伝言 長浦毒ガス貯蔵庫周辺
写真46 点火試験場トーチカ跡

ここになめらになった岩がありますが、点火試験のトーチカがあったところです。向こう側に発射台があります。そこで、発射式の赤筒、あるいは発射式の発煙筒、通常発煙筒、いろいろありまして、点火試験をします。発煙筒もうまく点火して、これが煙幕をつくるんですけど、煙がでないというのと、いけないんですが、もう一つくしゃみガスというのは、燃焼してはじめて猛烈な毒が発生するんで、そのままでしたら、缶のままで保管できるんですが、この缶がブリキですから、非常に腐食しやすいんです。そういう構造になってますから、よくここで、燃える状態がどんなのかという試験をするところなんです。ですから向こうから、ここにきます。ここにはコンクリートでトーチカいうんですか、もし体にあたったらいけんいうんで、コンクリートの遮蔽するものがここにつくってあったんです。そして、試験官はその中に入って点検するわけなんです。この点火試験場は動員学徒の生徒さんでよく点火試験の様子を見学したんだと思います。岡田先生の動員学徒の語り部の中にも、その様子を絵に描いたものがあります。まあ、そういったようなことで、そのころの学生たちがそれを見ることは、一番大きくひびいてくるのは勇ましい、だから、戦争の罪意識とか、毒ガス製造の罪意識とか、一切なかったと思うんです。これで戦争ができるんか、戦争に勝てるんか、そういうことを思い起こしながらここにきますと、本当に感慨深いです。

点火試験のねらいは、命中度じゃなくて、ガスの発生がうまくいくか、くしゃみ性ガスは、火が中にうまくいくかということですね。発射用のものは一二〇〇ぐらいつくりましたからね。それが、うまく飛ばんといけんのです。それがうまく飛ばんいうことになると、火薬が入っとるんですが、それじゃ効力がありませんから、もうちょっと強力なものを使うとかするんです。

発射赤筒なんか、そこに飛びちっとるですよね。だから、ここらにもあったはずなんですが、一番目に付きやすいですから、早く整理されたんです。あそこに発煙筒がいっぱいいっぱいあったんです。私が歩いて、見つけたんです。あそこらには点火試験の時の発煙筒じゃなくて、戦後処理の残がいがおそらくあるんです。わたしらも忠海に住んでいましたから、毎日のように煙が出るということは、知っとったけど、まさか発射赤筒なんかもやしとるとは思いませんでした。燃やしたという人があるんですが、燃やしたら大変なことになるんですが、そういう人があります。


発射筒点火実験見学(1944.11)

「大久野島学徒動員の語り」(岡田黎子著)より