット。
この「Mrs. Robinson」も1968年にNo.1を獲得している。ポール・サイモンのシニカルな詩が面白い。またイントロのギターのフレーズは、アコースティック・ギター入門のよき手本。
映画『卒業』の中でこれらの曲が使われ、世界中で人気を博した。1970年に発表した「明日に架ける橋」も忘れがたい名曲である。
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M23 | Cruel War(悲惨な戦争) / Peter, Paul & Mary (1962)
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ピーター・ヤーロー、ポール・ストーキー、マリー・トラヴァースの3人で編成されたモダン・フォーク・トリオ。1961年ニューヨークで結成された。1962年「Lemon Tree」がスマッシュ・ヒット。その後「天使のハンマー」「Puff」「くよくよしないで」「風に吹かれて」などが連続ヒット。
この「Cruel War」は、1966年、全米52位。邦題は「悲惨な戦争」。戦場に行く恋人を嘆く反戦歌。
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M24 | Raindrops Keep Fallin' On My Head (雨に濡れても) / B.J. Thomas (1969)
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映画『明日に向って撃て』の主題歌としてリリースされ1969年、全米1位の大ヒットを記録した。作曲は有名なコンポーザー、バート・バカラック。当初、ボブ・ディランにこの歌を歌って欲しいとオファーしたが、ディランが断わったためにB.J. トーマスが歌うことになったという逸話がある。
B.J.トーマスは1942年オクラホマ生まれ。憂いのある歌声が魅力なシンガー。1975年には「Another Somebody Done Somebody Wrong Song」をNo.1ヒットさせている。
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M25 | Laughter In The Rain (雨に微笑みを) / Neil Sedaka (1975)
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ニール・セダカは1939年、ニューヨーク・ブルックリン生まれ。1955年にハイ・スクール仲間とトーケンズというドゥ・ワップ・グループを結成。当初、ニール・セダカは作詞家のハワード・グリーンフィールドとコンビを組み、作曲家として頭角を現した。当時のソングライター仲間には、かのキャロル・キングがいた。ニール・セダカの代表曲のひとつ「Oh! Carol」は、キャロル・キングに捧げた曲。この「Laughter In The Rain」は「雨に微笑みを」の邦題でも知られ、1974年、全米No.1に輝いた。メロディ・ラインの大変美しい曲だ。
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M26 | I.G.Y / Donald Fagen (1982)
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ドナルド・フェーゲンは、とてもインテリジェンスを感じさせるアーティストだ。創り出す音楽は、モダンアートのように美しい。彼は1948年、ニュージャージー生まれ。プロ・デビューはキーボード奏者として“ジェイとアメリカンズ”に参加。その後、1972年に、ウォルター・ベッカーと“スティーリー・ダン”を結成。『彩』『ガウチョ』など数々の名アルバムを発表。この「I・G・Y」は、ソロとしての最大のヒット。1982年全米26位を記録。
ちなみに「I・G・Y」とは「International Geophysical Year=国際地球観測年」のこと。
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M27 | The Stranger / Billy Joel (1977)
M28 | Allentown / Billy Joel (1982)
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ビリー・ジョエルは、最もニューヨークが似合うアーティストだ。彼は1949年ニューヨーク・ロングアイランドに生まれた。1964年に“エコーズ”というバンドを結成。以後、いくかのバンドを経て1973年ソロ・デビュー。翌1974年に「Piano Man」が全米25位に入るヒットとなり、そのタイトルのようにピアノマンとして「素顔のままで」「My Life」「Honesty」「ロックン・ロールは最高さ」「ガラスのニューヨーク」「Tell Her About It」など、数々のヒット曲を連発。「The Stranger」は、1977年リリースされた同名のアルバムに収められていたナンバー。日本で大ヒットしたが、なぜかアメリカではシングル・カットされていない。
また「Allentown」は、1982年全米17位を記録。最近、彼の楽曲を使ったミュージカル「Movin’ Out」が日本でも公開され話題に。
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M29 | I Need To Be In Love / The Carpenters (1976)
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邦題は「青春の輝き」。カーペンターズは、このタイトルがそのまま当てはまるグループだった。
兄のリチャードと妹のカレンを中心に結成されたバンド。当初、カレンはドラムを叩きながら歌っていた。しかし、その可憐な声が人気を呼び、徐々にドラムの席からメインステージの中央に。1970年ビートルズのカヴァー「涙の乗車券」でデビュー以来 「遥かなる影」「愛のプレリュード」「Superstar」「雨の日と月曜日は」「Sing」「Top Of The World」「Yesterday Once More」など、大ヒットを続発。その人気の最中、カレンは拒食症を患い、1983年、この世を去った。
「青春の輝き」は、1976年全米25位まで上がった佳作。
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M30 | My Sharona / The Knack (1979)
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よくラジオ番組の企画で「涙の一発屋特集」と言うのがある。そのとき、必ず取り上げられる曲、それが、この「My Sharona」だ。ザ・ナックは、1978年、LAで結成された4人組。1979年「My Sharona」が、全米6週連続1位を記録する大ヒット。「ビートルズの再来!」とマスコミに持ち上げられたが、その後、ヒットが続かず一発屋のレッテルを貼られてしまう。
ちなみに、日本のレコード会社が発売したコンピ「ザ・一発屋」の1曲目も「マイ・シャローナ」。
