ベッキー・ハモン

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ベッキー・ハモン
Becky Hammon
2014年のハモン
ラスベガス・エーシズ HC
役職 ヘッドコーチ
所属リーグ WNBA
基本情報
愛称 Becky
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
ロシアの旗 ロシア
生年月日 (1977-03-11) 1977年3月11日(47歳)
出身地 サウスダコタ州ラピッドシティ
身長(現役時) 168cm (5 ft 6 in)
体重(現役時) 62kg (137 lb)
キャリア情報
高校 スティーブンス高校
大学 コロラド州立大学
WNBAドラフト 1999年 / ドラフト外
プロ選手期間 1999–2014
ポジション ポイントガード
背番号歴 25    
指導者期間 2014–現在
経歴
選手時代:
1999-2006ニューヨーク・リバティ
2007-2014サンアントニオ・スターズ
コーチ時代:
20142022サンアントニオ・スパーズ(アシスタント)
2022–ラスベガス・エーシズ
受賞歴

選手時代

コーチ時代

代表歴
キャップ ロシアの旗 ロシア
獲得メダル
ロシアの旗 ロシア
オリンピック
2008 北京 バスケットボール

ベッキー・ハモンBecky Hammon)こと、レベッカ・リン・ハモンRebecca Lynn Hammon, 1977年3月11日 - )は、アメリカ合衆国サウスダコタ州ラピッドシティ出身の元プロバスケットボール選手で現在は指導者。アメリカ女子プロバスケットボールリーグWNBAのサンアントニオ・スターズなどで活躍した。現在はNBAサンアントニオ・スパーズでアシスタントコーチを経て、アメリカ女子プロバスケットボールリーグWNBAラスベガス・エーシズのヘッドコーチである。

経歴[編集]

生い立ち[編集]

ベッキー・ハモンはサウスダコタ州に生まれ育った。わずか3歳でボール遊びを始め、自宅のゴールで姉や兄を相手にプレーした。背の低かったベッキーは、姉や兄にブロックされないように、フェイクを多用してディフェンスのバランスを崩すことを身につけていった。

高校時代[編集]

ハイスクールで州の最優秀選手に選ばれたベッキーであったが、サウスダコタ州という地方だったゆえに、カレッジからのリクルートはわずかしか舞い込まなかった。力を試す必要があると感じたベッキーがインディアナで行われたバスケットキャンプに参加すると、サウスダコタから突然現れたシャープシューターに数多くの大学から奨学金のオファーが寄せられた。ベッキーはその中から、自分にチームカラーが一番合っていると感じたコロラド州立大学に進学した。

大学時代[編集]

コロラド州立大学は、それほど強豪チームではなかったが、ベッキーはそれを一変させた。1年生のときに、同大を初のNCAAトーナメントに出場させると、いきなり1回戦を突破、また4年生のときには、スウィート16にチームを導いた。

WNBA[編集]

ハモンに贈られた名誉リングのレプリカ
名誉リング授与式典で挨拶するハモン (2015年8月)

オールアメリカンにも選ばれたベッキーであったが、1999年のWNBAドラフトでは、ABL消滅によって選手層が厚かったこともあり、どこからも指名を受けなかった。その代わりに、WNBAとフリーエージェントとして契約し、ニューヨーク・リバティに所属することとなった。サウスダコタのハイスクール時代に、トーナメントのためにやってきたMSGで記念撮影をしていたベッキーは、自分がプロとしてMSGでファンの声援を受けることになるとは夢にも思わなかったという。

WNBAで16シーズン(1999年~2014年)にわたってプレイし通算成績で平均13.1得点をマーク。445試合出場(歴代第6位)、5809得点(第7位)、1687アシスト(第4位)といった記録を残し、オールスター選出6回、さらに2011年にはWNBAの歴代トップ15に選ばれた。

2015年8月2日のWNBA、ニューヨーク・リバティシアトル・ストーム戦のハーフタイムに、ハモンに、リバティから、チームへの永年に亘る貢献と、WNBA発展に寄与したことを讃えて、名誉リングが贈呈された[1][2]

2021年12月、ニューヨーク・リバティとラスベガス・エーシズが、ハモンのHC招聘に乗り出していると報じられた[3][4]。その後同月31日にエーシズのHCに就任したことが発表された[5]

NWBLバスケットボール[編集]

  • Tennessee Fury (2002–2003)
  • Colorado Chill (2004–2006)

その他のクラブ[編集]

  • Trentino Rovereto Basket (2001–2002)
  • Rivas Ecópolis (2006–2007)
  • CSKA Moscow (2007–2009)
  • Ros Casares Valencia (2009–2010)
  • Nadezhda Orenburg (2010–2011)
  • WBC Spartak Moscow Region (2011–2012)

国際大会[編集]

ハモンにとってオリンピック出場は大きな夢だったが、2008年当時31歳だったハモンは他若手有望選手の代表入りにより、北京オリンピックの米国ナショナルチームには選ばれなかった。オリンピックへの思いが強く諦めきれなかったハモンは、シーズンオフにプレーしていたロシアで市民権をとってロシア代表としてオリンピック出場を果たした。ネットを含め、各種メディアでハモンの選択について賛否両論が為される中、ハモン率いるロシアチームは銅メダルに輝いた。ロンドンオリンピックでもロシア代表として出場したが惜しくも4位に終わった。

NBAのアシスタントコーチ[編集]

