陳就

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

陳 就(ちん しゅう、? - 208年)は、中国後漢時代末期の武将。

正史の事跡[編集]

姓名 陳就
時代 後漢時代
生没年 生年不詳 - 208年建安13年)
字・別号 〔不詳〕
出身地 〔不詳〕
職官 都督
爵位・号等 -
陣営・所属等 劉表
家族・一族 〔不詳〕

劉表軍の黄祖配下。都督の地位に在り、水軍を率いた。建安13年(208年)、孫権の軍勢が江夏を攻撃して来ると、陳就は黄祖から先鋒を命じられ、孫権軍を迎撃した。しかし、孫権軍の先鋒呂蒙の猛攻の前に敗北し、その首級を獲られてしまう。

陳就の死を聞いた黄祖は慌てて江夏城を捨てて逃亡したが、孫権軍の追撃を受けて討ち取られ、ここに黄祖の勢力はついに滅亡した。

物語中の陳就[編集]

小説『三国志演義』も史実同様で、同僚の鄧龍と共に呉軍を迎え撃つ。しかし乱戦の中において、呂蒙に一振りで斬り倒されている。

参考文献[編集]