ロキシー・ミュージック

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ロキシー・ミュージック
マッセイ・ホール公演にて(1974年)
基本情報
原語名 Roxy Music
出身地 イングランドの旗 イングランド ロンドン
ジャンル
活動期間
レーベル
公式サイト Roxy Music
メンバー
旧メンバー 後述を参照

ロキシー・ミュージック (Roxy Music)は、1972年にデビューしたイングランドロックバンドブライアン・フェリーの個性的なヴォーカルを中心に、芸術志向のグラム・ロックなどを発表した。

バンド名の「ロキシー」は、1950年代にイギリスで事業展開していた映画館チェーン「ロキシー」に因む[8]

来歴[編集]

結成[編集]

フェリーは農業労働者の父親を持つ労働者階級の出身で、ニューカッスル大学美術を学びながらザ・ガス・ボード(The Gas Board)[9]などのバンドで音楽活動を行なった。1968年、彼は大学を去って[10]ロンドンに移り、女子校の美術講師をしながら陶芸の創作活動をしていた[11]。やがて彼は、ロンドンで音楽関係の仕事に就いていた元ザ・ガス・ボードのグラハム・シンプソン[12]にピアノを借りて、曲を書き始めた。

1970年初冬、彼はキング・クリムゾンのヴォーカリストのオーディションを受けた[注釈 1][13][14]。キング・クリムゾンには合わないと判断されて不合格だったが、良いセンスがあると感じたロバート・フリップにE.G.マネージメント[注釈 2]の電話番号を手渡され、連絡してみるように勧められた。

彼はバンドを結成すべくメンバーを集め始め、シンプソンはベーシストとして参加した。メロディー・メーカーにキーボーディストの募集広告を出し、応募してきたアンディ・マッケイを木管楽器奏者として迎えた。1971年1月には、マッケイが連れてきたブライアン・イーノがテクニカル・アドバイザーとして合流し、やがてテープとVCS3シンセサイザーを操作するメンバーになった[15]

同年春先にはギタリストのロジャー・バン(Roger Bunn)[16][17]が加入。さらにアメリカ人でクラシック音楽の打楽器奏者だったデクスター・ロイド(Dexter Lloyd)がドラマーとして加入し[18]、彼が脱退すると、メロディー・メーカーの広告に応募したポール・トンプソンが加入した[19]。5月には、フェリー、マッケイ、バン、シンプソン、イーノ、トンプソンの顔ぶれでデモを制作した[注釈 3][20][21]。バンは9月に脱退し、やはりメロディー・メーカーの広告によって元ザ・ナイスデヴィッド・オリストが加入した[22]

バンドの名前はフェリーとマッケイが作成したリストを基にロキシー・ミュージックに決まった[15][注釈 4]。この間、彼等はライブ活動を殆んど行なわなかった[23][注釈 5]。フェリーはアントニー・プライス[24](ファッション・デザイナー)、ニコラス・デ・ヴィル[25][26][注釈 6]視覚芸術家)、エリック・ボーマン[27](写真家)、サイモン・パックスレイ[28](広報)など、将来長きに渡って共に活動していくことになる面々と接触して、デビューに備えていた[29]

1971年12月、フェリー(ヴォーカル、キーボード)、マッケイ(オーボエ、サクソフォーン)、オリスト(ギター)、イーノ(テープ、シンセサイザー)、シンプソン(ベース)、トンプソン(ドラムス)からなるロキシー・ミュージックは幾つかのライブ活動を行ない[30]、E.G.マネージメントのオーディションを受けて[31]関係者を納得させ、契約成立に向けて大きく前進した。

1972年 - 1976年[編集]

1972年 - 1973年[編集]

1972年1月4日、BBCのスタジオでBBC Radio 1の音楽番組『ピール・セッションズ』の録音を行なった[21][32][注釈 7]。その直後にオリストが脱退した[33][注釈 8]ので、彼等は元クワイエット・サンのギタリストで数か月前からサウンド・ミキサーの肩書きで帯同していたフィル・マンザネラ[注釈 9]を急遽正式メンバーに昇格させた。数週間後の2月14日、E.G.マネージメントとの正式な契約が成立した。

