ニコライ・アセーエフ

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ニコライ・アセーエフ(1910年代)

ニコライ・ニコラエヴィチ・アセーエフロシア語:Никола́й Никола́евич Асе́ев英語:Nikolay Nikolaevich AseyevNikolay Nikolayevich Asyeyev.ru.vorb.oga 発音[ヘルプ/ファイル]1889年7月10日 - 1963年7月16日)は、ソビエト連邦(現:ロシアクルスクen:Lgov, Kursk Oblast出身の詩人。代表作は1928年に発表された叙情詩『セミヨン・プロスカーコフ』である。

象徴主義未来派の影響を受け、当初所属していたシンボリストの団体「リリカ」を脱退し[1]1914年、アセーエフはボリス・パステルナークセルゲイ・ボブロフらと未来派団体「遠心分離器」を結成する[2]。同年頃に処女作『夜のフルート』を発表。同じくソ連の詩人であるウラジーミル・マヤコフスキーに素質を認められ、ロシア・アヴァンギャルド期に於ける文学芸術機関誌である『レフ』の編集者、編集責任者となり、1941年政府より名誉賞を受賞した。

1963年7月16日モスクワで死去する。

参考文献[編集]

関連項目[編集]

脚注[編集]

注釈[編集]

出典[編集]

  1. ^ 宇佐美森吉「自我未来派連合 解説」亀山郁夫・大石雅彦編『ロシア・アヴァンギャルド5 ポエジア―言葉の復活』国書刊行会、1995年 p.156
  2. ^ 「詩人紹介 パステルナーク、ボリス」亀山郁夫・大石雅彦編『ロシア・アヴァンギャルド5 ポエジア―言葉の復活』国書刊行会、1995年 p.381