ホーエンザルツブルク城

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ホーエンザルツブルク城を
東北東から望む

ホーエンザルツブルク城(Festung Hohensalzburg)は、オーストリア共和国北西部の都市ザルツブルクにある城。1996年世界遺産ザルツブルク市街の歴史地区」の一部として登録された。

歴史[編集]

ザルツブルクの街並と

1077年神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世ローマ教皇グレゴリウス7世の間に起きた聖職叙任権闘争後に、教皇派の大司教ゲプハルト・フォン・ヘルフェンシュタイン1世が、皇帝派の南ドイツ諸侯のカノッサの屈辱への報復を恐れて市の南端、メンヒスブルク山山頂に建設した防衛施設[1]マイセン辺境伯コンラート1世1098年頃 - 1157年)の代にほぼ完成した。神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世"バルバロッサ"(在位1152年 - 1190年)によるザルツブルク焼討ちでも焼失を免れた。15世紀後半になるとハプスブルク家バイエルン公等の周辺諸侯の攻撃や市民の反乱に備えて強化され、鐘楼、薬草塔、鍛冶の塔、囚人の塔、武器庫、穀物貯蔵庫等が建設され、防壁が強化された。ナポレオン戦争によるナポレオンのフランス軍の占領後の1816年からは、ザルツブルク市街とともにハプスブルク家の支配下に入った。 2012年9月、トリップアドバイザーの企画「バケットリスト」の「世界の名城25選」に選ばれた[2]

ホーエンザルツブルク城(右奥)とザルツブルク市街とザルツァハ川

施設[編集]

ライスツーク
ケーブルカー
フェストゥングスバーン

参考画像[編集]

最寄りの観光名所[編集]

脚注[編集]

  1. ^ デジタル大辞泉の解説”. コトバンク. 2018年5月13日閲覧。
  2. ^ 死ぬまでに行きたい世界の名城25
  3. ^ Kriechbaum, Reinhard (2004年5月15日). “Die große Reise auf den Berg” (German). der Tagespost. オリジナルの2012年6月28日時点におけるアーカイブ。. https://archive.is/20120628225245/http://www.die-tagespost.de/Archiv/titel_anzeige.asp?ID=8916 2009年4月22日閲覧。 
  4. ^ Der Reiszug - Part 1 - Presentation”. Funimag. 2009年4月22日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

座標: 北緯47度47分42秒 東経13度02分50秒 / 北緯47.79500度 東経13.04722度 / 47.79500; 13.04722