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糸魚川にまつわる歴史人物
奴奈川姫(ぬながわひめ)

 JR糸魚川駅前のヒスイロードに入ると、すぐに女性のブロンズ像に出会う。右手を軽く開いて、あなたの握手を求め、左手に宝珠をのせて立っている人こそ、奴奈川姫である。もうひとつの等身大の像が旧市役所前の庭(現 海望公園)に、子どもの建御名方命を右手につなぎ左手にヒスイ製の勾玉を連ねたものを持って立っている。市内にはこうした像が3ケ所あり、奴奈川神社も市内に2社あり、奴奈川姫と大国主命(八千矛命)を祀っている。

 奴奈川姫はヒスイの玉を身につけ、占いごとや呪術を巧みに行っていた女王であった。日本最古の説話・歴史書の『古事記』には、「奴奈川姫は高志(越)の国の賢く美しい姫だと聞いたので、出雲国の大国主命(八千矛命)が求婚に来た」といい、2人の熱烈な恋愛求婚歌謡が謡われている。

 古くは糸魚川・西頸城地方を「奴奈川の郷」と呼んでいた。もっとも古く最初に奴奈川姫のことが書かれた書物は、日本最古の説話書『古事記』で、西暦712年、元明天皇の時代、天皇家の事蹟を書きとどめるために制作されたもの。そのなかで、出雲国の大国主命と高志国との関係のなかで姫の登場が最初で(『古事記』を参照)、次に『出雲国風土記』(733)にも大国主命(天下造所大神命)にもみられます。

 日本最古の『古事記』に書かれていること、また今日残存する完全な風土記の出雲風土記のなかで登場することは重要である。しかも古事記のなかで、姫は高志国にいたこと、「賢く」「美しい」姫であったことに注目しなければなりません。


大国主命は、日本神話の中の出雲神話に登場する神様です。天の象徴である「天照大神」に対し、大地を象徴すると神格でもあります。多くの別名を持っており、これは徳の高さを現すと説明されていますが、元々別の神であった神々を統合したためとも言われています。
大国主命は、越の国に「奴奈川姫」という賢く美しい姫がいると言う噂を聞きいて、求婚するために越の国に訪ねてきます。奴奈川姫は大国主命と歌を贈答し、すぐには求婚に応じなかったものの、一日後に求婚を受け入れ、結婚したといわれます。『旧事本紀』によると、二人の間には諏訪の神「建御名方命」(『出雲国風土記』では美保の神・御穂須々美命)が生まれたとされています。

【コラム 奴奈川姫像はどこにある?】
等身大の奴奈川姫はどこにありますか?と旅の人に聞かれることがこのところ多くなった。姫像がまちのなかに見られるのも、糸魚川の特色の一つといえる。

(1)駅前商店街…たかせ食堂前、握手をすると願いがかなうという
(2)旧市役所跡・海望公園内…海に向い、御子建御名方命を連れ、右手にヒスイの勾玉を持つ、出雲から大国主命の船団がやって来るのをお待ちの様子である。
(3)北陸自動車道蓮台寺パーキング…交通の安全を願って若き姫が庭園内に立っている。
(4)第四銀行前…石像で、八福神の一つに地元の姫神を加えてありがたや通り、大町商店街の繁昌を願って、八福神の一つに加えられた。
(5)青海地域ラベンダービーチ…少し洋風の感じで、ラベンダービーチ入口に立っている。
(6)親不知ピアパーク 翡翠ふるさと館

 これらの立体像と別に看板・壁面等に描かれているものに斉藤カメラ店壁面、北陸自動車道出入口、同自動車道沿いに大国主命・奴奈川姫建御名方命の親子像、姫川の桜堤(右岸)に平成7年7月11日、被害と護岸工事竣工記念の大看板に大国主命と奴奈川姫が描かれている。


奴奈川姫像(海望公園)

[文化財・歴史]
制作: 翠の交流都市 糸魚川市     掲載: いといがわの楽しみ方を発信する情報基地 いといがわベース
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