彼等は元キング・クリムゾンのピート・シンフィールドをプロデュ―サーに迎えて[34]、3月14日から29日まで[35]アルバムを制作。完成直後にシンプソンが脱退[36][注釈 10]したので、シンフィールドの推薦を受けたリック・ケントン[注釈 11][37]を準メンバーに迎えて[注釈 12]、5月末から国内ツアーを始めた[38]。6月16日にアイランド・レコードから1stアルバム『ロキシー・ミュージック』を発表。ジャケットにはモデル兼女優のカリー・アン[注釈 13]を起用。当時のロンドンはデヴィッド・ボウイの『ジギー・スターダスト』が発売された直後のグラム・ロック・シーン全盛期で、アントニー・プライスがデザインした奇抜な衣装をまとって特異なスタイルの音楽を披露する彼等のデビューはグラム・ロック一派[注釈 14]の新星誕生として大きな話題を集め、アルバムは全英チャートで最高10位を記録。7月に1stシングルとして発表されたアルバム未収録の新曲「ヴァージニア・プレイン[注釈 15]も、8月に全英チャートで最高4位のヒット曲になった[39]。国内ツアーではボウイの『ジギー・スターダスト』ツアーのサポート・アクトも務めて[40]さらに人気と注目を集め、彼等は翌1973年のNMEニュー・ミュージカル・エクスプレスの"Most Promising New British Name"部門で1位に輝いた[注釈 16]

1973年2月、クリス・トーマスジョン・アンソニーをプロデュ―サーに迎えた2作目のシングル『パジャマラマ』を発表。フェリーと同じく元ザ・ガス・ボードのジョン・ポーター英語版[注釈 17][41]がベースを担当[42]。3月、同じ顔ぶれで制作した2ndアルバム『フォー・ユア・プレジャー』を発表[注釈 18]。「男装の麗人」アマンダ・レアが登場したジャケットが話題となるとともに、「ドゥ・ザ・ストランド」「エディションズ・オブ・ユー」「イン・エヴリ・ドリーム・ホーム・ア・ハートエイク」などに象徴されるグラム・ノワール(Gram noir)と形容されたサウンドが注目を集め、全英でデビュー・アルバムを上回る最高4位を記録してチャートに計27週間留まった[44]。同アルバムには収録されなかった「パジャマラマ」のシングルも全英で最高10位を記録した[45]

彼等は大きな成功を収めた一方で、内部に軋轢を抱えていた[46]。主導権を握っていたメンバーは殆ど全ての楽曲を一人で書いた[注釈 19]フェリーだったが、最も人気と注目を集めたのはイーノ[注釈 20]だった。女装さながらのきらびやかな衣装をまとってテープとシンセサイザーを操作するイーノの存在感は、キーボードを弾きながら歌うフェリーのそれを上回った[47]。その結果、両者の間に緊張関係が生まれ、成功を重ねるにつれて、その度合いは増えていった[48]

『フォー・ユア・プレジャー』発表後、彼等はベースにサル・メイダ[49]を起用して1973年3月半ばから5月末までイギリスとヨーロッパをツアーした[注釈 21][注釈 22]。コンサートはいずれも盛況だったが、スターはイーノであることはもはや誰の目にも明らかだった。彼は前年にフリップとのレコーディングなどの課外活動を幾つか開始していたので[注釈 23]、コンサートの取材に来た報道陣に囲まれる機会もそれだけ多かった。

同年7月8日、彼等はヨーク・ミュージアム・ガーデンズで開催されたミュージック・フェスティバルに出演した。イーノ目当てで来ていた一部の聴衆が彼の名を連呼し続け、あまりの喧騒に進行に支障が生じて、彼は聴衆を鎮める為に一旦ステージから退かざるをえなくなった[50]。フェリーはコンサートが終わった後、もうイーノとは仕事しないとマネージメントに宣言。数日後、イーノはマネージメントに呼び出され、自分はもはやロキシー・ミュージックのメンバーではないことを通告された[50][注釈 24]

1973年 - 1976年[編集]

彼等は喧騒にあふれた未来派的なサウンドのグラム・ロックを離れて「ヨーロッパ浪漫主義的方向」を追求し始め、イーノの後任にカーヴド・エアエディ・ジョブソン(キーボード、ヴァイオリン)を選んだ。彼等はそれまで多少なりとも「ノン・プレイヤーの集まり」という印象を持たれていた[注釈 25][51]が、確かな演奏技術を持つジョブソンを迎えて、さらに多くのファンの根強い支持を得た。1973年11月に3rdアルバム『ストランデッド』を発表して全英チャートで遂に1位を獲得[52]。それに先立ち、フェリーは同年10月にソロ・アルバム『愚かなり、わが恋英語版』を発表。ボブ・ディランプラターズザ・ビーチ・ボーイズらをカバーし、好評を得た。

1974年11月、4thアルバム『カントリー・ライフ』発表。全英チャートで3位[53]。更に耽美・叙情性を増した音楽性もさることながら、シースルーの下着だけの女性2人[注釈 26][54][55]というジャケットが物議を醸し、カナダでは2人とも消され、ドイツでは1人の顔だけ、アメリカでは袋入りで発売、といった具合に様々な措置が取られた。右側の黒い下着の女性は、もとは男性である[信頼性要検証][56]

