金瓶梅

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金瓶梅(崇禎本の挿絵)
呉月娘、孟玉楼、西門大姐、陳経済が骨牌で遊んでいるところへ、潘金蓮がやってきた場面(第十七回)。

金瓶梅』(きんぺいばい、拼音: Jīn Píng Méi)は、明代長編小説で、四大奇書の一つ。著者は蘭陵の笑笑生ということになっている。万暦年間(1573年 - 1620年)に成立したと考えられている。タイトルの『金瓶梅』はストーリーの中心となっている3人の女性、潘蓮、李児、春(龐春梅)の名前から1文字ずつ取ったものである。

『金瓶梅』は『水滸伝』の 第二十三話から二十七話までの武松エピソードを拡張し、詳細にしたものであり、『水滸伝』からのスピンオフ作品である。『水滸伝』の武松の虎退治のエピソードを入り口とし、そこに登場する武松の兄嫁の潘金蓮は姦通した後殺されずに姦夫西門慶と暮らし始めるという設定となっている。ストーリーが『水滸伝』から分岐した後は、富豪の西門慶に、金蓮も含めて6人の夫人やその他の女性がからみ、邸宅内の生活や欲望が展開してゆく。『水滸伝』同様に北宋末を舞台とするが、綿密かつ巧みに描写されている富裕な商人の風俗や生活には、明代後期の爛熟した社会風俗が反映されている。

あらすじ[編集]

第四回
西門慶と潘金蓮が武大の隣家で逢引をしている場面。部屋の外で座っている人物が手引きした隣家の老女。(崇禎本の挿絵)

河北清河県薬屋を営む西門慶は大金持ちの趣味人で色事師である。正妻の呉月娘以下4人の夫人がいるにも拘わらず、蒸し餅[注 1] 売りの武大の妻、潘金蓮と密通し、その後武大を殺させて彼女を第5夫人にする。『水滸伝』ではここで西門慶と潘金蓮が武大の弟、武松によって成敗されるが、『金瓶梅』では西門慶は逃げのびる。武松は西門慶ではなく別人を殺めてしまい、武松に同情する人もいたが、西門慶の働きかけもあって孟州に流される。西門慶はさらに隣家に住み未亡人となった李瓶児を第6夫人に迎え、潘金蓮の女中の龐春梅をはじめとする女中たち、使用人の妻たち、芸者たちとも関係を持ち情欲の限りをつくす。

潘金蓮は西門慶を相手にすねたり、怒ったり、また西門慶の夫人たちや愛人たちと喧嘩をしたり、嫌がらせをしたり、彼女らの不満をあおったり、さらには別の男と関係したりとさまざまな出来事を引き起こす。そのうちに李瓶児に待望の男児が生まれるが、嫉妬した潘金蓮は彼女や男児に嫌がらせをつづけ、最後には男児をに襲わせ死なせてしまう[注 2]。子を亡くして失意の中李瓶児も病気になる。呉月娘に対し、「子供ができたら大切に育てて、自分の子供のように人の闇討ちにあってはならない」と言い残して亡くなる。

西門慶はもとの薬屋の他にも質屋呉服屋専売などにも手を広げ、ますます大きな財力を手に入れる。財力のみならず街の提刑所(検察と裁判を扱う役所)の長官となり権力も手に入れる。そのように西門慶はすべての成功を手にしたのだが、潘金蓮は、西門慶が不思議な僧侶から貰った媚薬を、それとは知らず限度以上に西門慶に与えてしまい、西門慶は死んでしまう。西門慶の商才と権力に依存していた家業は破綻し、一人また一人と西門家を去っていく。潘金蓮は不祥事が露見して西門家を追い出される。同じ時期に孟州から戻ってきた武松に色目使いをするが、武松は兄の敵としてようやく潘金蓮を成敗する。

やはり西門家を追い出された春梅は名家に嫁いで他の女たちを見返すが、西門慶の娘婿で、かつて西門慶の家に住んでいた陳経済との再会で転落が始まる。陳経済が殺された後、夫も戦死し、春梅の生活は次第に自堕落なものになっていき、最後には使用人と関係している最中に急死する。

一方、西門家には正妻の呉月娘、西門慶との子で西門慶の死後誕生した孝哥、そしてその他義理堅い使用人たちだけが残されていた。ある夜、昔知り合った不思議な僧侶の寺に呉月娘らが滞在した。その時、僧侶の導きにより西門慶以下亡くなった者たちがそれぞれ別の地で生まれ変わって新しく生を受ける場面を目撃する。次の朝、実は「孝哥は西門慶の生まれ変わりであること」をその僧侶に示され[注 3]、その僧侶の勧めで、西門慶の前世の罪から救うために孝哥を仏門に入れる。呉月娘自身は頼りになる番頭に西門を名乗らせて、西門家の事業を継続させ、長生きして人生を全うした。

作品は次のような結びの詩でしめくくられる。

ひとり書読み嘆きにくれる
めぐる因果を誰が知ろ
豪奢西門世継ぎに困り
狂者経済刃(やいば)にかかる
楼の月影あくまで冴えて[注 4]
瓶の紅梅夜空にしぼむ[注 5]
あわれ金蓮咎めを受けて
浮名千年語り草

小野忍・千田九一訳、『金瓶梅 第10巻』岩波文庫、1974年、p.300

閥閲遺書思惘然 誰知天道有循環
西門豪橫難存嗣 經濟顛狂定被殲
樓月善良終有壽 瓶梅淫佚早歸泉
可怪金蓮遭惡報 遺臭千年作話傳

『金瓶梅』第一百回 韓愛姐路遇二搗鬼 普靜師幻度孝哥兒[2]

登場人物[編集]

