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第1試合終了後、グラウンドを1週し、ファンに別れを告げる長嶋。「外野のファンは普段あまり接することができないから」とゆっくりかみしめるように歩いた
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【巨人7−4中日、巨人10−0中日】中日・高木守道二塁手は、どうしても東京に行きたかった。10月12日、中日は地元名古屋で20年ぶりの優勝を飾った。その1時間半後、神宮球場で長嶋が引退を表明。高木が「13日の中日ダブルヘッダーがラストゲーム」と知ったのは、最大の楽しみであった祝賀会でのビールかけの直前だった。
高校1年の6月、先輩のつてで岐阜商高野球部のコーチにやって来た立教大のスラッガー長嶋に、まだ1年生だった高木はバットスイングに加え、フィルディングをほめられた。東京六大学のスターは15歳の少年のあこがれ。それを励みに、あこがれの人に少しでも近づきたいと、プロに入ってからも大きな目標にしてきた。
決して追いつくことができなかった偉大なる背番号3が引退する。何としても後楽園へ行きたい。しかし、名古屋の人々がそれを許さなかった。13日は雨天中止、翌14日名古屋ではドラゴンズ主力選手の優勝パレードが予定されていた。「20年ぶりの優勝に名古屋は興奮状態だ。パレードに主力選手が顔を出さなかったら納得してもらえない」。中日球団も長嶋引退試合の意味は分かってはいたが、高木をはじめ星野仙一投手ら人気選手のパレード欠席は考えられなかった。
中日は与那嶺要監督に代わり、巨人OBでもある近藤貞雄ヘッドコーチが監督代行を務め東京へ。高木らは長嶋に電話を入れ「申し訳ありません」と、ほとんど涙声で謝った。
秋晴れのダブルヘッダー第1試合。4回、長嶋は左腕村上義則投手から左翼ポール際に飛び込む、現役最後の通算444号(シーズン15号)本塁打を放った。打たれた村上はこれがプロ入り初先発。現役7年間で最初で最後の先発試合で、唯一の黒星が記録されたゲームでもあった。通算20試合1勝1敗。記録よりも、長嶋に本塁打を打たれた最後の投手として名前が残る形となった。
第1試合が終わり、予定になかった長嶋のグラウンド1周のファンへの別れのあいさつ。スタンドではまだ弱冠20歳、プロなんてまだ夢の話だった、後年の三冠王・落合博満青年が、涙でくしゃくしゃになった長嶋の顔を忘れまいと、会社をサボってその一挙手一投足を見つめていた。
落合のように観戦できたファンは幸せだ。球場を取り巻いた約3000人はチケット完売で中にも入れなかった。いつもならチャンスとばかり高値で入場券を売りつけるダフ屋もこの日は違った。「よう稼がせてもらった長嶋ともお別れ。ありがとうって言いたいんや」。男は手元に残った最後の1枚を握り締めて、三塁側の入り口からスタンドへ向かった。
公式戦最後となる第2試合。長嶋は4番に入った。8回、試合は10−0と巨人大量リードも、高田繁左翼手がセーフティーバントをしてまで、長嶋に打順を回した。マウンドには70年の1年だけ巨人に在籍した、佐藤政夫投手。“タコ踊り”といわれた変則投法のサウスポーはルーキーイヤーに長嶋の打撃投手を務め、可愛がられた。「偉大な打者の最後なので緊張した。ヒットを打ってもらいたい気持ちもあったんですが…」。と佐藤球審の松橋慶季は捕手の金山卓嗣にささやいた。「分かっているよな」と…。
2球目。真ん中やや低めのストレート。甘い球だった。が、力んだ長嶋の打球は周囲の気持ちとは裏腹にボテボテの遊ゴロ。空振り三振で始まったプロ野球人生は2186試合、9201打席目、併殺打で幕を閉じた。
「我が巨人軍は永久に不滅です」。有名な引退セレモニーが行われたのは、秋の夕日がほとんど沈んだ午後5時。65年の南海との日本シリーズを観戦して以来、その後は1度も球場に足を運ばなかったとされる亜希子夫人に長嶋は「最後だから見に来るか」と誘ったが、「取り乱すから…」と引退試合にもその姿は球場になかった。「5時ごろは子供さんを歯医者に連れて行きました」とはお手伝いさんの話。長嶋家は静かにこの日を迎え、いつもと変わらぬ1日として過ごした。
ところで、長嶋は「体力の限界を知るに至り、引退を決意した」とあいさつで述べたが、具体的にはどういうことだったのか。あまり伝えられていないが、長嶋は試合後にこう語っている。「打球が野手の正面へ行くようになったと感じた。ということは、力が落ちたということ。バットを折りながらでも、人のいないところへ落ちた僕の打球が正面に行くようになったのが大きい」。
長嶋は引退セレモニー以降も背番号3のユニホームを着続けなければならなかった。来日したニューヨーク・メッツとの親善試合で全国を回り、“引退興行”を約1カ月こなした。11月20日静岡・草薙球場で、ようやく選手としての全日程を終えた。14年間、巨人を指揮した川上哲治監督に代わり、背番号90を付けて長嶋が監督に就任したのは翌11月21日だった。