1975年10月、5thアルバム『サイレン』発表。ジャケットに写っているモデルのジェリー・ホール[注釈 27]は、当時フェリーの恋人だった。全英チャートで4位[57]。本作からの先行シングル「恋はドラッグ(Love Is the Drug)」は、全英2位・全米30位のヒットを記録し、アメリカでロキシー・ミュージックの名を広めた。同年10月、ジョン・ガスタフソン[注釈 28]を準メンバーに迎えてイギリス・ツアー[注釈 29]、11月から翌1976年3月までリック・ウィルスを迎えて北米とスカンジナビアでツアーが行なわれ、新旧の楽曲に加えて、フェリー、マンザネラ、マッケイのソロ・アルバムの収録曲も取り上げられた[注釈 30][59][60]

同年6月末、解散を発表[61]。同年8月、ライブ・アルバム『VIVA!ロキシー・ミュージック』が発表された。

1978年 - 1983年[編集]

解散後、ソロ活動を行なっていたフェリー[62][注釈 31]、イーノと結成した801やフェリーのソロ・ツアーで活動していたマンザネラ、TV番組『ロック・フォリーズ』の音楽監督などを務めたマッケイ、フェリーのソロ活動に協力していたトンプソンの4人は、1978年にロキシー・ミュージックを再結成[63]。これまでのベースに加えてキーボードにも準メンバーが起用されることになった。

1979年3月、ゲリー・ティブス(ベース)、アラン・スペナー(ベース)、ポール・キャラック(キーボード)を起用して、4年ぶりの新作アルバム『マニフェスト』を発表。以前よりもポップな音作りに変化した[独自研究?]が、退廃的な美学は不変であった。同アルバムは全英チャートで最高位7位[64]を記録して計34週間に渡って登場し続け、全米チャートでも最高位23位[65]を記録した。「ダンス・アウェイ」がシングル・カットされて全英2位[66]。アルバム発表に伴なってワールド・ツアーが始まり、ヨーロッパ、アメリカ、さらに4月末には初の日本公演が行なわれ、5月の約3週間のイギリス・ツアーで幕を閉じた[注釈 32][67][68]

同年後半、デビュー当時からのメンバーで、ファンから"The Great Paul Thompson"の称号を与えられて[69]熱烈な支持を受けてきたトンプソンが、新作アルバムの制作が始まる前に脱退[70]。正式メンバーはフェリー、マンザネラ、マッケイの3人になった。ドラムスにもセッション・ミュージシャンを起用して、1980年5月にアルバム『フレッシュ・アンド・ブラッド』を発表[70]。オリジナルの新曲に加えて初めて他人の曲を取り上げた[注釈 33]同アルバムは6月に全英チャートの首位を記録し、一週間でその座を降りたものの、8月末に再度返り咲き、そのまま9月にかけて3週間居座った[71]。彼等のアルバムが全英で首位に立ったのは、『ストランデッド』(1973年)以来だった。同年後半に「オーヴァー・ユー」、「オー・イエー」、「セイム・オールド・シーン」がシングル・カットされ、前2曲はいずれも全英チャートで5位、「セイム・オールド・シーン」は全英12位を記録し[71]、同年公開されたアメリカ映画『タイムズ・スクエア』で使用された。ツアーは5月から8月までヨーロッパとイギリスで行なわれ、ティブス、キャラック、アンディ・ニューマーク(ドラムス)、ニール・ハバード(ギター)が参加した[72]

同年12月8日にジョン・レノン射殺されると、彼等はドルトムントWestfalenhallenで12月19日と20日に開かれたRock Popに両日出演してコンサートを開いた際、最後にレノンを追悼して「ジェラス・ガイ」を披露した。その翌週に同曲を録音して1981年2月に発表すると、彼等のシングルで初めて全英チャートの首位に輝いた[73]

1982年5月、復活第3弾アルバム『アヴァロン』を発表。全英1位を獲得[74]し、彼等のアルバムで最も評価が高く[75]人気がある[43]とされる。先行シングル『夜に抱かれて』は全英6位を記録した。その後、1982年8月中旬から10月1日までヨーロッパ各国[注釈 34]とイギリス、1983年2月に日本、同年4月末から5月末までアメリカとカナダと大規模なワールド・ツアーが行なわれ、3人の正式メンバーとニューマーク、ハバード、スペナー、フォンジ・ソーントン(バック・ヴォーカル)らの計11人がステージに立った[76]。8月27日のフレジュス公演の模様は、VHS『ザ・ハイ・ロード』(1983年)[77][注釈 35]として発表された。また同年9月30日のグラスゴー公演の音源からは、4曲入りEPザ・ハイ・ロード』(1983年)が発表された。

ツアー終了後、彼等は解散した[78]

2001年以後[編集]

ロンドン・ エクセル展覧会センター (2006年7月)

2001年 - 2011年[編集]

