B.J.ホイットマー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
B.J.ホイットマー
B.J.ホイットマーの画像
プロフィール
リングネーム B.J.ホイットマー
本名 ベンジャミン・ホイットマー
身長 183cm
体重 96kg
誕生日 (1978-01-25) 1978年1月25日(46歳)
出身地 アメリカ合衆国の旗ケンタッキー州オーエンズボロ
トレーナー ハーリー・レイス
デビュー 2000年
テンプレートを表示

B.J.ホイットマーB.J.Whitmer、男性、1978年1月25日 - )は、アメリカ合衆国出身のプロレスラー。本名はベンジャミン・ホイットマーBenjamin Whitmer)。ケンタッキー州オーエンズボロ出身。身長183センチメートル、体重98キログラム。2000年1月23日デビュー。 アメリカではWLWROHなどで活動し、日本ではプロレスリング・ノアで活動。

来歴[編集]

2000年1月23日、HWAオハイオ大会にてプロ・デビュー。後に、ハーリー・レイスが主宰するレスリング・アカデミーでトレーニングを積み、WLWを主戦場とする。2001年6月にWLWの提携先であるプロレスリング・ノアへ初来日。初代GHCジュニアヘビー級王者決定トーナメントにエントリーする。シード枠であったが、菊地毅に敗れた。これ以降、不定期にノアへ参戦を継続する[1]

2003年からは、ROHへ移籍。ハードコア・スタイルを駆使してトップ選手の一人に登り詰める。ROHタッグ王座は4度獲得している[1]

ROHはノアと提携していることから、2005年に久々にノアへ参戦する。以前はノアではジュニアヘビー級戦線で活躍したが、今度はヘビー級戦線へ転向し、同年8月から9月にかけてのツアー参戦では、モハメド・ヨネ潮崎豪ムシキング・テリーKENTA森嶋猛らとシングル・マッチで対戦。熱戦を展開し、観客から好評を得た。以降、再びノアへ不定期参戦することとなる[1]

2007年2月23日、ROHデイトン大会では、当時のROH世界王者であった森嶋猛へ挑戦、敗北した[1]

同年7月、ROHジャパン・ツアーに参画。ジミー・レイブナイジェル・マッギネスとそれぞれシングル対決し、敗北[1]

2008年5月のノア参戦時には、5月18日東京都後楽園ホール大会で、ROH世界選手権者ナイジェル・マッギネス対B.J.ホイットマー対KENTAの3ウェイ・タイトルマッチが行われた[1]。ホイットマーがマッギネスのジョー・ブレイカー・ラリアットに沈み、王者が防衛した。

同月28日には、SEM興行にも登場した[1]

2019年よりAEWにプロデューサー及びコーチとして所属している。

タイトル歴[編集]

ROH世界タッグ王座
  • 7代 : w / ダン・マフ(2004年5月4日 - 2004年5月15日)
  • 11代 : w / ダン・マフ(2005年2月19日 - 2005年4月2日)
  • 12代 : w / ジミー・ジェイコブス(2005年4月2日 - 2005年7月9日)
  • 14代 : w / ジミー・ジェイコブス(2005年7月23日 - 2005年10月1日)

得意技[編集]

  • アドレナリン・スパイク
リバース・パイルドライバーと同型。
雪崩式エース・クラッシャー

入場テーマ曲[編集]

  • Down

参考文献・参考サイト[編集]

  • プロレスリング・ノア『Northern Navig.'08 2005.5.15-6.1』公式パンフレット
  • Roster|ROH Wrestling2012年10月閲覧

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g プロレスリング・ノア『Northern Navig.'08 2005.5.15-6.1』公式パンフレット

外部リンク[編集]

関連項目[編集]