103

「坂本龍一のRadio Schola」ふりかえり

先月末の3/30、NHK-FMでscholaのラジオ版みたいなものが放送された。

www.nhk.jp

坂本龍一が講師をつとめたEテレの「スコラ 坂本龍一 音楽の学校」。その制作の際に残されていた未発表の対談音声を中心に、ラジオで「聴く」音楽の学校。

なんだかこの説明だと、Eテレの番組収録時の音源が使われているかのようだけど、実際はCDブックのための座談会の録音*1が半分以上使われている。

テーマは「日本の歌謡曲&ポップス」「ドラムズ&ベース」「ロマン派」の3つで、このうち歌謡曲とロマン派がそのCDブックの座談会、D&BだけTV放送用の収録音源が元になっている。D&BはCDブック用の座談会というのをしておらず、YMOの3人とバラカンさんが一同に介したのはそのNHKの収録時だけだった。*2

D&Bの収録には私も毎回渋谷まで出向いてスタジオで立ち会ったが、4人で話していたのはトータル何時間ぐらいだったろうか。よく覚えていないが、2時間にも満たなかったのではないか。千のナイフなどの演奏もあったから、その4人が一緒にいた時間はもっと長かったはずだが。

初めの話に戻ると、「制作の際に残されていた未発表の対談音声」などと言われると、TVではカットされた雑多な部分が寄せ集められて、ボーナストラック的に作られた(ワンランク下の)内容のように思われるかもしれないのだが、少なくとも歌謡曲とロマン派についてはまったくそういうものではない。そこで話されたやり取りはこれまでどこにも公開されていなかったもので、その現場にいた人以外は誰も見ても聞いてもいない内容である。

しかも、どちらも元の音源は4時間ぐらいあったので、その中のそれぞれ15分程度が使われていることを考えたら、放送されたのは雑多な内容どころか厳選された上澄みのさらに上澄みみたいなものである。その希少性がリスナーにどれだけ伝わっているのか、やや不安がある。

この番組を企画したのは、ライツという制作会社の池部さんである。池部さんをはじめ、今回の制作に関わった人たちのクレジットはここで確認できる。
rights.jp

TVと違って、ラジオでは制作者のクレジットというのがどこにも掲載されない。おかしな話だ。最初にリンクを張ったNHKの公式ページにすらない。
↑のライツのページにはクレジットがある。だからそれを確認してほしいのだが、今回の番組で欠かせないメンバーは私の知るかぎり少なくとも4人いる。

一人はその池部さんで、彼はschola TV(Eテレで放送されたやつ)のプロデューサーもやっていた。昨年後半に連絡があり、scholaではまだやり残したことがある、もしCDブック制作時の録音が残っていたらそれを使って番組を作りたいのだが、という企画の相談だった。「まだやり残したことがある」と思う人は世の中にたくさんいるだろうが、それを回収するために行動できる人はなかなかいない。

制作統括の佐渡さん、ディレクターの中村さんも番組の実現に欠かせないキーパースンであった。池部さんは制作会社の人だが、佐渡さんはNHK側の人。池部さんがどれだけ情熱的な人であっても、佐渡さんがいなければNHKで放送されることはなかっただろう。佐渡さんもschola TVの中心的な存在であり、私の記憶では当時のスタッフ全体のトップとして坂本さんやマネジメントとさまざまな調整をしていた。

中村さんはディレクターというとちょっとわかりづらいが、放送された音声を実際に作った人と言えばよいだろうか。中村さんは「RADIO SAKAMOTO」を長年作っていた人であり、坂本さんの信頼も厚かった。この仕事をするのに中村さん以上の適任はいなかったと思う。

4人目のキーパースンは私で、前述のとおり「歌謡曲」と「ロマン派」の音源は私が管理していたものを提供した。その録音はcommmonsにすらなく、私がいなかったら企画自体成立しなかったので、不可欠なメンバーだったと言っても言い過ぎにはならないだろう。

今回私が提供した音源は、何かの拍子に「たまたま見つかった」ものではなく、「ちゃんと管理しておいた」ものである。だから、「残されていた未発表の対談音声」という言い方は実態に比べてややドラマティックに過ぎるかもしれない。それは「残されていた」というより「残しておいた」ものだ。後で必要になったときに「そんな昔のもの、どっかにやっちゃったよ」なんて言いたくないから、PCを何台買い替えてもデータは常に継承してきた。だからそんな私を見つけて「当時の録音ありますか?」と聞いてきた池部さんが一番凄い。発見されたのは録音データではなく私だったのかもしれない。