2001年、再結成。ワールド・ツアー[79]。3度目の来日公演。

2010年、フジロックフェスティバル '10(7月31日)[80]。にて4度目の来日。同年にはサマーフェスティバルツアー(6月17日 - 9月11日)を敢行[81]

2011年、「For Your Pleasure」バンド結成40周年記念ツアー:英国アリーナツアー(1月25日 - 2月7日)・オーストラリア - ニュージーランド・ツアー(2月 - 3月)[82]

2019年[編集]

2019年、ロックの殿堂入り。受賞者はフェリー、シンプソン、マッケイ、イーノ、トンプソン、マンザネラ、ジョブソン、ジョン・ガスタフソン[83]。3月29日の授賞式には、フェリー、マッケイ、マンザネラ、ジョブソンが出席した。

2022年[編集]

2022年、デビュー・アルバム『ロキシー・ミュージック』の発売50周年を記念し、11年ぶりに再結成ツアーが行なわれた[84]。9月から10月にかけて、カナダ、アメリカ、イギリスでコンサートが合計13回催された。

メンバーと担当楽器[編集]

在籍中のメンバー
名前 担当楽器 在籍期間
ブライアン・フェリー
Bryan Ferry
ボーカル
キーボード
ピアノ
リズムギター
1970年 - 1983年
2001年 - 2011年
2019年
2022年 -
アンディ・マッケイ
Andy Mackay
サクソフォーン
オーボエ
キーボード
バッキング・ボーカル
1970年 - 1983年
2001年 - 2011年
2019年
2022年 -
ポール・トンプソン
Paul Thompson
ドラムス 1971年 - 1980年
2001年 - 2011年
2022年 -
フィル・マンザネラ
Phil Manzanera
リードギター
バッキング・ボーカル
1972年 - 1983年
2001年 - 2011年
2019年
2022年 -
旧メンバー
名前 担当楽器 在籍期間
グラハム・シンプソン
Graham Simpson
ベース 1970年 - 1972年
※2012年没
ブライアン・イーノ
Brian Eno
シンセサイザー
キーボード
テープ
1971年 - 1973年
ロジャー・バン
Roger Bunn
ギター 1971年
デクスター・ロイド
Dexter Lloyd
ドラムス 1971年
デヴィッド・オリスト
David O'List
ギター 1971年 - 1972年
リック・ケントン
Rik Kenton
ベース 1972年
ジョン・ポーター
John Porter
ベース 1972年 - 1973年
サル・メイダ
Sal Maida
ベース 1973年 - 1974年
(ライブのみ参加)
エディ・ジョブソン
Eddie Jobson
キーボード
シンセサイザー
エレクトリック・ヴァイオリン
1973年 - 1976年
2019年
ジョン・ガスタフソン
John Gustafson
ベース 1973年 - 1975年
※2014年没
ジョン・ウェットン
John Wetton
ベース 1974年 - 1975年
(ライブのみ参加)※2017年没
リック・ウィルス
Rick Wills
ベース 1975年 - 1976年
(ライブのみ参加)
ゲイリー・ティブス
Gary Tibbs
ベース
バッキング・ボーカル
1979年 - 1980年
デイヴ・スキナー
David Skinner
キーボード
バッキング・ボーカル
1979年 - 1983年
ポール・キャラック
Paul Carrack
キーボード
バッキング・ボーカル
1979年 - 1982年
アラン・スペナー
Aran Spenner
ベース 1979年 - 1983年
※1991年没
ニール・ハバート
Neil Hubbard
ギター 1980年 - 1983年
アンディ・ニューマーク
Andy Newmark
ドラムス 1980年 - 1983年
スティーヴ・グールディング
Steve Goulding
ドラムス 1982年

タイムライン[編集]

ディスコグラフィ[編集]

スタジオ・アルバム[編集]

ライブ・アルバム[編集]

  • VIVA!ロキシー・ミュージック』 - Viva! (1976年 第6期)
  • 『ザ・ハイ・ロード』 - The High Road (1983年 第9期) ※EP。4曲収録
  • 『ハート・スティル・ビーティング(ライヴ・イン・フランス1982)』 - Heart Still Beating (1990年 第8期-2)
  • 『ベスト・ライヴ』 - Concert Classics (1998年 第7期) ※タイトル違いの再発盤多数。日本盤は『ライヴ・イン・アメリカ 1979』としても再発
  • Valentine (2000年)
  • Vintage (2001年) ※1972年-1975年ドイツ録音
  • 『リフレクション』 - Reflection (2001年) ※上記アルバムの増補盤
  • 『ライヴ』 - Roxy Music Live (2003年 第10期)
  • 『マンチェスター・マニフェスト』 - Manchester Manifesto (2011年 第7期)

コンピレーション[編集]