1994年には映画『リアリティ・バイツ』の挿入歌として使用された。活力のある曲だ。
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M31 | We're An American Band / Grand Funk Railroad (1973)
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まるで爆走列車のように、力強いアメリカのパワーを感じるバンド、それがグランド・ファンク・レイルロードだ。結成は1968年。メンバーはマーク・ファーナー(v+g)、ドン・ブリューワー(d+v)、メル・サッチャー(b)の3人。なにせ、このバンドのポリシーは、「とにかくデカイ音を出すこと」。特にライブ・パフォーマンスは強力で、1971年初来日したとき、当時の後楽園球場で行われた大雨の中でのコンサートでは、雷とともに鳴り響く音圧に多くのファンが度肝を抜かれた。「We’re An American Band」は1973年の全米No.1。
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M32 | I Was Made For Lovin' You / Kiss (1979)
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アメリカが生んだ、究極のコスプレ・バンドと言える、超ヴィジュアル系バンド。それまでのヴィジュアル系は、モノセックス風に化粧を施したアーティストが多かったが、Kissは、とことんワイルドで男らしさにこだわった。
Kissは1973年ニューヨークで結成された。メンバーはジーン・シモンズ(b+v)、ポール・スタンレー(g+v)、エース・フレーリー(g+v)、ピーター・クリス(d+v)の4人。デビュー当初はキワモノ扱いされ、なかなか売れなかったが、「Rock And Roll All Nite」が、デトロイトのラジオ局で頻繁にオンエアされ、その後、全国ヒットとなる。
「I Was Made For Lovin’ You」は、1979年、全米11位を記録。ハードロックとディスコ・サウンドが融合したダンサブルなナンバー。
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M33 | Long Train Runnin' / The Doobie Brothers (1973)
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イーグルスと並び70年代ウエスト・コーストを代表するロック・バンド。1970年、カリフォルニア州サンホゼで結成された。当初はパット・シモンズとトム・ジョンストンが中心。その後、1975年メイン・ヴォーカルのトムが病に倒れ、その代役としてマイケル・マクドナルドが参加。それ以降、徐々にマイケルの声を活かした大人のサウンドへと変化していく。
この「Long Train Running」は、1973年、全米8位を記録したナンバー。リード・ヴォーカルは、トム・ジョンストン。ドゥービー・ブラザーズの前期を代表する一曲。
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M34 | Centerfold (堕ちた天使) / J. Geils Band (1981)
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ギターのJ.ガイルズとヴォーカルのピーター・ウルフを中心とした6人組。全員白人ではあるが、その醸し出す音は、とことん黒っぽい。特にヴォーカルのピーター・ウルフの歌声はソウルフルで「白人最高のブルース・フィーリングを持ったバンド」と呼ばれた。
結成は1967年、ボストン。この「Centerfold」は、1981年の全米No.1ソング。「堕ちた天使」の邦題で親しまれている。
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EN1 | Hotel California / The Eagles (1976)
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70年代、アメリカで最も売れたアルバムは、この曲が入っていた「Hotel California」。発売と同時に、全世界で1100万枚以上の売り上げを記録した。
イーグルスは、1971年、LAで結成された。ウエスト・コースト・サウンドの代表と言われるが、オリジナル・メンバーは全員、カリフォルニア以外の出身。ドン・ヘンリーとグレン・フライを中心にした4声ハーモニーは、ロック・コーラスの最高峰。
また、この「Hotel California」は、イントロからエンディングにかけてギターが大活躍する。そのよく練られたフレーズは、ギター・キッズの教則本でもある。
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EN2 | Daydream Believer / The Monkees (1967)
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これぞアメリカのコマーシャリズムが生み出した、最高のアイドル・バンドかもしれない。60年代中頃、世界を席捲していたビートルズの人気に目を付けたアメリカのテレビ局が、ビートルズみたいなバンドを主人公にしたテレビ番組を画策。そのオーディションで選ばれたのがデイヴィー・ジョーンズ、マイク・ネスミス、ミッキー・ドレンツ、ピーター・トークの4人。最初は作られたアイドルであったが、徐々に実力をつけ、モンキーズは立派なバンドに成長した。
この「Daydream Believer」は、1967年、4週連続全米第1位を獲得した。
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EN3 | Hungry Heart / Bruce Springsteen (1980)
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「ボス」の愛称で知られるブルース・スプリングスティーンは、まさに無骨なアメリカン・ロック・ヒーロー。彼は1949年、ニュージャージー・フリーフォルドに生まれた。子供の頃、TVで見たエルヴィス・プレスリーに感動し、ギターを手にする。 1972年、大物プロデューサー、ジョン・ハモンドのオーディションに合格。同年デビュー・アルバム『アズベリー・パークからの挨拶』をリリース。当初は“新しいディラン”と言うふれこみだったが、徐々に個性を発揮し、1975年「Born To Run」のヒットで開花。
「Hungry Heart」は、1980年全米5位を記録。激しさの中にも、切なさと憂いを含んだ名曲だ。
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text by 佐藤輝夫 (from 『桑田佳祐のFMワンダーランド~やさしい夜遊び』)

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