リス・ゴーティ

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リス・ゴーティ(1900年 - 1994年)。1934年の写真。

リス・ゴーティ(Lys Gauty, 1900年2月14日 - 1994年1月2日)はフランスシャンソン歌手。情感あるアルトの声を持ち、パリミュージック・ホール「ア・ベ・セ」の花形として活躍した。日本ではとりわけ「パリ祭」(本来の題名は「巴里恋しや (A Paris dans chaque faubourg)」)がルネ・クレール監督の映画巴里祭 (Quatorze Juillet)』の主題歌(1933年録音)として親しまれている。

経歴[編集]

本名はアリス・ゴーティエ (Alice Gauthier)。1908年、パリ近郊のルヴァロワ=ペレに生まれる。父親は自動車修理工で、家は貧しかった。ゴーティはデパートの帽子売り場で売り子をしながら歌を勉強した。当初はクラシック音楽を学び、次第にシャンソンに傾倒するようになる[1]

パリでデビューするが、1920年代はほとんど無名だった。このころ、ゴーティのマネージャーをしていたガストン・グレネールと結婚。ゴーティの才能を見いだしたのは、キャバレー「シェ・フィシェ」のトルコ人経営者ニルソン・フィシェで、ゴーティの初レコーディングはフィシェ作曲による「夢の楽園 (Paradis du rêve)」(1928年、グラモフォン)である[1]

1932年、4月に録音した「海賊の花嫁 (La fiancée du pirate)」が同年度ディスク大賞を獲得する。これはクルト・ヴァイル作曲の舞台作品『三文オペラ』中の楽曲であった[2]。1933年、ドイツを離れてパリに滞在していたヴァイルは、ゴーティのために「セーヌの嘆き (La complainte de la Saine)」、「あんたを愛していないわ (Je ne t'aime pas)」を書いた。このほか、「巴里恋しや」(上記)、「過ぎゆく艀船 (Le chaland qui passe)」(「すぎ行くはしけ」、「去り行くはしけ」とも)などで人気を確立する[2]

1934年から、プァソニエール大通りにオープンしたミュージック・ホール「ア・ベ・セ」の初代看板スターとして出演。同年、「暮れゆく港 (Le bistrot du port)」がヒットする。さらにフランス6人組のひとり、アルテュール・オネゲル作曲の「艦隊の歌 (Chanson de l'escadrille)」、「いざりの歌 (Canson du cul-de-jatte)」も歌った[3]

1938年、映画『流しの女演歌師』に主演。翌1939年には南米公演を果たして喝采を浴びる。しかし第二次世界大戦が勃発し、ステージ活動に制約を受けることになった[4]

戦後は「アランブラ」で歌い、「カジノ・モンパルナス」でオペレッタ『私の女演歌師』に出演するが、その後は第一線を退き、ニースで音楽塾を開いた[5]

脚注[編集]

  1. ^ a b 藪内1993、266頁。
  2. ^ a b 藪内1993、267頁。
  3. ^ 藪内1993、268頁。
  4. ^ 藪内1993、268-269頁。
  5. ^ 藪内1993、269頁。

参考文献[編集]

  • 藪内久『シャンソンのアーティストたち』松本工房、1993年。ISBN 4-944055-02-1