  • 『グレイテスト・ヒッツ』 - Greatest Hits (1977年)
  • The First Seven Albums (1981年)
  • 『アトランティック・イヤーズ』 - The Atlantic Years 1973–1980 (1983年)
  • 『ストリート・ライフ (20グレート・ヒッツ)』 - Street Life: 20 Great Hits (1986年) ※ブライアン・フェリーのソロ曲も収録
  • 『ジ・アルティメイト・コレクション』 - The Ultimate Collection (1988年) ※ブライアン・フェリーのソロ曲も収録
  • The Early Years (1989年)
  • The Later Years (1989年)
  • 『ロキシー・ミュージック BOX 1972 - 1982』 - Thrill Of It All 72-82 (1997年)
  • 『ザ・ベスト・オブ・ブライアン・フェリー・アンド・ロキシー・ミュージック』 - More than This (1995年) ※ブライアン・フェリーのソロ曲も収録
  • 『TOKYO JOE-ザ・ベスト・オブ・ブライアン・フェリー / ロキシー・ミュージック』 - Tokyo Joe - The Best Of Bryan Ferry & Roxy Music (1997年) ※ブライアン・フェリーのソロ曲も収録
  • 『ザ・グレイテスト』 - The Greatest (1998年)
  • 『ベスト・オブ・ロキシー・ミュージック』 - The Best of Roxy Music (2001年)
  • The Platinum Collection (2004年) ※ブライアン・フェリーのソロ曲も収録
  • 『コンプリート・スタジオ・レコーディングス 1972-1982』 - The Complete Studio Recordings 1972–1982 (2012年)

シングル[編集]

  • 「ヴァージニア・プレイン」 - "Virginia Plain" / "The Numberer" (1972年 第5期 ベース:リック・ケントン) ※日本盤は「パジャマラマ」とのカップリング
  • "Pyjamarama" / "The Pride And The Pain" (1973年 第5期 ベース:ジョン・ポーター)
  • 「ロキシー・ストランド」 - "Do The Strand" / "Editions Of You" (1973年 第6期)
  • 「ストリート・ライフ」 - "Street Life" / "Hula Kula" (1973年 第6期)
  • 「オール・アイ・ウォント」 - "All I Want Is You" / "Your Application's Failed" (1974年 第6期)
  • 恋はドラッグ」 - "Love Is The Drug" / "Sultanesque" (1975年 第6期)
  • 「ボス・エンズ・バーニング」 - "Both Ends Burning" / "For Your Pleasure (Live)" (1975年 第6期)
  • "Trash" / "Trash 2" (1979年 第7期)
  • 「ダンス・アウェイ」 - "Dance Away" / "Cry Cry Cry" (1979年 第7期)
  • 「エンジェル・アイズ」 - "Angel Eyes" / "My Little Girl" (1980年 第7期)
  • 「オーヴァー・ユー」 - "Over You" / "Manifesto" (1979年 第8期-1(A面)、第7期(B面))
  • 「オー・イエ」 - "Oh Yeah (On The Radio)" / "South Downs" (1980年 第8期-1)
  • 「セイム・オールド・シーン」 - "The Same Old Scene" / "Lover" (1980年 第8期-1)
  • ジェラス・ガイ」 - "Jealous Guy" / "To Turn You On" (1981年 第8期-1 ベース:ゲイリー・ティブス(A面)、第8期-2(B面))
  • 「夜に抱かれて」 - "More Than This" / "India" (1982年 第8期-2)
  • 「アヴァロン」 - "Avalon" / "Always Unknowing" (1982年 第8期-2)
  • "Take A Chance With Me" / "The Main Thing" (1982年 第8期-2)

ビデオグラフィ[編集]

※以下、一部は参考文献より引用[85]

  • The High Road(1983年)
  • Total Recall(1990年)
  • On The Road(1992年)
  • Bryan Ferry & Roxy Music: The Video Collection(1995年)
  • Psalm(1997年)
  • Valentine(2000年)
  • Vintage(2001年)
  • Roxy Music Live At The Apollo(2002年)
  • The Thrill Of It All(2007年)[86]

日本公演[編集]

1979年[編集]

  • 4月26日 名古屋市公会堂
  • 4月27日 大阪フェスティバルホール
  • 4月28日 日本武道館

1983年[編集]

  • 2月1日 大阪フェスティバルホール
  • 2月2日 大阪フェスティバルホール
  • 2月3日 名古屋市公会堂
  • 2月5日 福岡サンパレス
  • 2月7日 京都会館
  • 2月9日 日本武道館
  • 2月10日 日本武道館

2001年[編集]

  • 9月7日 東京国際フォーラム
  • 9月8日 東京国際フォーラム
  • 9月9日 東京国際フォーラム

2010年[編集]

  • 7月31日 フジロックフェスティバル

その他[編集]