西門慶(せいもん けい、さいもん けい)
薬を商う新興商人で道楽者。薬屋から始まって次々に事業を拡張し、権力を手に入れ、また色欲の限りを尽くす。『金瓶梅』の主要なモチーフの一つが因果応報であるが、潘金蓮に夫を薬で殺させ、自らも潘金蓮に与えられた薬で死ぬことになる。また、使用人である来旺の妻(宋恵)を奪ったその因果応報で、死後には自分の妻(孫雪娥)は来旺に奪われる。
潘金蓮(はん きんれん)
仕立て屋の娘。美人で生意気で口が達者。足が小さいことから金蓮と名づけられた[注 6]。女中として出された家の主人との情事がばれて、武大のもとに嫁がされる。その後西門慶と愛し合い第五夫人として嫁ぐ。『水滸伝』の潘金連は単なる無学な女中のように見えるが、『金瓶梅』では音曲に造詣がふかく、楽器の演奏もよくこなす教養のある女性である[注 7] 。李瓶児の子供を殺した報いを受けて、自分の子供も堕胎せざるを得ないはめになる。この子供が授かったのは西門慶の死後の不倫の結果だったからである。
李瓶児(り へいじ)
西門慶の第六夫人。隣の花家の妻であったが西門慶と愛し合う。夫の花子虚が病気で死ぬと、花家の邸宅や財産を持って西門家に嫁いでくる。潘金蓮ともうまくやっていきたいと思うが、潘金蓮にライバル視されているのでうまくいかない。他人の心の機微に疎く、無知で利己的。おとなしく上品な女性[注 8] で潘金蓮とは対照をなしている。子供を殺されて失意のうちに自身も病気で亡くなる。
龐春梅(ほう しゅんばい)
潘金蓮にあてがわれた使用人。元々は呉月娘の女中だったが、潘金蓮が西門家にきたときに呉月娘が彼女に譲った。美人であり、彼女も西門慶の愛人の一人である。闘争心が強い。呉月娘の女中であったころは「孫雪娥に包丁の背で殴られていた」というが、後半部分で孫雪娥をいびり返す。潘金蓮とは信頼し合う仲で、潘金蓮は死後に幽霊となって夢の中で春梅に自分の埋葬を頼む。
呉月娘(ご げつじょう)
西門慶の正夫人。奥向きを統率する。まじめな性格で、正夫人らしい威厳をたもち[注 9] 、西門慶も粗略には扱わない[注 10] 。潘金蓮ら我の強い妻たちの為に気苦労が絶えない。まじめに生きた女性らしく、まっとうに人生を終える。
李嬌児(り きょうじ)
西門慶の第二夫人。妓女出身で金に意地汚く、西門家では家計を取り仕切る。西門慶の死後、真っ先に身の回りのものを盗み出して廓に帰り[注 11] 、さっさと他家に嫁いでいく。
孟玉楼(もう ぎょくろう)
西門慶の第三夫人。多額の持参金を持って嫁いできた資産家の寡婦。 常識的でバランスの取れた性格の持ち主で潘金蓮とも仲がよい。他の夫人たちとは違い、常識的な手順で西門家に嫁いできているし、出るときもきちんと呉月娘に見送られて西門家を出ている。批評家の張竹波の解説では、彼女こそ「本物の美人」であり、それを正当に評価しないのが作者の意図した西門慶の人物像であるとする[5] 。単に"いい人"というだけでなく、自分を脅しにきた陳経済を冷静にあしらい、かえって罠にはめようとするなど豪胆な一面ももつ。
孫雪娥(そん せつが)
西門慶の第四夫人。西門慶の娘の使用人出身で料理場を取り仕切る。スープを作るのが上手い。不平や文句が多く、そのことが元で潘金蓮が西門家にきて間もなくすぐに喧嘩になった。西門慶の寵愛を失い、さしたる財産も持っていないことから、他の5夫人より低く扱われている[注 12]
陳経済(ちん けいさい)
西門慶の娘婿で商人。終盤の主要人物。西門家を追い出された潘金蓮を受けだそうとするが、必要な金の準備が間に合わなかった。出世と転落を繰り返す。良家に嫁いだ春梅と関係を結ぶが、街で起こったトラブルが原因で執事に切り殺される。
武松(ぶ しょう)
武大の弟。人食い虎を素手で退治して有名になる。『水滸伝』では西門慶・潘金蓮に復讐を遂げるが、『金瓶梅』では最初の部分で怒りに任せて西門慶と会っていた下級役人を殺して流刑になる。そして後半の部分で、西門家を追い出されていた潘金蓮を妻に迎えると偽って買いうけ、全てを白状させてから切り殺す。ここでも因果応報の構図が表現されている。つまり潘金蓮は夫の武大を殺した報いとして夫の武松に殺される筋書きである。
武大(ぶ だい)
潘金蓮の前の夫。前妻との間の迎児という名の娘が一人いる。まじめなことが取り柄の醜男で、蒸し餅の行商をする。西門慶と潘金蓮の間をとりもった老婆の策略で、西門慶の渡した砒霜(亜ヒ酸)で潘金蓮に毒殺される。

特徴[編集]

『金瓶梅』は『西遊記』『水滸伝』『三国志演義』とならんで四大奇書と呼ばれるものではあるが、他の三書が街で多数の演者により語られてきた、講談を基に編集された書であるのとは異なり、一人の人物が緻密に構成して書き上げたという点で、中国の白話小説でも画期的なものである[6]。『金瓶梅』は中国文学史上、それまでの『水滸伝』や『三国志演義』などの波乱万丈のストーリーを特徴とする小説からの転換点にあたり、その後の『儒林外史』や『紅楼夢』などの小説に大きな影響を与えた。中国文学者中野美代子は、著書『中国人の思考様式-小説の世界から-』(講談社現代新書、1974年)で、作者と読者(聴衆ではなく)の一対一の関係の設立した中国での最初の小説として、魯迅以降の近代小説の先駆的存在と述べている[7]。複数の作者がいるという説もあるが、第一回から西門慶が死んで財産が散り散りになってしまうことが予告され、それに向かってそれぞれの登場人物の結末に周到に伏線が張られていることから、複数の作者がいたとは考えにくい[8]

