ストルガツキー兄弟

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ストルガツキー兄弟Бра́тья Струга́цкие)は、ソビエト時代のロシアSF作家兄弟。兄アルカジイ(アーカディ)(1925年8月28日 - 1991年10月12日)と、弟ボリス(1933年4月14日 - 2012年11月19日)の兄弟で共作。

概要[編集]

ロシアでは「アルカジイ&ボリス・ストルガツキー」の頭文字 "ABS" から "Абээ́сы"(アベエスィ、アビーシイ)とも呼ばれる。ロシアで最も有名なSF作家であり、ファンも多い。初期の作品にはイワン・エフレーモフの影響が見られる。最も有名な作品 Пикник на обочине は英訳版が Roadside Picnic の題名で1977年に出版され、『ストーカー』と題してアンドレイ・タルコフスキーが映画化した。

全体主義社会の元で育った彼らの作品には、反体制的な風刺に満ちあふれた作品が多く、ロシア国内で発禁処分となった作品も少なくない。ペレストロイカ後も情熱的な活動を続けた。

アルカジイ[編集]

兄アルカジイは1925年、バトゥミで生まれた。父は芸術評論家、母は教師だった。一家は後にレニングラードに引っ越している。レニングラード包囲戦のさなか、アルカジイと父は包囲された街から脱出したが、父はヴォログダに到着する前に亡くなり、アルカジイだけが生き残った。後にソ連軍に徴兵され、アクトベの砲術学校で訓練を受け、さらにモスクワの外国語研究所で学び、1949年には英語と日本語の通訳となった。その後、軍で教師兼通訳として1955年まで勤務。そのため日本語に精通し、日本文学研究者になった。彼のデビュー作は第五福竜丸事件を題材にした『ビキニの涙』である。また、アルカジイは安部公房の「第四間氷期」のロシア語訳を行なっている。

1955年から編集者および作家として働き始めた。1958年、弟ボリスと共作するようになり、その関係は1991年にアルカジイが死去するまで続いた[1]

ボリス[編集]

弟ボリスは1933年に生まれた。レニングラード包囲戦の際には母と共にレニングラードに残った。1950年に高校を卒業し、レニングラード国立大学の物理学科を志望したが、ユダヤ人の学生数が学科ごとに制限されていたため、天文学科に進学。1955年に大学を卒業すると天文学者兼コンピュータ技術者として1966年まで働き、その後専業作家になった[2]サンクトペテルブルク在住[3]

2012年11月19日、心臓病のために死去[4]。79歳没。

作品リスト[編集]

いくつかの作品はNoon Universeと呼ばれる未来史を形成している。

  • 『ラドガ壊滅』 Далёкая Радуга(1963)
  • 『神様はつらい』Трудно быть богом(1964)
  • 『月曜日は土曜日に始まる 若い科学者のための物語』 Понедельник начинается в субботу(1965)
  • 『そろそろ登れカタツムリ』 Улитка на склоне(1965)
  • 『みにくい白鳥』 Время дождя(1967)
  • 『トロイカ物語』Сказка о Тройке(1968)
  • 収容所惑星[5] Обитаемый остров(1969)
  • 『幽霊殺人』Отель «У Погибшего Альпиниста»(1970)
  • ストーカーПикник на обочине (路傍のピクニック[6])(1972)
  • 『願望機』МАШИНА ЖЕЛАНИЙ/ (映画『ストーカー』シナリオ。併録「スプーン五杯の霊薬」)
  • 『地獄から来た青年』 Парень из преисподней(1974)
  • 『滅びの都』 Град обреченный(1975)
  • 世界終末十億年前――異常な状況で発見された手記За миллиард лет до конца света(1977)
  • 『蟻塚の中のかぶと虫』Жук в муравейнике(1980)
  • 『モスクワ妄想倶楽部』 Хромая судьба(1986)
  • 『波が風を消す』 Волны гасят ветер(1986)

映像化作品[編集]

ストルガツキー兄弟の作品はいくつも映画化・舞台化・漫画化・ゲーム化されている。アンドレイ・タルコフスキーの『ストーカー』のように原作から大分かけ離れたものもあり、原作とは別にストルガツキー兄弟が脚本を新たに書いたものもある。

邦題 原題 製作年 製作国 監督 備考
ストーカー Сталкер 1979年 ソ連 アンドレイ・タルコフスキー 原作『ストーカー』
N/A "Hukkunud Alpinisti" hotell 1979年 エストニア Grigori Kromanov 原作『幽霊殺人』
N/A Чародеи 1982年 ソ連 Konstantin Bromberg 原作『月曜日は土曜日に始まる』
死者からの手紙英語版 Письма мёртвого человека 1986年 ソ連 コンスタンチン・ロプチャンスキー英語版 ボリスのみ脚本に参加
日陽はしづかに発酵し…英語版 Дни затмения 1988年 ソ連 アレクサンドル・ソクーロフ 原作『世界終末十億年前
惑星アルカナル 〜宇宙からの使者〜英語版 Трудно быть богом 1989年 ソ連=西ドイツ ペーター・フライシュマン英語版 原作『神様はつらい
N/A Nesmluvená setkání 1995年 チェコ Irena Pavlásková テレビ映画
原作 Малыш
N/A Гадкие лебеди 2006年 ロシア コンスタンチン・ロプチャンスキー英語版 原作『みにくい白鳥』
プリズナー・オブ・パワー 囚われの惑星英語版 Обитаемый остров 2008年/2009年 ロシア フョードル・ボンダルチュク 原作『収容所惑星』
神々のたそがれ Трудно быть богом 2013年 ロシア アレクセイ・ゲルマン 原作『神様はつらい』

エピソード[編集]

  • 大江健三郎は彼らの作品を愛読している。1989年、大江が「世界作家会議」に出席するため、モスクワに行った際、兄のアルカジイと対談を行い、その模様は、NHKスペシャル「世界はヒロシマを覚えているか」で放映された。
  • ニコライ・チェルヌイフが1977年に発見した小惑星はストルガツキー兄弟に因んで「3054 ストルガツキア」と名付けられた。
  • 映画『アバター』の舞台となっている架空の衛星パンドラの描写は、ストルガツキー兄弟の作品(Noon Universe と呼ばれる未来史)と酷似していると指摘されている。しかし、ボリス・ストルガツキーは盗作で訴えることはしないとしている[7]

脚注・出典[編集]

  1. ^ http://www.rusf.ru/abs/english/ Arkady Strugatsky bio
  2. ^ http://www.swarthmore.edu/Humanities/sforres1/syllabi/R+EE_SF/StrugatskysQ.html info from Swarthmore.edu on Strugatskys
  3. ^ http://russia-ic.com/people/general/s/104/
  4. ^ Умер Борис Стругацкий Lenta.ru 2012年11月20日閲覧
  5. ^ 不況の今、ソ連文化の良さに注目が集まる - 映画「収容所惑星 1」「収容所惑星 2」についての記述がある記事(JBpress
  6. ^ 訳者あとがきで示された原題の訳で、映画でなく原作小説を指す場合に「路傍のピクニック」と表記される
  7. ^ http://www.rusf.ru/abs/int0136.htm

外部リンク[編集]