1972年の夏にフジテレビの若者向け番組『リブ・ヤング!』においてロンドンで注目されているファッションが取り上げられ、「ロキシー・ファッション 出演者募集」という企画があった。ジョニー大倉がこの企画に応募し、同年10月8日キャロルが出演した。当時のブライアン・フェリーの衣裳や髪型は、1950年代ロックンロール・ファッションをリメイクしたデザイン、という印象を与えるものであった[8]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 他にオーディションを受けたのは、ボズ・バレル、キング・クリムゾンのマネージャーだったE.G.マネージメントのジョン・ゲイドン(John Gaydon) らで、バレルが採用された。
  2. ^ キング・クリムゾンのマネージメント会社で、EGレコードを運営していた。
  3. ^ 「レディトロン」「2 H.B.」「チャンス・ミーティング」「ボブ〈ザ・メドレー)」の4曲。
  4. ^ リストにはOdeon、Gaumont、Essoldoなど映画館の名前が並んでおり、その中からRoxyが選ばれた。その後、アメリカにRoxyというバンドがいる事が明らかになったので、Roxy Musicになった。
  5. ^ いわゆるデビュー前の「ハコ回り」の類がないというのは異例である。
  6. ^ 大学時代に知り合った。
  7. ^ 「リ-メイク・リ-モデル」「ボブ〈ザ・メドレー)」「ウッド・ユー・ビリーヴ?」「イフ・ゼア・イズ・サムシング」「シー・ブリーズィズ」の5曲。この時の音源は同月21日に放送された。
  8. ^ 元ザ・ナイスのオリストはメンバーの中で知名度が最も高かった。彼は自分に注目が集まりがちだったので他のメンバーから追い出されたと主張している。
  9. ^ 彼は前年にバンの後任ギタリストに応募したが、オーディションで不合格に終わった。その数か月後にミキシング担当として採用され、イーノの助手のような役割を担っていた。
  10. ^ 母親の病死で鬱に陥って、活動がままならなくなった。
  11. ^ ケントンはキング・クリムゾンのオリジナル・メンバーだったマイケル・ジャイルスと親しかった。
  12. ^ この後、彼等はベーシストの正式メンバーを持たなかった。準メンバーとしてサル・メイダ(1973年-1974年、ツアー)、ジョン・ガスタフソン(1973年-1975年)、ジョン・ウェットン(1974年-1975年、ツアー)、リック・ウィルス(1975年-1976年、ツアー)、ゲイリー・ティッブス(1978年-1980年)、アラン・スペナー(1979年-1983年)、ニール・ジェイソン(1980年-1983年)らが参加した。
  13. ^ Kari-Ann Muller。後にミック・ジャガーの弟クリスと結婚した。
  14. ^ この分類は、50年後の現在でも採用されている。
  15. ^ ベースはケントンが担当。デビュー・アルバムの再発CDには収録された。
  16. ^ そのほか「ヴァージニア・プレイン」が"Best UK Single"部門の2位、フェリーが"Best UK Male Singer"部門の17位。
  17. ^ 後にプロデューサーとして、フェリーの初ソロ・アルバム『愚かなり、わが恋』(1973年)やスミスのアルバムなどを手がけた。
  18. ^ フェリーはこのアルバムが最も気に入っている[43]
  19. ^ シングル『ヴァージニア・プレイン』と『パジャマラマ』のB面収録曲はマッケイ作だった。
  20. ^ 当時は単にEnoと名乗り、日本では『エノ』と表記された。
  21. ^ イギリス・ツアーで前座を務めたのは、後にフェリーのソロ活動や21世紀のロキシー・ミュージック再結成を支えたクリス・スペディングが率いるシャークスだった。
  22. ^ アマンダ・レアの紹介で、パリに滞在中に、ル・モーリスに居住していたサルバドール・ダリを訪問した。
  23. ^ イーノは1972年にマッチング・モウルのセカンド・アルバム『そっくりモグラの毛語録』に客演してシンセサイザーを演奏した。この時、同アルバムのプロデューサーを務めたフリップと意気投合し、同年9月にイーノの自宅のスタジオで「ヘヴンリー・ミュージック・コーポレーション」を録音。フリップは同年10月より、キング・クリムゾンのコンサートのオープニングに同曲の録音テープをかけるようになった。
  24. ^ 約20年後、フェリーはソロ・アルバムの制作に際してイーノに協力を依頼。詳細はブライアン・フェリ―を参照。
  25. ^ イーノの脱退が発表された時、フェリーの表向きのコメントは「一つのバンドに2人のノン・ミュージシャンは多過ぎる」だった。
  26. ^ Constanze KaroliとEveline Grunwald。Karoliはカンのギタリストであるミヒャエル・カローリの妹で、Grunwaldはカローリの当時のガールフレンドである。アルバムには無記名。
  27. ^ のち、元ミック・ジャガー夫人。
  28. ^ 『ストランデッド』『カントリー・ライフ』『サイレン』でベースを担当。
  29. ^ 加藤和彦率いるサディスティック・ミカ・バンドが前座を務めた。
  30. ^ 1976年1月27日のストックホルム公演をSR International – Radio Swedenが収録して放映した約45分の番組が、同年12月30日にNHK総合テレビジョンの『ヤング・ミュージック・ショー』で放映された。曲目は「ザ・スリル・オブ・イット・オール」、「マザー・オブ・パール」、 「ナイチンゲール」、 「アウト・オブ・ザ・ブルー」、 「ストリート・ライフ」、「ダイアモンド・ヘッド」、「ワイルド・ウィークエンド」、「ジ・イン・クラウド」、「ヴァージニア・プレイン」、「はげしい雨が降る」[58]
  31. ^ 「レッツ・スティック・トゥゲザー」を収録した同名アルバム(1976年)、「Tokyo Joe」を収録した『あなたの心に』(1977年)を発表。1977年2月にワールド・ツアーを開始し、同年6月初来日。メンバーはフェリー(Vo, Key, Harmonica)、マンザネラ(G)、トンプソン(Dr)、クリス・スペディング(G)、ジョン・ウェットン(B, Vo)、アン・オデール(Key, Vo)、メル・コリンズ(Sax)、マーチン・ドローヴァー(Trumpet)、クリス・マーサー(Sax)。
  32. ^ イギリス・ツアーのマンチェスター公演の模様はグラナダ・テレビジョンで放映され、後に約一時間に編集されてVHSとして発売された。
  33. ^ ウィルソン・ピケットの「イン・ザ・ミッドナイト・アワー」とザ・バーズの「霧の8マイル」の2曲。
  34. ^ ヨーロッパ・ツアーの第一部はキング・クリムゾンが務めた。
  35. ^ 1990年にアルバム『ハート・スティル・ビーティング』が発表された。

