カワウと人の歴史的かかわり

亀田佳代子(上席総括学芸員)
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 琵琶湖での過去のカワウの生息状況は、昭和初期(1930~40年代)に集められた全国の鳥獣関係の報告集などに記載されています。

 動物学者・川村多實二の論文「琵琶湖に棲(せい)息せる鳥類調査」(34年)には、カワウの生息数は非常に少なく、沖の白石(高島市)に多くても7、8巣程度と書かれていました。

 しかし、その3年後の37年、県保安課の橋本多三郎は、竹生島でゴイサギ、アオサギ、ウが増えていると『鳥獣報告集』で報告しています。樹木枯死を阻止するため駆除が行われたことも、同じ報告集の中で報告されています。

 昭和初期、竹生島で急増したカワウやサギ類による樹木枯死が問題となり、捕獲されていたことがわかりました。

 もっとさかのぼって探してみると、明治時代にも島でウやサギが増え、対応が行われたことを示す資料が見つかりました。

 県の公文書館所蔵の「滋賀県歴史的文書」明う165―38に、次のようなくだりがありました。

 「明治維新後、竹生島の殺生禁断が解かれ、鳥の卵を採りに山に入る人が増えたため、寺社付近に鵜(う)や鷺(さぎ)の生息範囲が広がり、追い払いに困るようになった。早崎村(現在の長浜市早崎町)の20人が捕獲許可を得て他村の者の立ち入りを制止し、寺の依頼を受けて古木を保護してきたが、引き続き捕獲許可を出してほしい」(原文を意訳)

 これ以外にも、同じ明治初期には、樹木保護や農業、漁業の被害防止策としてのウやサギの捕獲が行われていたことを示す文書も見つかりました。

 さらに、捕獲した鳥や卵を利用していたことも分かってきました。当時の人々は、肉や羽根の利用の他、現在の福井県三重県での鵜(う)飼いに使うため、島でカワウを捕獲していたのです。少なくとも明治初期には、森林衰退の防止と鳥の利用が同時に行われていたことがわかりました。

 こうした研究は、私のような鳥類生態学者だけではとうていできないもので、一緒に研究してきた民俗学者によって得られた成果です。(亀田佳代子(上席総括学芸員))

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 滋賀県立琵琶湖博物館 滋賀県草津市下物町1091。開館時間は午前10時から午後5時(最終入館午後4時)。休館日は毎週月曜で休日の場合は開館。現在は新型コロナウイルス対策のため、9月末まで臨時休館。最新の情報は、博物館の公式ホームページをご確認ください。

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