ペイトンプレイス物語

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ペイトンプレイス物語』(ペイトンプレイスものがたり、Peyton Place)は、アメリカ合衆国プライムタイムソープオペラである。

概要[編集]

原作はグレース・メタリアスの長編小説『ペイトン・プレイス』で、1956年に刊行され、出版後18ヶ月で米国で800万部を売るベストセラーになった。この記録は1965年までのアメリカ小説のトップに位置している。1957年にマーク・ロブソン監督、ラナ・ターナー主演で同題で映画化され、日本での邦題は『青春物語』である[1]。邦訳は『楡の葉のそよぐ町』(山西英一訳、新潮社、1957年、抄訳)があり、のち『ペイトン・プレイス物語』と改題され、本ドラマの放送にあわせて1978年に三笠書房から再刊された。ドラマはこの原作に基づきつつ自由にストーリーを展開させたものである。

20世紀フォックステレビジョンによってプロデュースされ、ABCネットワークによって30分間のエピソードが全514回、1964年9月15日から1969年6月2日まで放送された。放送は1964年から1966年までは白黒で、1966年から1969年まではカラーであった。

放映開始時は一週間に二度放映され、両方の回ともニールセン視聴率調査でトップ20にランクインした。ABCは、1965年秋より放映を一週間に三度に増やしたが、視聴率が再びトップ30に入ることはなかった。そして、ドラマの制作ペースは1週間あたり2回分に落とされた。

1968年、視聴率が落ち込んだことで、一度逃げた視聴者を取り戻さなければならなくなり、ドラマの放映時間は8時30分に繰り下げられた。1969年には回を重ねるごとに視聴率が下がり、6月にドラマの終了が発表されるまで、1週間に1回放送されるだけになった。

シリーズは1972年4月3日から1974年1月4日までReturn to Peyton Placeと題され、昼間のシリーズとして復活した。昼間のシリーズでは、ゴールデンタイムのシリーズから3人の俳優が出演し、それらの役柄~フランク・ファーガソンはイーライ・カーソン、パトリシア・モローはリタ・ハリントン、イヴリン・スコットはアダ・ジャック~を再び演じた。しかし、昼間のシリーズは、ゴールデンタイムのシリーズのような成功を収めることはできなかった。

スタッフの一人であるポール・モナッシュは「ソープオペラ」という言葉を嫌い、代わりに番組を「テレビ小説」と呼んでほしいと望んだ。

番組終了後、1977年に単発のテレビ映画「Murder in Peyton Place」を放映。ドロシー・マローンやエド・ネルソン、ティム・オコナーなどが出演する一方でミア・ファローは回想シーンのみの登場となり、さらにこの作品のキーパーソンとなったステラ・チャーニック役はリー・グラントではなくステラ・スティーブンスが演じた。

1985年には2度目の単発作品「Peyton Place: The Next Generation」が放映。マローン、ネルソン、オコナーなどが継続して出演する一方で若手俳優が多数出演。その中にはデビュー間もないブルース・グリーンウッドもいた。

オープニング[編集]

毎回のエピソードは、教会の鐘楼の上に「ペイトンプレイス」という文字が大きくはいるショットと鐘の音で始まる。白黒放送の時は教会の鐘の音に合わせ、「連続ドラマ『ペイトンプレイス物語』です」と告知が入った。1966年、カラー放送に切り替わったのに伴い、告知が「カラー放映で、連続ドラマ『ペイトンプレイス物語』」に変更された。

プロット[編集]

最初のストーリーは、同じタイトルの本(1956年)と映画邦題『青春物語』(1957年)を元に構想された。発端は、ニューイングランドの小さな町で広まるゴシップ。最初のエピソードでは、マイケル・ロッシ医師(エド・ネルソン)が、ペイトンプレイスの町で開業しにニューヨークからやって来る。新聞記者、マシュー・スウェイン(ワーナー・アンダーソン)は、普通ペイトンプレイスのような町は、住もうとするのではなく逃げようとするものだとロッシ医師に言う。

マシューのめいのアリソン・マッケンジー(ミア・ファロー)は、親友で同級生であるノーマン・ハリントン(クリストファー・コネリー)の兄、ロドニー(ライアン・オニール)と恋に落ち、初めてのキスをした途端、すっかり舞い上がってしまう。エピソードの終わりでは、アリソンの母親、コンスタンス(ドロシー・マローン)が、娘アリソンとロドニーの新たな関係を知り、あからさまに難色を示した。

ロドニーは、彼の父、レスリー(ポール・ラングトン)と、父の秘書のジュリー・アンダーソン(ケーシー・ロジャース)の情熱的な抱擁を見てしまい混乱する。ジュリーは、ロドニーのガールフレンド、ベティ(バーバラ・パーキンス)の母なのだ。