番組の感想の中には、「ノイズがちょっと・・」というものがいくつかあった。それはそのとおりだと思うが、これは公開する前提の録音ではなく、「とりあえず文字起こしに使えればいい」という低すぎるほど低い目的で録音されたものだから、「それでも良ければ聞いてください」というのが正直なところではある。

「AIとか使って良い感じにノイズ除去できなかったのか?」と言っている人もいて、その気持ちもよくわかるのだけど(自分がリスナーなら同じように思っただろう)、そこまで加工された音声が本当にリスナーの求めるものなのかというと、それはそれで難しい問題という気もする。今回の番組にしても、かなりノイズは除去されているはずだと思うが、これ以上調整されたその音が果たしてどこまで「坂本さんの声」なのかというと、やや心もとない。それはAI美空ひばりならぬAI坂本龍一になってしまわないだろうか。

前述のとおり、元の録音は「歌謡曲」と「ロマン派」のどちらも4時間前後あった。「歌謡曲」は奥中康人先生のレクチャーから始まったので(CDブックをお読みの方にはわかるだろうが)、4時間なんてゆうに超えている。「ロマン派」も中村さんに渡したデータは4時間弱だが、雑談を含めたらもっと喋っている。scholaの座談会に要する時間は回を追うごとに増えていて、4時間というのはまったく短くない。午前に集合して、終わった頃には暗くなっているなんて普通だった。坂本さんの来日中の貴重な時間をこれだけ占有できるというのは、今思えば随分贅沢なことだったと思うし、それだけ坂本さんやマネジメントにとってscholaの比重が大きかったということなのだと思う。

実際のところ、当時の音源を聞き返すのはなかなかしんどいものがある。会の進行は私と坂本さんが適宜入れ替わりながらやっていたが、自分の進行はなんだかいつも今いちで、満足にできたと思ったことは一度もない。何日も前から、もういいというぐらい準備をしていくのだけど、後から文字起こしのために録音を聴くと「ああー・・」という気持ちになる。

ということで、今回の放送もまだ通しては聴けていない。当時のことをあんまりリアルには思い出したくないのだ。提供した音の状態を確認するためにざっくりとは聴いたが、それ以上は無理で、中村さんが作ってくれたのだから大丈夫に決まってると思っている。

幸いというか、座談会の録音は他にもけっこうある。いずれもTV放送とは関係のない、CDブックのための選曲会の録音である。音質は最上と言えるものではない。野生の食材みたいなものだ。養殖でもハウス栽培でもない、しかしそこにしか生えてない素材である。そこに価値を見出す人がいるなら、その期待を適当にアウトプットしてほしい。それが評判としてNHKの意思決定者に届いたら、その野生の食材があなたに供されるかもしれない。

上に書いたとおり、今回の放送が実現するまでには少なくとも4人のキーパースンが必要だった。我々の誰が欠けても実現しなかったということだ。我々の命は永遠ではなく、しかも全員が同時に同じ仕事に携われる瞬間しかこの番組は実現しない。惑星直列みたいなものだ。たとえば私が明日死んだら、私の手元にしかない録音はあなたの耳には届かない。そしてその可能性はけっして低くない。「Radio Schola」は、死蔵されていた坂本さんの声をあなたに届ける数少ない(あるいは唯一の)扉である。この扉を開けたのは池部さんだが、閉じないように支えられるのはリスナーだけである。

それにしても、3テーマ分の録音から50分の放送とは、豪勢にもほどがある。使われなかった部分だけを使ってもさらに何本もの番組ができそうだ。私自身はいつも岡田暁生さんの話を聴くたびについ笑ってしまう。それも心から。その面白さは、坂本さんや浅田さんや小沼さんが同じ場所にいるからこそ発生するものだと思う。岡田さんは、その3人が聞いているからできる話をしている。3人の反応が岡田さんの次の話を引き出している。scholaの座談会にしかない昂揚感。それをぜひ多くの人に体験してほしいと思っている。

*1:私がICレコーダーとかiPod touchとかで録音していたもの。

*2:とはいえD&BのCDブックレットにはTV放送とは別にやり取りされたメールの内容なんかも盛り込まれているし、そもそも作っている人間もまったく別なのでTVとCDブックは別物と思ってもらって良いと思う。