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ROSSさんの大阪ハクナマタタ



大村彦太郎によって創業された京都の小間物・呉服問屋白木屋は1662年、江戸日本橋通りに進出し、以降京都の白木屋呉服店というブランドイメージをうまく使って江戸の庶民から大奥まで幅広い顧客を獲得している。

元白木屋大阪店のあった場所にある第二野村ビル



明治時代以降の白木屋は、百貨店として発展し、服装の洋装化の波にも乗り、他の百貨店に先駆けてエレベーターを店舗に導入している。

大阪には1903年(明治36年)の第5回内国勧業博覧会への出品をきっかけに進出し、心斎橋2丁目に呉服店を開業している。

白木屋(第二野村ビル)前の堺筋



また、梅田の阪急百貨店は、1920年に神戸本線十三~神戸間を開業した際に、梅田駅構内にできた白木屋の店舗を後に引き継いだもので、白木屋は翌1921年(大正10年)に堺筋に9階建ての新ビルを建ててそちらに移転している。

この頃、市電の幹線が走る堺筋は、北から三越(高麗橋)、白木屋(備後町)、高島屋(長堀橋)、松坂屋(日本橋筋)の4店が並ぶ百貨店通りとなり、心斎橋のような古い商店街に代わって新しい大阪のメインストリートになっている。



1931年(昭和6年)の堺筋と備後町通り近辺の大阪地図を見ると、白木屋百貨店がちゃんと載っていて、南側には野村銀行、北側には山口銀行と書かれている。



野村銀行とは、1948年に大和銀行と行名変更し、2003年には合併によってりそな銀行となったが、いまでもこの場所に本店を構えている。

一方山口銀行とは、1933年に鴻池銀行、第三十四銀行と合併して三和銀行となり、今は三菱東京UFJ銀行となっているが、この場所には今も支店を構えている。



このころの大阪パノラマ地図を見つけたが、堺筋に面し白木屋を挟んで、野村銀行(右側)と山口銀行(左側)のビルもある当時の町並みを3次元で見ることができる。



現在旧白木屋百貨店のあった場所には、昭和48年9月という定礎碑がある第二野村ビルが建っている。

第二野村ビル(堺筋に飛び出したビル)と、りそな銀行本店(後方)



しかし、堺筋進出からわずか11年後の1932年(昭和7年)、白木屋は営業不振で大阪から撤退しているが、同年12月に東京日本橋の白木屋本店で火災が発生し死者14名を出している。


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