川丸」は1930年にシアトル航路に就航して以来、11年3カ月の間に太平洋を146回横断しています。時は客船全盛期。映画『街の灯』完成後に来日した喜劇王チャールズ・チャップリン、米国公演帰りの宝塚歌劇団など約1万人が乗船し、「氷川丸」にとっても華やかな時代でした。 しかし、日米関係の悪化で41年に航路が休止してからは、在日外国人の帰国と海外残留邦人の引き揚げに携わりました。その後は特設病院船として徴用・改装され、終戦までの3年半で24航海にわたり南方の島々から傷病兵を日本へ運び続けたのです。
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船内の傷病兵
一度に1,000人を収容できる構造でしたが、敗戦が色濃くなった44年末には3,000人近くを乗せて南方の島々と日本の間をピストン輸送し、3万人を超える傷病兵を運んだと推算されています。ほかの大型商船が戦禍を被って次々と沈んでいく中、「氷川丸」は3度触雷しながらも唯一無事に舞鶴港(京都府)で終戦を迎えることができました。『氷川丸物語』(かまくら春秋社)より転載 終戦後も1年半をかけて、南太平洋に残され病気と飢餓に苦しむ兵員や引き揚げ邦人2万8,000人を日本へ輸送し、多くの命を救いました。
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Back Number |
グループ報「YUSEN」 2007年5月号No.597
【表紙のことば】
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