『金瓶梅』は『水滸伝』のプロットを利用しているほかにも、一回ものの講談を基にした話本[注 13] 、これを模した白話短編小説の擬話本、事件や裁判を描いた公案小説、元曲などの引用や影響も多くみられる[9]。当時の他の小説も、他の本からの引用やパロディが使われていたが、それが分かったからと言って作者の創作方法や創作意図が明らかになるわけではない[10] 。しかし『金瓶梅』の場合、なぜ作者がその素材を選び、それをどのように使用しているのかということは『金瓶梅』を理解する上での重要なテーマで[10]、パトリック・ハナンが1963年に初めてこのテーマを扱った網羅的な論文を発表した(Source of the Chin P'ing Mei Asia Major N.S. vol X Part I, 1963)。

具体的な素材としては、例えば話本の『清平山堂話本』『警世通言』などが挙げられる[11] 。あるいは好色短編小説の『如意君伝』も素材に取られている[注 14]。この『如意君伝』では、講談やそれを基にした口語文学の写実的な表現方法とは違い、色情描写が詩や駢語[注 15] などの方法で比喩やほのめかしで表される。そして『金瓶梅』でもそのスタイルが取り入れられており、文言小説[注 16]の手法が口語小説に取り入れられているという点で注目すべき点になっている[14] 。李開先の書いた戯曲である『宝剣記』も『金瓶梅』に取り入れられているが、このような戯曲や曲は、作者が実際に見たり聴いたりしたものを自分でも唄い、記憶を基に書いている形跡がある[15]

第四十二回
元宵節(陰暦正月十五日)の出し物の燈籠。この回では元宵節の宴会や燈籠、花火の様子が描かれている。(崇禎本の挿絵))

『金瓶梅』では、先行する『水滸伝』の世界ではほぼ省かれていた女性、愛欲、金銭、仔細な日常描写といった要素が全面的に展開されている。その描写は非常に詳しく、食べ物、飲み物について具体的に列挙し、人物の容姿、着ているものやアクセサリー、その柄やデザイン、色の合わせ方、化粧の様子なども詳細に描写されている。次の部分は李瓶児についての描写である。

(李瓶児は)上には、緋色の地に、五色をあしらった薄絹の長袖の長上着、下には、緑色の地に、金で枝と葉をあしらった百合模様の紗の裙子といういでたち、腰には碧玉の女帯を結び、腕には金の袖どめをはめ、胸には首飾りや瓔珞を垂らし、腰には佩玉を帯び、頭には真珠や翡翠の髪飾りを盛りあげ、鬢にはかんざしを挿し、耳には金台の紫水晶の耳輪、それから珠をくわえた鳳凰の形のかんざしを二本鬢に指しております。白い顔に翡翠の飾りがよく似合い、もすその下から紅おしどりが顔をのぞかせ、さながら嫦娥月殿を離れ、神女筳前に至るといったありさま。

第二十回(『金瓶梅 第3巻』小野忍千田九一訳、岩波文庫、1973年、p.288)

このような表現が衣食住のそれぞれについてあちこちに認められる。あまりに詳細であり、その個所も大変に多いので、「読んでいてうっとうしく思う」という感想さえ持たれるほどである[注 17]

会話や金銭の受け渡しなど、人々の振る舞いが活写されていることも特徴である。中国文学者の日下翠は第二十一回のエピソードを例にとって、描写のリアルさを説明している[16]。 この回では潘金蓮と孟玉楼が他の3人の奥様方からも金を集め、呉月娘を招いてみんなで雪見の宴会をしようと計画を立てるのである。ここでは、例えば、銀の地金またはその加工品を秤で測って取引をする様子が描かれている。もちろん当時は、実際そうやって取引をしていたのである。また、使用人が預かった金をごまかすことが黙認されている様子がわかり、そのことを前提とした上で、苦労して金を集めてきた孟玉楼が使用人に買い物を頼むときに、あまり上前をはねないでね、と釘を刺している。奥様方それぞれの人物の性格に応じて、金の出し方が違う様子も目に浮かぶかのようにうまく描写されている。

作者は男性であるとされているが、女性同士の会話や日常生活の様子が生き生きと描かれている。例えば、女性同士で靴を作る場面がいくつか出て来るが、何色の糸を使ったほうがよいか、どんな模様にするか、など男性なら大して興味もない話をしながら靴を作っている。また、これもやはり男性なら興味のない場面であろうが、髪を結っている様子が描かれている場面もある。作者はおそらく、女性たちの様子を普段からじっと観察しており、そういうことが好きだったのだろうと推察できる[17]

性的な娯楽小説としての特徴であるが、現在の同ジャンルの読み物で頻出するテーマの一つであるレイプの場面は『金瓶梅』にはない。レイプやSMの場面が少ないのは中国の性文学に共通の特徴で、それは作者や読者の属する君子階級では女性は征服すべき対象とはみなされなかったからであろう[18] 。また、西門慶の相手のほとんどは"素人"の女性である。西門慶との場面が描かれている主要な登場人物の中でまがりなりにも性を売り物にするプロと言っていいのは妓女の李桂姐だけだが、パトロンだからしかたなくといった感じであり、描写もおざなりである。おそらく作者は「その気になった女と遊んだ方が楽しい」と知っていたのであろう[19]

作者[編集]

第六十回
西門慶が呉服屋を開店した場面。作者もこの種の商売をしていたのかもしれない。(崇禎本の挿絵)

