麻原獄中メッセージ公開:今の麻原の変調は麻原が獄中メッセージで予告した通り:アレフの解釈 | 上祐史浩

上祐史浩

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  今の麻原の状態は詐病なのか、そうでないかに関しては、これまでにも記事を書いて、取材にも応じたし、トークイベントでも語ってきた。

 ところが、なぜか一つ肝心なことを言い忘れていた。それは、麻原を絶対とするアレフの中では、今の麻原の状態は、麻原の獄中メッセージで予告された修行であるという解釈があることである。このことは、これまでには、メディアでも全く報道されていない。

 

 まず、その獄中メッセージとは以下のとおりである。

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◎1996年6月14日の麻原獄中メッセージ
 私の気持ちを語りますので、しっかり理解してください。まず、私が物理的に教団を離れることは本意です。これは、皆さんと接見できる時期と私の完全な解脱、公判の成り行き等を見て検討した結果です。しかし私は教団に対して言葉を語りかけないだけであり、今まで以上に強い祝福をしたいと考えています。したがって、私の衣類や寝具や座具等の定期的な入れ替え及び房内での食料品の布施など、あなた方の考えられる接点は、これからの方が大きくすることができるはずですので、そこをうまく活用してください。それによって皆さんが目的としている解脱は非常に早く達成できるはずです。
 また、ノストラダムスに99年真理の弟子達が集まるとありますから、破防法の適用はこの年までなのではないでしょうか。したがって、3年しのげるような体制作りをしっかり行うべきです。(中略)

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 麻原が今現在のような奇行を始めたのは、この99年6月のメッセージから数か月後のこと。それは、愛弟子とされた井上被告が麻原を告発する証言を麻原の公判で始めた時である。その後麻原は弁護士とも接見しなくなり、ついには家族とも接見しなくなった。こうして1997年以降は、麻原の教団への獄中メッセージは途切れることになった。

 

 そして、その変調の数か月前に、このメッセージから判断して、麻原は、少なくとも、教団を物理的に離れ、教団に対して(獄中からも)語りかけなくなることを予告している。その他、その意味は判然としないが、皆さん(=家族や信者)と接見できる時期(とできない時期)があることや、麻原自身の完全な解脱を意識していることがわかる。

 なお、私は、この獄中メッセージが出された1996年当時は獄中にいたので、このメッセージを見たのは、1999年末に出所した後だったと思う。しかし、最近知り合いの記者から、このメッセージをリアルタイムで受け取った当時の教団の最高幹部で、今現在は脱会している者が、このメッセージに基づいて、彼らは、麻原が変調をきたしたのは、麻原の獄中メッセージの予告通りであると当時は解釈していたことを聞いた。

 また、獄中メッセージにはないが、同じく当時の最高幹部(今現在は脱会)の中には、変調をきたした麻原が、獄中で糞尿を垂れ流していることについて、経典の中にそうした類の修行があると主張していたことは、出所後に教団に復帰していた私も記憶している。

 実際に、釈迦牟尼が悟りを開く前の苦行時代には、糞尿にまみれる修行をしたと思われる故事がある(その後の釈迦牟尼は、苦行は無益と否定して中道の悟りを得たとされるが)。例えば、釈迦牟尼は「脱糞行者」(立ったまま大小便をし排泄物を食べる)の修行をしたという(『原始仏典 中部経典Ⅰ』第12経「大獅子吼経」関連資料のHP:https://ameblo.jp/nibbaana/entry-10939760108.html)。

 こうして、麻原が獄中メッセージの中で言及した自らの完全な解脱と関連付けて、アレフの(少なくとも一部の)中には、麻原の変調・奇行は、麻原が自ら獄中メッセージで予告した、麻原の修行であるという解釈があるのである。

 このアレフの中の解釈について、最近のブログ記事やメディア取材において言及しそこなっていた。それは、私個人は、麻原の変調は、彼の従前からの救世主妄想が崩壊した結果としての精神病理的な現実逃避であると認識してきたからである。更に、既にアレフを脱会してから11年が経過しており、当時のアレフの状況に関しては、一部を失念している面があると思う(アレフの信仰を脱却する中で上書きしてしまった部分の記憶と言えばいいだろうか)。