出典[編集]

  1. ^ a b c d e Erlewine, Stephen Thomas. “Roxy Music Biography, Songs, & Albums”. AllMusic. RhythmOne. 2022年7月24日閲覧。
  2. ^ Ray, Michael, ed (2012). Disco, punk, new wave, heavy metal, and more: Music in the 1970s and 1980s. Rosen Education Service. p. 107. ISBN 978-1615309085 
  3. ^ Boyd, Brian (2014年5月23日). “And on the seventh day, Eno released a not-very-good album. Hallelujah!”. 2022年7月24日閲覧。
  4. ^ Lester, Paul (2015年6月11日). “Franz and Sparks: this town is big enough for both of us”. The Guardian (Guardian News & Media). https://www.theguardian.com/music/2015/jun/11/franz-and-sparks-this-town-is-big-enough-for-both-of-us 2022年7月24日閲覧。 
  5. ^ Reynolds, Simon (2012年9月2日). “Roxy Music: the band that broke the sound barrier”. The Guardian (Guardian News & Media). https://www.theguardian.com/music/2012/sep/02/roxy-music-40-years 2022年7月24日閲覧。 
  6. ^ DiBlasi, Loren (2018年5月25日). “Let These Vintage Roxy Music Tracks From This Day in 1983 Start Your Long Weekend”. Paste. Paste Media Group. 2022年7月24日閲覧。
  7. ^ LaMoury, Adrian (2018年2月23日). “Roxy Music’s For Your Pleasure”. Felix Online. Imperial College Union. 2022年7月24日閲覧。
  8. ^ a b 和久井光司「新しい時代を告げたロキシーの「リ・メイク/リ・モデル」」『ストレンジ・デイズ』(2007年11月号、p35中段)より。
  9. ^ Buckley (2004), pp. 27–28.
  10. ^ Buckley (2004), p. 31.
  11. ^ Buckley (2004), pp. 32–33.
  12. ^ Buckley (2004), pp. 28, 32, 33, 35.
  13. ^ http://ultimateclassicrock.com/king-crimson-in-the-wake-of-poseidon/
  14. ^ Buckley (2004), pp. 33–34.
  15. ^ a b Buckley (2004), p. 42.
  16. ^ Discogs”. 2024年2月5日閲覧。
  17. ^ Buckley (2004), pp. 43, 44.
  18. ^ Buckley (2004), p. 43.
  19. ^ Buckley (2004), pp. 49–50.
  20. ^ Thompson (2022), p. 18.
  21. ^ a b Discogs”. 2024年4月7日閲覧。
  22. ^ Buckley (2004), p. 46.
  23. ^ Buckley (2004), p. 44.
  24. ^ Buckley (2004), pp. 50–52.
  25. ^ Discogs”. 2024年2月23日閲覧。
  26. ^ Buckley (2004), pp. 25, 26, 28, 50.
  27. ^ vogue.com”. 2024年2月23日閲覧。
  28. ^ Discogs”. 2024年2月23日閲覧。
  29. ^ Buckley (2004), p. 50.
  30. ^ Buckley (2004), p. 51.
  31. ^ Buckley (2004), pp. 59–60.
  32. ^ Buckley (2004), p. 58.
  33. ^ Buckley (2004), p. 61.
  34. ^ ストレンジ・デイズ』(2007年11月号、p27上段)より。
  35. ^ Thompson (2022), p. 27.
  36. ^ Buckley (2004), pp. 75–76.
  37. ^ Discogs”. 2024年4月6日閲覧。
  38. ^ Buckley (2004), pp. 76–77.
  39. ^ Buckley (2004), pp. 81–82.
  40. ^ Buckley (2004), p. 77.