現存する最古のテクストである『金瓶梅詞話』の序に書いてあることから、作者は蘭陵の笑笑生とされるが、詳細はいまだわからない部分が多い。「蘭陵」は山東省の地名で、文章にも山東省の方言語彙も見られることから、一般的には山東省の人と考えられている。その一方で、当時の大文人の王世貞が、当時権勢を振るっていた厳嵩厳世蕃親子を弾劾するために書いたとも言われる[注 18]が、王世貞は江蘇省の人である。また、現在の上海語に近い呉語と共通する方言語彙も多く現れる[21] ことから呉語地域の出身者という見方もある。なお、蘭陵は名酒を産することで有名なことから、「蘭陵の笑笑生」とは「酒を飲みながら、笑って書いた」くらいの意味のペンネームであり、必ずしも蘭陵の人とは限らないのではないかと日下翠は述べている[22]

具体的な作者名としては他にも李開先[注 19]や屠隆[注 20]も挙げられるが、その主な根拠は李開先のものと分かっている文章が使われていたり、屠隆のものとみられる文章が使われているからである。ただ、『金瓶梅』は当時の俗文学がそうであるように、様々な文章からの引用やそのパロディが非常に多く使われており、李開先や屠隆の文章もそうした素材に過ぎないかもしれない[24]

何かを素材にしたことが分かっている駢語や詩歌の多さから、俗文学の類の大量の書籍を容易に手にすることができた人物ではあるだろう[24]。また、文章のみならず他の素材からプロットを借りてきている部分も多くみられる。もともと『水滸伝』のエピソードを敷衍した話なので、『水滸伝』のエピソードを借りているのは自然なことと言えるかもしれないが、他のさまざまな小説からの借用も多い。作者の構想力、多くの女性の性格を鮮やかに描き分ける描写力などについては並でない文才は認められるものの、詩歌やプロットを創造する類の一流の文人と考えるのは難しい[24]

ただし、単に人の文章を借りて無造作に放り込んだというのではなく、引用元の素材を読者に認識させ、それがどのように『金瓶梅』に生かされているかというように重層的に楽しむことができるように注意を払っていることが認められる[25] 。また、『金瓶梅』の詳しすぎるほどの状況の描写は、"賦"と呼ばれる文学形式、つまり対象を多くの言葉を費やして舗陳しつくそうする特徴をもつ伝統的な文学形式のパロディであるかもしれず、つまり読者として想定しているのは普段から多くの書物を読み親しみ、さらに言えば西門慶のごとく多くの物や女性に囲まれて暮らしているというような人たちだったのであろう[26] 。そして、作者もやはりそのような階層の一員であったと考えられる[26]。身分の低い講釈師が金持ちの生活を想像して書いたものとは考えられず、作中の告発文の様子から考えても作者はかなりの才能、学識を有していたと考えられる[27]

西門慶は作中で質屋、呉服屋、糸屋などの商売を始めているが、薬屋以外の商売については描写が詳しい。このことから、作者はこれらのビジネスについて幅広く詳しく知っていたものと推定できる。実際に作者自身がこのようなビジネスを手掛けていたのかもしれない[28]。ただし、薬屋の商売については具体的なことはほとんど描写されていない。薬屋については『水滸伝』での設定でもあるし、武大を毒殺する薬を入手する先を必要とするから、仮に作者が薬屋を描写できるほど詳しくなくてもこれは外せないのである。

評価[編集]

写本で出回っていたころから、すでに好意的な評価から否定的な評価まで様々であった。当時の著名な文人の一人である袁宏道は「枚乗の“七発”より優れている」[注 21]と絶賛している。枚乗とは賦を得意とした文人である。おそらく袁宏道は衣食住の様子をこまごまと並べ立てて詳細に述べる部分に面白みを見出したのであろう[30] 。また、明の時代は美食、好貨、好色は人として当然の性質として肯定的にとらえる風潮があり、衰宏道もそのような考えを提唱していた[31]

一方で倫理的側面からこの小説を否定したり、そもそも単なる滑稽譚として切り捨てる見方もあった[32] 。例えば李日華は「概ね市井の滑稽譚のきわめて野卑なもので、鋭さは『水滸伝』に遠く及ばない。袁宏道が絶賛したが、物好きにもほどがある」[33] と評価している 。沈徳符は『金瓶梅』を好意的に評価したが、人に出版を勧められたときには、人心を惑わせた罪で閻魔様に非難されるからいやだ、と答えたという[注 22]

清末には「小説の社会効用論」が広まった[35] 。「小説の社会効用論」というのは「小説はフィクションであるから自由にイデオロギーを描くことができ、このことで社会を変革することができる」という考え方である。その影響を受けて『金瓶梅』を社会小説としてみなす見方が出てくる[注 23]

中国で金瓶梅が出版された後、中国国内のみならず満洲語日本語にまで訳されて読まれるようになった。日本には世界に3セットしかない完全な『金瓶梅詞話』のうち2セットが現存している。主要なテクストの一つである崇禎本系のものも、刊行まもなく日本に入ってきており、内閣文庫などに所蔵されている[37]。もっとも流通したのは第一奇書本と呼ばれる系統のテクストで、これも刊行されてそれほど時間を経ずに日本に輸入されている[38]

日本では従来より、淫書であるがゆえに人目を忍んでこっそり読まれていたという見方があった。実際、『金瓶梅』の完訳が出たのは戦後になってからである。しかし江戸時代後期に多く出版された唐話辞書を調べてみると、用例が『金瓶梅』から取られている例も多くみられるし[39]、随筆などでの扱われ方から考えると学問的態度で読まれていたことがわかる[40]。『水滸伝』のようにあまり広まらなかったのは、淫書であるからというより、むしろ難しくて読めないということのようである[41]曲亭馬琴は「雅俗只その書名を知れども、得てよく読むものあること稀なり」[42](タイトルは広く知られているが、きちんと読むことのできるものは少ない)と書いている。