2014年8月5日、サンアントニオ・スパーズがハモンのアシスタントコーチ就任を発表した。NBAチームにフルタイムでコーチとして雇用された初めての女性となった[6]グレッグ・ポポヴィッチHCは声明で「ベッキー・ハモンがスタッフに加わることを大変心待ちにしている。彼女のバスケットボールIQ、仕事に対する姿勢、対人関係のスキルはチームに大きなプラスになると確信している」と語った。

2015年夏のNBAサマーリーグでは、スパーズのヘッドコーチとして手腕を振るい、見事にスバーズをサマーリーグ優勝に導き、カイル・アンダーソンら若手選手の育成に貢献した[7][8][9]

その他[編集]

NBAで女性がアシスタントコーチに就任するのは2001-02シーズンのクリーブランド・キャバリアーズに続いて2度目、またフルタイムのアシスタントコーチはハモンが初めて。

WNBA個人成績[編集]

略称説明
  GP 出場試合数   GS  先発出場試合数  MPG  平均出場時間
 FG%  フィールドゴール成功率  3P%  スリーポイント成功率  FT%  フリースロー成功率
 RPG  平均リバウンド  APG  平均アシスト  SPG  平均スティール
 BPG  平均ブロック  PPG  平均得点  太字  キャリアハイ

レギュラーシーズン[編集]

シーズン チーム GP GS MPG FG% 3P% FT% RPG APG SPG BPG TO PPG
1999 ニューヨーク 30 1 6.7 .422 .289 .882 0.6 0.6 0.2 0.0 0.80 2.7
2000 ニューヨーク 32 16 26.1 .472 .369 .884 2.0 1.8 0.9 0.0 1.94 12.0
2001 ニューヨーク 32 0 19.3 .457 .378 .784 1.6 1.6 0.8 0.0 1.50 8.2
2002 ニューヨーク 32 1 20.6 .442 .386 .679 2.1 1.7 0.8 0.0 1.72 8.0
2003 ニューヨーク 11 2 23.4 .575 .469 .951 1.9 1.6 0.9 0.1 2.45 14.7
2004 ニューヨーク・リバティ 34 34 33.2 .432 .335 .836 3.5 4.4 1.7 0.1 3.7 13.5
2005 ニューヨーク 34 34 34.7 .432 .365 .901 3.4 4.3 1.8 0.1 3.15 13.9
2006 ニューヨーク 22 20 30.8 .425 .343 .960 3.0 3.7 1.3 0.1 2.95 14.7
2007 サンアントニオ 28 26 33.4 .445 .404 .931 2.8 5.0 0.8 0.2 4.07 18.8
2008 サンアントニオ 33 33 33.4 .390 .350 .937 2.8 4.9 1.3 0.2 3.15 17.6
2009 サンアントニオ 31 31 33.8 .447 .369 .901 3.3 5.0 1.6 0.4 3.58 19.5
2010 サンアントニオ 32 32 33.6 .442 .390 .960 2.9 5.4 1.1 0.2 3.38 15.1
2011 サンアントニオ 33 33 31.8 .440 .389 .892 2.9 5.8 1.5 0.2 3.61 15.9
2012 サンアントニオ 33 33 30.2 .441 .435 .876 2.5 5.3 0.9 0.2 3.21 14.7
2013 サンアントニオ 1 1 12.0 .333 .000 .000 1.0 1.0 0.0 0.0 3.00 2.0
2014 サンアントニオ 32 32 24.5 .417 .398 1.000 1.4 4.2 0.4 0.1 1.66 9.1
Career 16 years, 2 teams 450 329 27.9 .438 .378 .897 2.5 3.8 1.1 0.1 2.72 13.9

ポストシーズン[編集]

シーズン チーム GP GS MPG FG% 3P% FT% RPG APG SPG BPG TO PPG
1999 ニューヨーク 6 0 8.3 .167 .222 1.000 0.2 0.8 0.0 0.0 1.00 2.0
2000 ニューヨーク 7 7 29.4 .429 .304 .895 1.4 2.1 1.3 0.0 2.43 9.4
2001 ニューヨーク 6 0 8.0 .353 .300 .000 0.5 0.3 0.2 0.0 0.50 2.5
2002 ニューヨーク 8 0 22.9 .537 .424 .875 2.1 2.0 0.6 0.0 1.38 9.9
|2004 ニューヨーク 5 5 35.6 .392 .333 .400 2.6 3.4 1.2 0.0 3.80 10.6
2005 ニューヨーク 2 2 38.0 .450 .286 1.000 3.5 2.0 0.0 0.0 5.00 11.5
2007 サンアントニオ 5 5 35.0 .413 .444 .800 2.8 5.0 1.2 0.2 3.20 20.8
2008 サンアントニオ 9 9 36.8 .421 .458 .895 2.3 4.6 1.0 0.6 3.44 18.1
2009 サンアントニオ 3 3 33.7 .463 .381 .900 2.7 2.0 1.7 0.0 2.33 18.3
2010 サンアントニオ 2 2 37.0 .393 .389 1.000 3.5 5.5 0.5 0.0 4.00 20.0
2011 サンアントニオ 3 3 34.7 .350 .391 .857 2.7 4.3 1.7 0.7 3.00 16.3
2012 サンアントニオ 2 2 35.0 .500 .364 1.000 3.0 4.5 1.0 0.0 3.50 17.0
2014 サンアントニオ 2 2 28.5 .526 .500 1.000 3.5 4.5 1.5 0.0 2.50 14.5
Career 13 years, 2 teams 60 40 27.5 .426 .390 .889 2.0 2.9 0.9 0.1 2.48 12.0

脚注[編集]

[1]

外部リンク[編集]

  1. ^ Liberty Ring of Honor Fan Vote”. wnba.com. 2015年8月13日閲覧。