鹿児島・十島村が本土復帰70年 戦後「国境の島」、苦難の歩み

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奥村智司
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 鹿児島県の有人7島からなる十島村(としまむら)が本土復帰から70年をこのほど迎えた。5月に復帰50年を迎える沖縄などと共に、戦後まもなく米軍統治下に置かれ、最初に「日本」に戻った。村の関係者は「島の知られざる苦難の歩みに目を向けてほしい」と訴える。

住民、3千人から680人 村長「無残さ、ひしひしと」

 7島は屋久島種子島と奄美群島の間に位置する。役場は利便性の面から「県本土」の鹿児島市に置く。10日、本土復帰と村制施行の70周年の式典が村役場であった。7島の出張所や公民館と、テレビ会議システムでつないだ。

 1952年の復帰時に約3千人だった住民は、2月1日現在で680人。村内の臥蛇島(がじゃじま)は70年に全島移住で無人島になった。肥後正司村長は式辞で「人の住まなくなった島の無残さがひしひしと感じられる。『第二の臥蛇島』を出してはならない」と昨年の無人化50年の式典で島に上陸した際の思いを述べた。

 また、本土と分離して米軍統治下に置かれた沖縄県や奄美群島、小笠原諸島のような復帰後の振興をはかる特別措置法が、村には設けられなかったことを「大きな格差」と指摘。2022年度末に改定時期を迎える離島振興法による支援の充実を求めた。

 戦後、連合国軍総司令部(G…

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