馬琴は江戸時代の『金瓶梅』の読者の一人であるが、馬琴は『金瓶梅』は筋立ても面白くなく、勧善懲悪も不十分(西門慶が武松によって殺されなかったのが不満だったらしい)な淫書であると評した[43]。 とはいえ、馬琴は「新編金瓶梅」という『金瓶梅』の翻案小説を書いている。しかし本人が書いているように[44] ほとんどオリジナルの『金瓶梅』生原型をとどめていない。馬琴は『水滸伝』的な波乱万丈のストーリー展開を描くストーリーテラーであり、『水滸伝』にインスピレーションを得た『南総里見八犬伝』は馬琴の代表作となったが、典型的な話本とは性質の異なる『金瓶梅』の翻案である『新編金瓶梅』の方は失敗作となった[45]

森鴎外が明治13年(1880年)の医学生の生活を描いた小説『』には、主人公が『金瓶梅』を読んで、同輩の学生と女性との関係を推測する場面がある。

『金瓶梅』は当時の口語資料・社会資料としても興味深い。例えば、中国では南宋のころから仏典を専門に出版する経鋪と呼ばれる業者があった。大して需要も大きくないであろう仏典の出版に、寺院などに交じって専門業者が登場したというのは興味深いことである[46] 。そして明の時代になると経鋪は活発に活動するようになっていた。このことに関して、『金瓶梅』の第五十八回に李瓶児が誕生した男の子の健やかな成長を願って『仏頂心陀羅尼経』(『金瓶梅』では『仏頂心陀羅経』)1500冊の印刷を経鋪に頼む場面がある。おそらく当時、実際に日常的に経鋪に仏典の印刷[注 24]を依頼していたのであろう[48]。またこの経典の印刷を勧めたのは西門家に出入りする二人の尼[注 25] で、第五十九回に経鋪で分け前について二人が喧嘩を始めたとある。つまり、この尼のように手数料を取って経典の印刷の仲介する者がいたことを示している[49]

テクスト[編集]

張竹坡批評 第一奇書 金瓶梅
詞話本が発見されるまでは、第一奇書本系統の『金瓶梅』が『金瓶梅』として知られていた。

現在残っているテクストには、『金瓶梅詞話』の系統(『詞話本』)と、明の時代の終わりごろに改定され、その後清の時代を通じて主流になった『第一奇書本』の系統がある。16世紀終わりから17世紀の始めにかけての文人達の日記や書簡に、筆写された『金瓶梅』に関する記述が見つかるので、オリジナルが完成した後しばらくの間は筆写の形で広まっていったものと考えられている。しかし現在写本は残っていない。

異論もあるが、最初に出版されたのは万暦38年(1610年)とされている[注 26]。現在残っている最古の『金瓶梅』は版本である十巻・全百回の『金瓶梅詞話』で、万暦年間から天啓年間に発行されたものである。その後、散逸してしまったが、1932年に『金瓶梅詞話』の完全な版が発見された[6]。これは、序に万暦丁巳(万暦45年、1617年)とあることから万暦本と呼ばれる。現在は『金瓶梅』といえばこの『金瓶梅詞話』を指す。現存する『金瓶梅詞話』は以下のもののみである。

台湾
国立故宮博物院(完整)
1930年山西省介休県で発見されたため「介休本」ともいい、他の『金瓶梅詞話』とは違い中国で見つかったことから「中土本」ともいう。国立北平図書館が購入し所蔵していたが、日中戦争時に北平図書館や故宮文物のうち重要な文物とともにアメリカに移送され、戦後の1965年に中華民国政府に返還されて台北国立故宮博物院に収められた。
日本
日光・輪王寺慈眼堂蔵本(完整)
徳川家康の側近としても有名な天海僧正の蔵書である。朝廷や公家、他の寺院から様々な書物が天海のもとに寄せられたほか、天海自身も積極的に書物を蒐集し、中国の書物も熱心に集めていたらしい[51] 。詞話本に万暦45年(1617年)の序がつけられており、天海が亡くなった1643年までに天海の蔵書に収まっていたとすれば、刊行から20年前後とそれほど間をおかずに日本に入ってきたことになる。
日本
徳山藩毛利氏棲息堂蔵本(完整)
徳山藩3代藩主毛利元次の建てた棲息堂の蔵書である。1708年に作られた蔵書目録にすでに『金瓶梅』が見られるので、それ以前に日本に入ってきたものである。天海の慈眼堂蔵本よりは後に刷られたものらしい[37]
日本
京都大学付属図書館蔵本(残本、二十三回分のみ)

これらの詞話本の系統が筆写本と近い関係にあるといわれているが、誤字・脱字・衍字・重複・脱落が多く、そのため意味不明な箇所も多い、とても難解なテキストである。

明の時代の終わり、17世紀半ばごろに改訂版が出版される。例えば『新刻繍像批評金瓶梅』というような題名の本である。この系統のテクストは日本に2セットと中国に2セット現存しており、そのうち北京大学図書館が所蔵しているものは崇禎年間に出版されたとみられているので崇禎本と呼ばれる[52] 。詞話本には挿絵が入っていないが、崇禎本で挿絵がいれられた。改訂版では詞話本で意味不明だったり、つじつまの合わない箇所、構成上疑問のある個所などを改めている。例えば第十九回に潘金蓮と陳経済が逢引をする場面があるが、第五十二回でもほとんど同じように始まる2人の逢引の場面がある。ストーリーの構成上それぞれの逢引の場面がそこにあるもっともな理由は考えられるものの、同じエピソードが繰り返されるのは不自然である。それで崇禎本の改訂者は、第五十二回の導入部を第十九回との重複がないように変えて、また、第五十三回で陳経済が存在しない逢引に触れているのを書き換えている[53]

また改訂版では、食べ物や着る物の詳細な描写や、唄や会話など、筋に関係なさそうな記述が削除された。特に食べ物の詳細な描写が削除されている。食べ物の描写はほとんどがナレーション的に書かれており、登場人物の行動とは無関係である。それで誰が見ているのか明確である衣服についての描写は残しても、食べ物の描写は削除することにしたのであろう[54]。また、衣服の描写はつまりは女性の描写であり、これを残すことで女性を見つめる男性の視線が強調され、好色の方向が明確になった [55]

