「玉台新詠」の変更履歴

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  • 最新 06:162019年12月13日 (金) 06:16ぼんちれーど 会話 投稿記録 2,544バイト +969 内容追加→ 時代に近侍の臣であった徐陵に命じて編纂したものといわれる。簡文帝は早く亡くなった兄の昭明太子が文選を編さんし、古来の詩・賦・文章の佳編を総集したのに対し、かれによって漢から梁に至るまでのすぐれた詩集を総集せしめた。その10巻は、五言詩二韻詩1巻に分かれ、その中心は当時流行した「宮体詩」(「宮体」とは「東宮の詩体」の意味と呼ばれる)と綺艶(きえん)と呼ばられる綺羅脂粉の詩が中心となっている。換言すれば当世風の詩の選集で、の武帝をはじめとする皇族やその臣下たちを中心とするが、漢以来の古詩の誠実さの気風は失われていない。資料としても曹植の「棄婦篇」、庚信の「七夕詩」などは本書により伝えられるもの、文選所収の無名氏古詩十九首中9首を枚乗の作とし、「飲馬長城窟行」を蔡邕の作とするなど、比較考証の資となる点が多く、文選とともに古詩研究の重要な書物となっている。 取り消し タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集

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