  41. ^ Buckley (2004), p. 28.
  42. ^ Buckley (2004), pp. 112–113.
  43. ^ a b 池田聡子「ブライアン・フェリー(インタビュー)」『ストレンジ・デイズ』(2007年11月号、p32下段)より。
  44. ^ Buckley (2004), p. 120.
  45. ^ Buckley (2004), p. 113.
  46. ^ Buckley (2004), p. 60.
  47. ^ Buckley (2004), pp. 125–131.
  48. ^ Buckley (2004), pp. 122, 125, 126–127, 128–131.
  49. ^ Discogs”. 2024年4月6日閲覧。
  50. ^ a b Buckley (2004), p. 131.
  51. ^ Thompson (2022), p. 44.
  52. ^ Buckley (2004), p. 163.
  53. ^ Buckley (2004), p. 179.
  54. ^ Buckley (2004), pp. 180–181.
  55. ^ Young, Rob; Schmit, Irmin. All Gates Open: The Story of Can. London: Faber & Faber. p. 228. ISBN 978-0-571-31152-1 
  56. ^ 「ロキシー・ミュージック & ブライアン・フェリー・アルバム・ガイド」『ストレンジ・デイズ』(2007年11月号、p9上段)より。
  57. ^ Buckley (2004), p. 197.
  58. ^ ヤング・ミュージック・ショー ―ロキシー・ミュージック&フリートウッド・マック― | NHKクロニクル | NHKアーカイブス”. 日本放送協会. 2022年7月24日閲覧。
  59. ^ Buckley (2004), p. 199.
  60. ^ 城山隆『僕らの「ヤング・ミュージック・ショー」』情報センター出版局、2005年、386頁。ISBN 978-4795843622 
  61. ^ Buckley (2004), p. 201.
  62. ^ nhk.or.jp”. 2023年11月4日閲覧。
  63. ^ Buckley (2004), p. 230.
  64. ^ Buckley (2004), p. 234.
  65. ^ Buckley (2004), p. 237.
  66. ^ Buckley (2004), p. 232.
  67. ^ Buckley (2004), pp. 236, 367.
  68. ^ Discogs”. 2024年3月10日閲覧。
  69. ^ Buckley (2004), p. 48.
  70. ^ a b Buckley (2004), pp. 238–239.
  71. ^ a b Buckley (2004), p. 240.
  72. ^ Buckley (2004), pp. 239–240.
  73. ^ Buckley (2004), pp. 243–245.
  74. ^ Buckley (2004), p. 251.
  75. ^ ストレンジ・デイズ』(2007年11月号、p29上段)より。
  76. ^ Buckley (2004), pp. 252–255.
  77. ^ Discogs”. 2024年3月16日閲覧。
  78. ^ Buckley (2004), p. 256.
  79. ^ Roxy Music World Tour 2001』より。
  80. ^ フジロックフェスティバル '10【ラインナップ】」より。
  81. ^ ROXY MUSIC 公式サイト > TOUR DATES
  82. ^ Bryan Ferry and Roxy Music Tour Dates – Live Concerts and Gigs”. Roxyrama.com. 2011年7月20日閲覧。
  83. ^ ロキシー、ゾンビーズ、ジャネット、ロックの殿堂入りに喜びのコメント”. BARKS. ジャパンミュージックネットワーク (2018年12月14日). 2019年2月2日閲覧。
  84. ^ ロキシー・ミュージック、11年ぶりのリユニオン・ツアー発表”. MUSIC LIFE CLUB. シンコーミュージック・エンタテインメント (2022年4月4日). 2022年7月24日閲覧。
  85. ^ Buckley (2004), pp. 365–370.
  86. ^ Discogs”. 2024年2月7日閲覧。

引用文献[編集]

  • Buckley, David (2004). The Thrill of It All: The Story of Bryan Ferry & Roxy Music. London: Andre Deutsch. ISBN 0-233-05113-9 
  • Thompson, Dave (2022). Roxy Music in the 1970s. London: Sonic Bond Publishing. ISBN 978-1-78952-180-1 

参考文献[編集]

ウェブサイト

出版物

外部リンク[編集]