色に限らないあらゆる楽しみを書き尽くすかのような詞話本の雰囲気は損なわれたものの、これらの工夫は商業的には成功したらしく、この改訂版が出版された後はこの改訂版が主流になる。清代になって1695年に改訂版に張竹坡が批評を入れた『第一奇書金瓶梅』が出版される。この後出版された『金瓶梅』には大概『第一奇書』の語が入っているので、これらの改訂版を『第一奇書本』という[56] 。現代になって詞話本が発見されるまでは、この改訂版こそが『金瓶梅』であった。

ストーリーの構成上、詞話本と第一奇書本のもっとも大きな違いの一つが第一回の違いである。詞話本ではまず項羽虞妃劉邦戚氏のエピソードを引き合いに出して、以下に悲劇的な結末を迎える男女関係の話をすることを予告した後、武松の虎退治のエピソードでメインストーリーに入る。戚氏が正妻でないので虞妃より過酷な最後を遂げた[注 27] ことにも触れている[注 28] 。一方、第一奇書本では物欲と色欲についてふれたあと、西門慶が仲間と義兄弟の契りを結ぶ場面から始まり、虎退治をした後の武松が清河県にやってくる。詞話本には義兄弟のエピソードは無く、改訂者は主人公の西門慶の悪徳な側面を強調し、それを作品のバックボーンに据えようとしたのかもしれない[注 29]。実際、第一奇書本で、桃園の誓い管鮑の交わりまで引き合いに出して義兄弟の契りを結んだ仲間の一人は花子虚といい、これはその時点で李瓶児の夫である。つまり、西門慶は義兄弟の妻を横取りしたという話になるわけで、西門慶の酷薄さや花子虚の運命の残酷さを一層浮き彫りにしている[58]

また、第五十三回と第五十四回の文章が全く違っている。関連があるかどうかは不明であるが、沈徳符は『万暦野獲編』第二十五巻で、出版の元になった原本には五十三回から五十七回がかけていたので適当に補った由述べられている[注 30]

第八十四回には『水滸伝』第三十二回のエピソードをなぞり、呉月娘が王英にさらわれ宋江に助けられる場面があるが、これは第一奇書本では削除されている。そのほか、詞話本の山東方言が削られている、あるいは各回の表題と冒頭の詩が違うという違いがある。

水滸伝との関係[編集]

『金瓶梅』の第一回から第六回は『水滸伝』のストーリーをなぞっており、その部分は『水滸伝』の文章が同じようにつかわれている。しかし、第二回の潘金蓮と西門慶の最初の出会いを描いた場面で、潘金連の様子を描写する駢語は『水滸伝』で楊雄の妻の潘巧雲の様子を描写する駢語を使用している。『水滸伝』で潘金連の様子を表す駢語は第二十五回の武松が潘金連に会った場面で出てくるが、これは『金瓶梅』の第九回で潘金連が西門慶の家に嫁入りした後の場面で使われている。『水滸伝』での最初の出会いは潘金連を単に艶やかな女としているだけだが、作者はおそらくそれだけでは不十分だと考え、『水滸伝』から艶やかな女性を表す駢語を引用してきたのであろう[59]

一般に駢語というのは人物の容姿、風景や情景を記述する際に用いられ、その表現は類型的である。厳密に言えば、『金瓶梅』で『水滸伝』と同じような駢語が使用されているからと言って、作者が本当に『水滸伝』の駢語を考えていたのかは分からないとは言える。しかし、似たような駢語がさらに別の小説で使われている例を比較すると、やはり作者は『水滸伝』の駢語を見て『金瓶梅』に使用したことがわかる[60]。引用されている文章から、『金瓶梅』の作者が使った『水滸伝』は万暦17年(1589年)天都外臣の序のついている百回本に近い現存しない版であると推定されている[61] 。『金瓶梅』の作者が読んだであろう古い版の『水滸伝』は駢語の多い小説であったらしい[62]

現在認められる共通の駢語を検討すると、同じような状況を表すために『水滸伝』の駢語を使用している[注 31] だけでなく、『水滸伝』で宋江らが都に入城してくる様子を表した駢語の冒頭部分が『金瓶梅』で李瓶児の出棺の行列を表す駢語の冒頭に使われているというような意表を突いた使われ方もしている。前述の通り『金瓶梅』は読書人を読者として想定しているらしく、このような意表をついた使い方に読者が機智と滑稽味を認めたことは十分に考えられることである[63] 。このような手法は他の白話小説には見られない『金瓶梅』独特の特殊な手法である[63]

改訂版の崇禎本・第一奇書本では、『水滸伝』から独立した小説であるようにしようとした意図が見られる[64] 。前述のとおり、第一回の武松の虎退治のエピソードや、第八十四回の呉月娘が宋江に救われる場面は省かれている。駢語の類が多く削られているので、『水滸伝』由来の駢語もほとんど残っていない。

『水滸伝』を含む白話小説で描かれるのは男の世界であり、男同士の紐帯が重要なテーマになっており、女性に対しては嫌悪の目を向けているともいえる。しかし『金瓶梅』の作者は、作者自身が男性であるらしいにもかかわらず、このような男同士の絆に冷めた視線を向け、さらに崇禎本の改定者は第一回に西門慶とその仲間たちの義兄弟の契りを描くことでその方向をより推し進めている[64]

主な日本語訳[編集]

  • 『金瓶梅』 小野忍千田九一訳、岩波文庫 全10巻、1973年-1974年、復刊1992年ほか
    元版は平凡社中国古典文学大系」全3巻。性描写の一部を省略する。
  • 『新訳 金瓶梅』 田中智行訳、鳥影社 上中下、上巻2018年、中巻2021年、下巻は未刊。完訳。
  • 『金瓶梅』 土屋英明編訳、徳間文庫 上下、2007年。性描写は完訳、他は編訳(丁耀亢・続編も刊)
  • 『金瓶梅』村上知行編訳、ちくま文庫 新版全4巻、2000年

