ワイルド・ビル・ムーア

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ワイルド・ビル・ムーア、1981年撮影

ワイルド・ビル・ムーア (Wild Bill Moore) として知られた、ウィリアム・M・ムーア(William M. Moore、1918年6月13日 - 1983年8月1日)は、ジャズリズム・アンド・ブルースの分野で活動したアメリカ合衆国のテナー・サクソフォーン奏者[1]

ムーアは、テキサス州ヒューストンに生まれた。その後、デトロイトに住んでいた1937年に、アマチュア・ボクシングの組織であるミシガンゴールデングローブライトヘビー級王者となり[1]、しばらくはプロ・ボクサーとして活動しながら、アルト・サックスを演奏していた。チュー・ベリー (Chu Berry) やイリノイ・ジャケー (Illinois Jacquet) の影響を受けて1944年にテナー・サックスに転じ、メンフィス・スリム (Memphis Slim) の妻だったクリスティン・チャットマン (Christine Chatman) のレコーディングで初めて録音を残した。翌年、ムーアはロサンゼルススリム・ゲイラード (Slim Gaillard)、ジャック・マクヴィー (Jack McVea)、ジョー・ターナーデクスター・ゴードンなどとの演奏や録音を始め、ヘレン・ヒュームズ (Helen Humes) のヒット・レコード「Be-Baba-Leba」の録音にも参加した。

1947年デトロイトに戻ると、自身のバンドを組んで録音を始めたが、このバンドには後に楽曲「The Hucklebuck」で有名になったサクソフォーン奏者ポール・ウィリアムズ (Paul Williams) も参加していた[1]。この年の12月、ムーアは「We're Gonna Rock, We're Gonna Roll」をサヴォイ・レコードに吹き込んだが、これはそこそこのヒットとなり、後に「最初のロックンロール・レコード」の候補のひとつに挙げられるようになった。1951年当時、この曲は、アラン・フリードが「ムーンドッグ (Moondog)」と名乗って放送していたラジオ番組で真っ先に放送したレコードのひとつであった。しかし、当時の水準に照らしてみても、この録音はごくごく素朴なものであり、おもな聞き所は、歌詞で「ロック」と「ロール」を一緒に使ったことと、ムーアとウィリアムズのサックスの掛け合いくらいである。ムーアは、1949年に「Rock And Roll」という曲も吹き込んでいるが、この曲のボーカルはスキャットマン・クローザースだったとされている[2]

その後もムーアは、吹き込みや、デトロイト一帯のクラブでの演奏を続けた。この時期には、リバーサイド・レコード傘下のジャズランド (Jazzland) というレーベルから本格的なジャズのアルバムを数枚出した。1971年、ムーアはマーヴィン・ゲイに探し出され、アルバム『ホワッツ・ゴーイン・オン』の吹き込みに参加し、「マーシー・マーシー・ミー (Mercy Mercy Me)」などを演奏した。

晩年は、カリフォルニア州ロサンゼルスに戻り、65歳で没するまで当地で過ごした。

1992年に出版された『What Was the First Rock 'n' Roll Record?』において、著者のジム・ドーソン (Jim Dawson) とスティーヴ・プロープス (Steve Propes) は、ムーアと彼の影響力があった楽曲「We're Gonna Rock, We're Gonna Roll」について、1章を割いて記述した。

おもなディスコグラフィ[編集]

  • Wild Bill's Beat (Jazzland), 1961
  • Bottom Groove (Jazzland), 1961
  • The Real Thing, (Houston Person), (Eastbound), 1973
  • Things That I Used To Do, (Big Joe Turner), (Pablo), 1977

脚注[編集]

外部リンク[編集]