ロドニーはベティに、これ以上彼女と付き合うことはできないと宣言、すぐにアリソンと新たに付き合い始めた。ベティは、ロドニーが彼女を振った真の理由を告げてもらえず、混乱し傷ついた。1964年10月のエピソードで、ロドニーはベティの心を急いで取り戻し、父レスリーを困らせるためにベティと結婚した。

一方、第一シーズンの中盤には、新たな主要人物、エリオット・カーソン(ティム・オコナー)がペイトンプレイスに登場。エリオットはアリソンの実父であり、彼の妻、エリザベスを殺した罪で投獄されていた。しかし真犯人は、ロドニーの母キャサリン(メアリ・アンダーソン)。彼女はロドニーを甘やかし、巧みに操っていた。

エリオットはやがて潔白を証明し、アリソンの母コンスタンスと結婚した。後に彼らの間には息子マシューが生まれた。マシューは1985年のシリーズ続編Peyton Place:The Next Generationでは、ケリー(デボラ・グッドリッチ)という娘に変えられている。

1965年9月には、コンスタンス役のドロシー・マローンが突然、緊急手術を受けることになった。コンスタンスはその時点でストーリーに非常に深く関わっていたため、彼女を突然外すことは難しく、プロデューサーは窮地に立たされた。結局、マローンが1966年1月に復帰するまで、ローラ・オルブライトがコンスタンス役を引き継いでシリーズを続けた。

ロドニーは2年の間、彼が愛していた少女・アリソンと、彼が結婚した女性・ベティのどちらを選ぶか決めることができなかった。1966年、ミア・ファローは、映画の仕事に専念するためと、フランク・シナトラとの結婚のために『ペイトン』シリーズを去った。アリソンが去ったことで、町でロドニーを巡る恋の競争は無くなり、ベティはロドニーに多少寛容になった。

ベティは結局、ロドニーと離婚して、陰気だがハンサムな弁護士、スティーブン・コード(ジェームス・ダグラス)と結婚。やがてスティーブンと離婚し、ペイトンプレイス住民たちの複雑な人生模様が交錯する中、ロドニーと再婚した。ロドニー・ハリントンとスティーブン・コードは、実は異父兄弟であり、そのことが彼らの争いを激化した。後に家政婦のハンナ・コード(ルース・ワーリック)が、実はスティーブンは、ロドニーの母キャサリンの私生児であり、ロドニーとは血の繋がりが無いことを明かした。

アリソンは、その後も劇中の会話で度々話題に上り、ストーリーの中で大きな存在感を示した。 最初は、神秘的な女性、レイチェル・ウェルズ(リー・テイラー=ヤング)が、アリソンのブレスレットを携えて町にやって来た。そして1968年には、ジル・スミス(ジョイス・ジルソン)が町に現れ、アリソンの赤ん坊を育てていたと主張した。DNA以前の時代とあって、子どもの出生は立証されることはなかった。ジルは後に、ロッシ医師の弟ジョーと結婚した。

アリソンが登場しない設定でストーリーが進む間も、ミア・ファローの降板は一次的なものなのか、それとも永久的なものなのかがなかなか決まらなかった。そしてMurder in Peyton Place(1977年)、 Peyton Place: The Next Generation(1985年)では、それぞれ異なった解釈で、相反する結論となっている。

後のシーズンに加えられた別の主要なキャラクターは、町の長老のマーチン・ペイトン(ジョージ・マクリーディ)。マーチンは以前、ドラマが始まった時にだけ登場していた。演じるマクリーディは短期間、病気で出演できなくなり、その間ウィルフリッド・ハイド=ホワイトが代役を務めた。また、ペイトンプレイスの町の生え抜きで、秘密主義の家政婦、ハンナ・コード役のルース・ワーリックが、長きに渡って出演した。

ジーナ・ローランズダン・デュリエ、スーザン・オリバー、およびリー・グラントなど、映画界のビッグネームたちも多数キャストに加わった。中でもリー・グラントは、本作でのステラ・チャーニック役の傑出した演技で、エミー賞助演女優賞を受賞した。また、シリーズはレスリー・ニールセン、マリエット・ハートレイ、およびラナ・ウッドナタリー・ウッドの妹)のキャリアの飛躍のきっかけとなった。

1968年、スタッフは時代の変化に遅れをとらないために、アフリカ系アメリカ人のハリー・マイルズ博士(パーシー・ロドリゲス)と彼の妻のアルマ(ルビー・ディー)を通して、ペイトンプレイスに人種的差別の廃止を取り入れた。志高い取り組みにもかかわらず、彼らの加入は不協和音を生じ、彼らに関するストーリーも期待したほどの広がりは無かった。