金瓶梅を基にした作品[編集]

小説[編集]

漫画[編集]

  • 山上たつひこ『金瓶梅』秋田書店、2010年 - 漫画。1988年に出版された作品を再発行。
  • わたなべまさこ金瓶梅双葉社の漫画、アクションコミックス13巻・双葉文庫全11巻
    • 王世貞厳世蕃中国語版に父を無実の罪で斬首され、妹を手籠めからの自殺に追いやられた。厳世蕃が淫書、奇書に目が無く、指を舐めながらページをめくる癖があることを知った王世貞は、名を隠すと『金瓶梅』を執筆して砒素を同書に塗り、厳世蕃を討とうとする。
  • 竹崎真実まんがグリム童話 金瓶梅』ぶんか社の漫画、電子書籍。紙版コミックスの既刊53巻,ISBN 97848211556992023年3月現在)。

映画[編集]

他多数。

テレビドラマ[編集]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 原文では「炊餅」。これを「蒸し餅」と訳すのは岩波文庫の『金瓶梅』(小野忍・千田九一訳)に倣った。
  2. ^ 元の時代の戯曲『趙氏孤児』で屠岸賈が犬を襲わせて趙盾を殺す方法と同じ。
  3. ^ 西門慶が別の地で生まれ変わることが分かったすぐ後に、孝哥は西門慶の生まれ変わりであると書かれている。話が全く矛盾しているが、日下は、西門慶という人物は『水滸伝』の登場人物である西門慶としての側面と作者自身の投影である側面があり、それぞれの側面ごとに別の結末ができてしまったのであろうとしている[1]
  4. ^ 呉月娘と孟玉楼(西門慶の第4夫人)が人生を幸せに終えたことを言っている。
  5. ^ 李瓶児と春梅のこと。
  6. ^ 当時の女性美の要素のひとつが足の小ささであった。『金瓶梅』第二十二回にも、西門慶の愛人の一人が潘金蓮より足が小さいことを自慢する場面がある。
  7. ^ 武大の前妻との娘の迎児という子供が出てくるが、これは『水滸伝』にはない設定。作者は潘金連を自分で水仕事をするような階層の女性とはしたくなかったので、わざわざ下働きの役に迎児を登場させたのかもしれない[3]。例えば、孟玉楼と李瓶児は西門慶との結婚前の様子が描かれているが、彼女らはお金持ちの家柄で結婚前には身の回りの世話をするばあやがいた。
  8. ^ ただし、これは西門家に来てストーリーの本流にのってきてからの話で、西門家に来る前は夫のある身で西門慶を誘って会いに来させるなど、とても上品とは言えない振る舞いをしている。
  9. ^ 一般的な話として、正妻は第二以下の夫人とは格が違う。家庭内の日常的な管理については夫とほとんど同等の権威をもつ[4]
  10. ^ 時には喧嘩もするが、西門慶は「( 呉月娘は)なかなかいいたちですよ。でなければ、とてもあんなに大勢の人間を手もとにおいておけるもんじゃありません。」と評価し(第十六回)、しばしば西門慶にアドバイスを与えたりもする。
  11. ^ 「第七十九回」で西門慶が死に、そのすぐ後の「第八十回」で身の回りのものを持ち出しはじめ、それがばれて西門家から出される。なお、身の回りのものといえどもすべては西門家の所有物であり、西門慶の亡き後は正妻の呉月娘が認めない限り勝手に持ち出すことはできない。
  12. ^ 第十四回で、李瓶児が西門家に客として訪問した際、孫雪娥の身なりが他の4人より粗末で、西門慶の妻の一人とは気が付かなかったという場面がある。
  13. ^ 話本とはもともとは講釈師の台本のことである。
  14. ^ ただし、『金瓶梅』以前の如意君伝の版は現存しない[12]
  15. ^ 当時の白話小説によく出てくるの一定の句形を持つ段落のこと。例えば、「(金蓮の)そのいでたち、いかにといえば、」の後で改行し、1字下げた段落で『黒地に金をぬいとった、つけ髷(まげ)頭にいただいて、…』(第二回。訳文は小野・千田による)という風に地の文と区別されている部分。
  16. ^ 文言小説とは、代以後の中国小説史の上で、大きな比重を占めてはいなかったために、形態名が与えられていなかったこの分野に対し、前野直彬が仮に付けた呼称である[13]
  17. ^ 例えば、『金瓶梅 第1巻』村上知行編訳、ちくま文庫(新版)、2000年、巻末解説を参照。
  18. ^ 例えば、魯迅がそういう説があることを述べている[20]
  19. ^ 徐朔方「《金瓶梅》的写定者是李開先」『杭州大学学報(社会学版)』1980年、等[23]。李開先も山東省の人であるとされている。
  20. ^ 黄霖「《金瓶梅》作者屠隆考」『復旦学報(社会科学版)』1983年、等[23]
  21. ^ 「金瓶梅従何得来、伏枕略軌、雲霞満紙、勝於枚乗七発多矣。後段在何処、抄意当於何処倒換、幸一的示。」 『金瓶梅資料匪録』方銘編、黄山書社、 1986年一原載『袁宏道集箋校』上海古籍出版社、 1981年[29]。太字強調は引用者による。
  22. ^ 「呉友馮猶龍見之驚喜、慫恿書坊以重價購刻。馬仲良時権呉関、亦勧余応梓人之求、可以療飢。余白・・「此等書必遂有人板行、但一出則家伝戸到、壊人心術。他日閻羅究詰始禍、何詞以対?吾豈以刀愽泥犁哉。」仲良大以為然。遂固篋之。未幾時而呉中懸之国門矣。」」『万暦野獲編』第二十五巻[34]
  23. ^ 例えば、平子は1902年の雑誌『新小説』第8号の「小説業話」の中で「作者が尽きることない怨恨、限りない深痛を抱いて、暗黒の時代にいたが、言葉に出来ず、吐き出すこともならず、小説を借りて叫ぶしかなかった。当時の社会状況の描写からその一斑をみられる。」として、『金瓶梅』は決して淫書ではなく社会小説であるとしている[36]
  24. ^ 『仏頂心陀羅尼経』では写経の功徳が強調されており、それは私財を投じて人に写経させることも含む。写経は宋代になると手で写すだけでなく木版印刷で写され始めるようになる[47]。『金瓶梅』に描かれるのはさらに元を経た後の明の時代。
  25. ^ 尼といっても、ここに出てくる尼は宗教家ないし修行者ではなく、読経や呪いを請負い、ポン引きまがいのことまで手掛ける非常に世俗的な存在である。
  26. ^ 小野によれば「万暦45年以降」だという[50]
  27. ^ 劉邦亡き後、皇后(大后)の呂氏は戚氏を動けないように片輪させた上トイレに閉じ込め、「人豚」と呼ばせた(当時、排泄物を処理するために豚がトイレに飼われていた)。
  28. ^ 潘金蓮も正妻ではない。
  29. ^ 日下の説[57]。西門慶については「極悪人というほどの“極悪”さが感じられないので、改訂者は“悪人”の印象を強めようとしたのではないか」としている。
  30. ^ 「然原本貴少五十三回至五十七回,遍寛不得,有晒儒補以入刻,無論膚浅都便,時作呉語,即前後血脈,亦絶不貫串,一見知其贋作臭。」
  31. ^ 例えば、『水滸伝』で宋江が閻婆惜を殺した状況を描写する駢語が、『金瓶梅』で武松が潘金連を殺す状況に使用されている。

