ジョアン・チェン

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ジョアン・チェン
陳冲
基本情報
繁体字 陳冲
簡体字 陈冲
漢語拼音 Chén Chōng
粤拼 Can4 Cung1
生誕 (1961-04-26) 1961年4月26日(63歳)
中華人民共和国の旗 中国上海
英語名 Joan Chen
職業 女優映画監督
活動期間 1975–
配偶者 Jim Lau (1985-1990)
Peter Hui (1992-)
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ジョアン・チェン陳 冲Joan Chen)は中国上海出身の女優で、映画監督でもある。

略歴[編集]

1961年、上海の学者の家庭に生まれる(祖父はオックスフォード大学で、両親はハーヴァード大学で学んだ)[1]

1975年、上海で映画関係の専門学校に通っていた14歳の時、映画『井崗山』で女優としてデビューした[2]。17歳で上海外国語大学に入学し英語を学ぶ[3]1980年、映画『戦場の花』に抜擢され、この作品で高い評価を得て「中国のエリザベス・テイラー」とも呼ばれ、百花奨最優秀主演女優賞を受賞した。

20歳でアメリカ合衆国に渡り、1981年からカリフォルニア州立大学ノースリッジ校に入学して映画制作を学んだ。映画やテレビドラマで活躍し、1987年に『ラストエンペラー』で皇后婉容を演じたことによって国際的な注目を集め、アジア系俳優初のアカデミー賞授与式のプレゼンターをジョン・ローンとともに務めた。1994年の『赤い薔薇 白い薔薇』の頃から再び中華圏の映画にも出るようになり、同作と2007年の『ホーム・ソング・ストーリーズ〜僕の母の物語〜』では金馬奨最優秀主演女優賞を受賞している。

女優としてだけではなく、1998年には『シュウシュウの季節』で映画監督としてもデビューしており、同作で金馬奨の最優秀作品賞と最優秀監督賞を受賞した。

1988年には米国の市民権を得て[4]1992年には中国系米国人の医師と結婚した。

2014年の第71回ヴェネツィア国際映画祭塚本晋也監督・主演の『野火』の印象を問われた際に、「戦争で多くの人々が殺され、町が爆撃され、拷問やレイプが行われた」が「日本は遺憾の意を示したことさえない」と発言し、塚本氏の作品は「とても素晴らしく、心を動かされた」と評価した[5][6]

主な出演作品[編集]

映画[編集]

テレビドラマ[編集]

監督作品[編集]

参照[編集]

  1. ^ Corliss, Richard (April 5, 1999), “West To East”, TIME (USA) 153 (13), http://www.time.com/time/asia/asia/magazine/1999/990405/joan_chen2.html 
  2. ^ Stokes, Lisa Odham (October-December 2005), “Sensuously Elegant: An Interview with Joan Chen”, Asian Cult Cinema (USA) (48): 51-61 
  3. ^ Tom Kagy."Heavenly And Hearthy." Goldsea Asian American Daily. August 1992.
  4. ^ https://www.imdb.com/name/nm0001040/bio/
  5. ^ 中国人女優ジョアン・チェン ベネチア国際映画祭で第2次世界大戦をめぐり日本を批判”. ライブドアニュース. 2020年6月7日閲覧。
  6. ^ 中国女優、日本は遺憾さえ示さず/ベネチア映画祭で批判”. 四国新聞社 (2014年9月7日). 2020年6月7日閲覧。

外部リンク[編集]