シリーズ最後の年、コンスタンス役のドロシー・マローンと、エリオット役のティム・オコナーの降板によって、ロッシ医師役のエド・ネルソンが本作の主演俳優となり、エピソードも多くがロッシ医師をメインにしたものになった。最終シーズンの間、ロッシ医師はマーシャ・ラッセル(バーバラ・ラッシュ)に恋愛感情を抱いていた。最終回では、ロッシ医師は殺人者の濡れ衣を着せられ告発された。

シリーズは、視聴者も予測できない結末で終わったが、1977年と1985年の続編では、ロッシ医師が病院の勤務に復帰していたことから、万事はうまくいったらしい。コンスタンスとエリオット・カーソン夫妻は、またペイトンプレイスの街に戻った。

キャスト[編集]

※括弧内は日本語吹替(NET放映版/TBS放映版)

配役[編集]

ファローは映画監督のジョン・ファローと、映画『ターザン』シリーズで初代ジェーンを演じた女優、モーリン・オサリヴァンの娘である。アリソン・マッケンジーはミア・ファローにとって、初めての主要な役だった。ファローの演技に大いに寄与したのは、彼女が子どもの時、ポリオ患者として経験した傷つきやすさであると喧伝された。

元々、ベティ・アンダーソンのキャラクターは、第1シーズンの序盤、交通事故で消える予定だった。しかし、ベティのキャラクターに視聴者が強く好感を持ったため、脚本家が構想を変更した。したがって、ベティに扮する女優パーキンスは、このシリーズで長く、儲かる仕事を保証された。

ロドニー役のライアン・オニールは後に、レイチェル・ウェルズ役のリー・テイラー=ヤングと結婚、離婚した。

ジル・スミス役のジョイス・ジルソンは、後に占星術師として知られるようになった。

日本での放送[編集]

日本ではまず1965年3月30日から同年9月21日までNET(現:テレビ朝日)で放送。放送時間は1965年3月30日 - 6月22日は火曜21:00 - 21:30(JST)、1965年4月1日 - 6月24日木曜21:00 - 21:30(JST)と、週2回の放送だったが、6月29日以降は火曜22:30 - 23:00(JST)へ統一移動した。

その後1976年10月5日から1978年12月まで、TBSで全話が放送[2]、TBSでの放送時間は平日23:30 - 0:00(JST。現在の『NEWS23』枠)と、当時では珍しい深夜の帯ドラマだった。また関東地区では、1976年10月から1977年9月までは平日11:00 - 11:30(JST。後の『街かどテレビ11:00』、現在の『ひるおび!』枠)、1977年10月から1978年12月までは平日10:00 - 10:30(JST)に、それぞれ前回放送分の再放送が行われた。日本語吹替はNETテレビでの放送時から変更され、田島荘三が演出を担当し、キャスティングには劇団昴が協力した[2]

広島県では、テレビ新広島フジテレビ系列)で、1976年10月30日から平日16:00 - 16:30に放送された。

外部リンク[編集]

NET系列 火曜21時台前半枠
前番組 番組名 次番組
森繫ハリウッド物語
【ここまでMBS製作】

〇〇ショー
つなぎ、NET製作】
ペイトンプレイス物語(NET版)
(1965.3.30 - 6.22)
佐々木小次郎東千代之介版)
【日曜22:30より移動、MBS製作】
NET系列 木曜21時台前半枠
ペイトンプレイス物語
(NET版)
(1965.4.1 - 6.24)
テキサン
【火曜22:30より移動】
NET系列 火曜22時台後半枠
テキサン
【木曜21:00へ移動】
ペイトンプレイス物語
(NET版)
(1965.6.29 - 9.21)
なんでも百年史
【MBS製作】
TBS 平日23時台後半枠
ペイトンプレイス物語
(TBS版。本放送)
(1976.10 - 1978.12)
キイハンター(再)
※23:30 - 0:25
TBS 平日11時台前半枠
ペイトンプレイス物語
(TBS版。再放送)
(1976.10 - 1977.9)
TBS 平日10時台前半枠
ちびっこ劇場
ウルトラマンタロウ
(再)
ペイトンプレイス物語
(TBS版。再放送)
(1977.10 - 1978.12)
岸壁の母
(再)

脚注[編集]

  1. ^ 亀井俊介編著『アメリカン・ベストセラー小説38』丸善ライブラリー
  2. ^ a b 『猿の惑星<日本語吹替完全版>コレクターズ・ブルーレイBOX』田島莊三|インタビュー”. 吹替の帝王. 2015年9月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年6月19日閲覧。