出典[編集]

  1. ^ 6、1995年、pp.163-165。
  2. ^ ウィキソース出典 蘭陵笑笑生 (中国語), 金瓶梅/第100回, ウィキソースより閲覧。 
  3. ^ 日下、1996年、pp.42-43
  4. ^ 藤原他、p.116
  5. ^ 張竹坡: 田中訳、p102
  6. ^ a b 井波律子『中国の五大小説 下 水滸伝・金瓶梅・紅楼夢』(岩波新書、2009年)、『金瓶梅』の巻 p124-127
  7. ^ 荒木、1990年、p.2
  8. ^ 日下、1995年、pp.34-35
  9. ^ 井波律子『中国の五大小説.下 水滸伝・金瓶梅・紅楼夢』(岩波新書、2009年) p188-190
  10. ^ a b ハナン:荒木訳、1994年、p.22
  11. ^ 荒木、1990年、pp.3-10
  12. ^ ハナン:荒木訳、1994年、p.39
  13. ^ 平凡社 中国古典文学大系 42 『閲微草堂筆記 ; 子不語 ; 述異記 ; 秋燈叢話 ; 諧鐸 ; 耳食録』 1971年 。ISBN 978-4582312423 。解説 p.503 。
  14. ^ ハナン:荒木訳、1994年、p.41
  15. ^ ハナン:荒木訳、1994年、p.55
  16. ^ 日下、1996年、pp.6-17
  17. ^ 日下、1996年、pp.27-28
  18. ^ 日下、2001年、p.247
  19. ^ 日下、1996年、pp.144-145
  20. ^ 丸尾、p.128
  21. ^ 『「金瓶梅」中的上海方言研究』,褚半農,2005年,上海古籍出版社
  22. ^ 日下、1996年、pp.36-39
  23. ^ a b 荒木、1990年
  24. ^ a b c 荒木、1990年、p.23
  25. ^ 戸田 2002年、pp.54-55
  26. ^ a b 戸田 2002年、pp.67-68
  27. ^ 日下、1995年、p.34
  28. ^ 日下、1996年、pp.170-173
  29. ^ 戸田、2002年、p.70
  30. ^ 戸田、2002年、p.67
  31. ^ 顧、pp.87-90
  32. ^ 小野・千田、pp.296-297
  33. ^ 味水軒日記(小野・千田、pp.284-285)
  34. ^ 顧、p.98
  35. ^ 森岡、p.7
  36. ^ 森岡、p.8
  37. ^ a b 川島、2010年、p.6
  38. ^ 川島、2010年、p.8
  39. ^ 川島、2010年、pp.12-16
  40. ^ 川島、2010年、p.18
  41. ^ 川島、2011年、p.43
  42. ^ 滝沢馬琴「新編金瓶梅」序文
  43. ^ 川島、2011年、p.54
  44. ^ 天保三年十一月二十六日篠斎宛書簡
  45. ^ 日下、1996年、pp.229-230
  46. ^ 野沢、p.28
  47. ^ 福田、p.8
  48. ^ 野沢、p.17
  49. ^ 福田、p.10
  50. ^ 小野、千田、pp.284-285
  51. ^ 川島、p.5
  52. ^ 小野、千田、pp.278-279
  53. ^ 戸田 2009年、pp.62-65
  54. ^ 戸田 2002年、p.63
  55. ^ 戸田 2002年、p.66
  56. ^ 小野、千田、p.279
  57. ^ 日下、1996年、pp.168-169
  58. ^ 大村、p.193
  59. ^ 荒木、1995年、p.23
  60. ^ 荒木、1995年、pp.24-25
  61. ^ ハナン: 荒木訳、1964年、p.24
  62. ^ 荒木、1995年、p.34
  63. ^ a b 荒木、1995年、p.33
  64. ^ a b 大村、p.194

参考文献[編集]

単行本
雑誌論文

関連文献[編集]

関連項目[編集]

  • 水滸伝
  • 肉蒲団 - 金瓶梅と並んでよく知られている中国の性文学で清朝時代のもの。

外部リンク[編集]