 しかし前に述べたように、当時の取材している記者と交流する中で、当時の記憶がよみがえってきて、改めて考えてみると、今現在も、麻原を絶対とするアレフの少なくとも一部は、麻原の奇行は、麻原の予告した通りの修行と解釈する者がいる可能性が高い。

 今のところ、それを確認できる証拠・資料はないが、当時はそうした解釈があったことは事実であり、今現在も麻原を絶対としているアレフの信者達は、麻原の予告通りであるとまで解釈しているかは別にして、最終解脱者の麻原が、拘留されたくらいで狂ってしまったとは、決して解釈しないことは確かだと思う(さもなければ帰依に反することになるからである)。

 これを端的に言い換えれば、アレフこそが、麻原が全くの詐病であることを確信しているということになる。より正確に言えば、「修行であることを理解できない一般人は、単なる詐病だと思っていたり、精神障害だと思っていたりしている」と解釈している可能性もあるということになる。

 そこで問題になるのが、私が前から指摘している、麻原を心神喪失と見てその執行を停止した場合にアレフに与える悪い影響である。

 つまり、アレフは、麻原がその超人的な力で、自らの修行をする一方で、一般人には心神喪失という錯覚を与えて死刑を回避した、と解釈する可能性がある。そして、いっそう布教にまい進する可能性もあるだろう。

 しかし、信者の中には、葛藤しながら、そのように考えないと帰依に反するために、そう考えるようにしている者も少なからずいると思う。いや私の持論では、すべての宗教の全ての信者には、本人が自覚しているかどうは別にして、多かれ少なかれ、信仰とセットで疑念があるものだと思う。信仰とは、単に信じているだけであって、確かに知っていること、証明されていることではないからだ。

 そして、死刑の執行は、こうした呪縛からアレフ信者を解き放つことになる。それは麻原の妄想からの解放である。

 

 実際、このメッセージの後半部分のノストラダムスの予言云々を見れば、麻原の教義が妄想であることが分る。1996年当時、公安当局は、教団に解散を強制する破防法の適用を申請していた。そして、このメッセージからもわかるように、麻原は、てっきり適用されると思っていたのであるが(実際には適用されなかった)、ノストラダムスの予言で言われた1999年に(何らかの破局が起こるなどして)破防法が無効になるという妄想的な主張をしていたのである。

 

 最後に言えば、私は、この獄中メッセージが、麻原の状態が、単純に詐病を装っているものであるこを示す決定的な証拠だとまでは主張するつもりはない。

 

 実際に、麻原の状態は複雑なようであり、脳の科学的な検査、複数の専門家の鑑定、麻原の言動その他を総合的に検討した司法判断も、詐病の可能性を残しながら、拘禁反応としての精神活動の低下に至っている可能性を認めている(ただし心神喪失ではないとしている)。

 

 しかし、この獄中メッセージによって、1.麻原が獄中でも依然として妄想的な思想・人格を維持していたこと、2.1996年6月から見てそれ以降に、教団に対して(弁護士を通しても)連絡をとらなくなる意思を持っていたことは、事実だと言うことができると思う。

 

 この獄中メッセージは、死刑の執行を判断する法務省も把握している(警察が2000年前後に強制捜査で獄中メッセージを押収した結果、その後は法務省管轄の公安調査庁も所有していることや、近年は一部テレビ局も所有していることを私は確認した)。

 

 そして、この麻原の妄想的な性格は、心理学者によれば、空想虚言症と言われる。これは、嘘をついている自覚がなく、嘘をつく人格障害である。麻原は、救世主だと自分でも思い込みつつ、救世主を演じていたということである。そして、麻原の精神鑑定も行った精神科医の詐病に関する著作によれば、受刑者には、詐病の空想虚言症の者がいるという。すなわち、装っている自覚がなく精神疾患者を装っている者である。

 

 こうしたことから、私は、救世主との妄想を抱いていても、教団を率いる現実性は有していた麻原が、愛弟子の告発証言を含めた精神的なショックのために、現実を受け入れるのではなく、現実から逃避する類の妄想に移行したことが、その後の麻原の変調の本質ではないか、と考えているが、その詳細に関しては、機会を改めたいと思う。