トニ・ガルデマイスター

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トニ・ガルデマイスター
2005年キプロス・ラリー
基本情報
国籍  フィンランド
生年月日 (1975-03-31) 1975年3月31日(49歳)
出身地 フィンランド コウヴォラ
WRCでの経歴
活動時期 19962010
所属チーム セアト, 三菱,シュコダ,フォードスズキ
出走回数 112
チャンピオン回数 0
優勝回数 0
表彰台回数 6
ステージ勝利数 16
通算獲得ポイント 128
初戦 1996 ラリー・フィンランド
最終戦 2010 ラリー・フィンランド
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トニ・ガルデマイスター(Toni Gardemeister 1975年3月31日-)は、フィンランドラリードライバー。コウヴォラ生まれ。

略歴[編集]

WRCでの活動[編集]

1996年世界ラリー選手権(WRC)に初参加。

1998年セアトと契約。1999年セアト・コルドバで5戦に出場。ニュージーランドでは自身初の総合3位を獲得。セアト初の表彰台ともなった。2000年はセアトのナンバー2としてWRCに初のフル参戦。ラリー・モンテカルロで総合4位に入った。

2001年はセアトが撤退したため、プライベーターのプジョー206 WRCでモンテカルロ、スウェーデンの2戦に出場。モンテカルロは5位、スウェーデンは4位に入った。シーズン後半は三菱とスポット契約し、フィンランドニュージーランドの2戦に出場。しかしフィンランドではクラッシュ、ニュージーランドでは15位に終わった。

2004フィンランド

2002年シュコダと契約しワークス復帰を果たす。しかしオクタビアWRCの熟成不足で上位進出が出来ず、この年の最高位はアルゼンチンの5位だった。2003年も引き続きシュコダから出場。シーズン前半のニュージーランドでは総合5位に入る。シーズン後半はファビアWRCで出場するも、苦戦を強いられノーポイントに終わる。 2004年もシュコダから出場するも、予算削減によりヨーロッパラウンドのみに出場した。この年はフィンランドで8位、ドイツは7位に入賞した。

2005年フォードへ移籍。開幕2戦を終えた時点でドライバーズランキング首位に立った。モンテカルロ、アクロポリスコルシカで自己最高位の総合2位を獲得する。ドライバーズランキングでは自身最高の4位を得た。

2006年はフォードを放出され、再びプライベーターとしてシーズンを戦った。モンテカルロにはプジョー307 WRCで出場し3位入賞、その後はマシンをクサラWRCに替えアクロポリス、ドイツ、キプロスに出場。プライベーターながらドライバーズタイトル9位に入った。

2007年はMMSP(三菱自動車モータースポーツ)から、モンテカルロ、スウェーデン、ノルウェー、ポルトガル、サルディニアの5戦に出場。ドイツではプライベーターのクサラWRCを駆り出場。7位に入った。

2008ドイツ

2008年にはスズキワークス・チームであるスズキスポーツに移籍し、SX4でWRCにフル参戦したが、世界的な景気後退の影響を受けスズキが同年限りでWRCでのワークス活動を打ち切ることを決定したため、1年でシートを失った。

IRC〜現在[編集]

2009年インターコンチネンタル・ラリー・チャレンジ(IRC)を中心に参戦する方針で、ラリー・モンテカルロにはフィアット・プントで参戦したがリタイアに終わった。

2010年も同じくラリー・モンテカルロにフィアット・プントで参戦。リタイアに終わる。

2011年は自チーム「TGS Worldwide OU」を設立(TGSはトニ・ガルデマイスター・サービスの略)。シュコダ・ファビアS2000を購入してIRCに参戦。出場した8戦全てでポイントを獲得しランキング9位に入った。

2012年はハンコックタイヤの支援を失ったためファビアを売却し、三菱車でラリーレイドへ参戦。しかしシルクウェイラリーで骨折の大怪我を負ってしまった。

回復後はファビアのラリーカー(R5、R5EVO、Rally2)を用いてTGSのチーム運営をしている。テーム・スニネンポンタス・ティデマンドカッレ・ロバンペラはTGSの卒業生である。

脚注[編集]

外部リンク[編集]