アレクサンダル・カタイ

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アレクサンダル・カタイ
2022年
名前
ラテン文字 Aleksandar Katai
セルビア語 Александар Катаи
基本情報
国籍 セルビアの旗 セルビア
生年月日 (1991-02-06) 1991年2月6日(33歳)
出身地 ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の旗 スルボブラン
身長 182cm
選手情報
在籍チーム セルビアの旗 レッドスター・ベオグラード
ポジション MF/FW(RW)
背番号 10
利き足 右足
ユース
2002-2009 セルビアの旗 ヴォイヴォディナ
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2009-2011 セルビアの旗 ヴォイヴォディナ 29 (6)
2009 セルビアの旗 パリッチ(loan) 10 (3)
2011-2015 ギリシャの旗 オリンピアコス 0 (0)
2011 ギリシャの旗 OFIクレタ(loan) 2 (0)
2011-2013 セルビアの旗 ヴォイヴォディナ(loan) 31 (6)
2013-2014 ギリシャの旗 プラタニアス(loan) 24 (8)
2014-2015 セルビアの旗 レッドスター・ベオグラード(loan) 20 (2)
2015-2016 セルビアの旗 レッドスター・ベオグラード 37 (23)
2016-2018 スペインの旗 デポルティーボ・アラベス 23 (3)
2018 アメリカ合衆国の旗 シカゴ・ファイアー(loan) 18 (8)
2018-2019 アメリカ合衆国の旗 シカゴ・ファイアー 44 (10)
2020 アメリカ合衆国の旗 ロサンゼルス・ギャラクシー 2 (0)
2020- セルビアの旗 レッドスター・ベオグラード 98 (58)
代表歴2
2011-2012  セルビア U-21 2 (0)
2015-2020  セルビア 10 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。2023年12月20日現在。
2. 2020年11月12日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

アレクサンダル・カタイセルビア語: Александар Катаиセルビア・クロアチア語: Aleksandar Katai1991年2月6日 - )は、セルビアサッカー選手。ポジションはミッドフィールダーフォワード

クラブ経歴[編集]

ヴォイヴォディナ・ノヴィサド[編集]

カタイはFKヴォイヴォディナ・ノヴィサドの下部組織でサッカーを始めた。2009年初めにセカンドチームに昇格したのと同時にFKパリッチに6ヶ月レンタル移籍[1]。レンタル移籍復帰後トップチームに昇格、2010年3月14日のFKチュカリチュキ戦でドゥシャン・タディッチと交代して出場しセルビア・スーペルリーガ初出場[2]。7日後に行われたFKムラディ・ラドニク戦で初得点。2011年6月28日にギリシャ・スーパーリーグオリンピアコスFCへ旅立った[3]

オリンピアコス[編集]

2011年6月24日、4年契約でオリンピアコスと契約[4]。しかし、クラブでの初めてのトレーニングで監督のエルネスト・バルベルデから、守備に難があり選手として改善する必要があると言われた[5]。結局オリンピアコスでは1試合も出る事なく退団となったが、その代わりに4回のレンタル移籍を経験した。1回目はOFIクレタで2011年11月5日のパニオニオスFC戦で初出場[6]。しかしここでも上手く行かず、次は古巣のヴォイヴォディナ・ノヴィサドにレンタルされる事となった。2012年に行われたFKスパルタク・スボティツァ戦の後に体調を崩し病院に行った所、血小板減少症と診断された[5]。このため、血を一部抜き取るために2週間の入院を余儀なくされた[5]。リハビリ中に10kg近く太ったために結局年末までサッカーに復帰する事は出来なかった[5]。ヴォイヴォディナ・ノヴィサドの会長であったラトコ・ブトロヴィッチが2013年6月8日に死去するまで彼はレンタル加入選手として在籍したが、ブトロヴィッチ死後の混乱の中で彼は退団する事となった[7]。その後FCプラタニアスにレンタル移籍で出され、8ゴール6アシストの成績を残し[5]、2014年夏まで在籍した。

レッドスター・ベオグラード[編集]

カタイの問題はモチベーションではなく、彼の頭の中にあるのだ。多分彼はセルビアに帰りたいと思っていなかった。(オリンピアコスで)1ヶ月半、深夜まで練習していたけれども、十分なトレーニングを積んだとは認められなかった。トレーニング場に立つ事だけは許されていたから彼も訴えはしなかった。ただ今の彼は不満そうだ。
ネナド・ララトヴィッチ、2014年10月7日[8]

2014年8月31日、夏の移籍市場が閉まる寸前にレッドスター・ベオグラードへの1年のレンタル移籍が決まった[9]。加入直後の秋には不調も伝えられ、監督のネナド・ララトヴィッチも「彼の頭の中に問題がある」と述べた[8]

2015年6月18日、カタイはオリンピアコスとの契約を抹消、レンタル移籍時のレッドスター・ベオグラードの30万ユーロの彼への未払いは免除され、レッドスター・ベオグラードと2年契約を締結[10]。2015-16シーズンにはミオドラグ・ボージョヴィッチが新監督に就任、UEFAヨーロッパリーグ 2015-16 予選FCカイラト戦で活躍したが、チームは予選で敗退した。10月末までに15試合で10得点6アシストの活躍をし、ヨーロッパでも指折りのミッドフィールダーと見做された[11]。その後も好調は続き、最終節のFKラドニチュキ・ニシュ戦で21得点目をあげ得点王に輝き、またクラブを27回目の優勝へと導いた。

2016-17シーズンの初陣となったUEFAチャンピオンズリーグ 2016-17 予選バレッタFC戦でシーズン初得点[12]。予選第3ラウンドのPFCルドゴレツ・ラズグラド戦で3人抜きからの得点を決めて2-2の引分に持ち込んだが、もう一戦で敗北しここで敗退となった[13]

デポルティーボ・アラベス[編集]

2016年8月31日に3年契約でリーガ・エスパニョーラデポルティーボ・アラベスに移籍、移籍金は明らかになっていない[14]

シカゴ・ファイアー[編集]

2018年2月6日、MLSシカゴ・ファイアーにレンタル移籍した[15]

2018年7月11日、シカゴ・ファイアーに完全移籍したことが発表された[16]。契約期間は2019年12月まで。

ロサンゼルス・ギャラクシー[編集]

2019年12月31日、TAM(分配金制度)を用いてロサンゼルス・ギャラクシーに移籍した[17]

代表歴[編集]

セルビアU-21代表として2試合に出場した。

2015年10月5日にA代表初招集、同年11月13日のチェコ代表との親善試合で初出場[18]

個人成績[編集]

クラブ[編集]

2020年3月8日現在[19]
国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点 出場得点
セルビア リーグ戦 オープン杯 期間通算
2009-10 パリッチ スルプスカ 10 3 - 10 3
ヴォイヴォディナ 27 スーペル 6 3 - 6 3
2010-11 23 3 4 1 27 4
ギリシャ リーグ戦 エラーダス杯 期間通算
2011-12 オリンピアコス 27 スーパー 0 0 - 0 0
OFIクレタ 2 0 0 0 2 0
セルビア リーグ戦 オープン杯 期間通算
2011-12 ヴォイヴォディナ 69 スーペル 11 1 2 0 13 1
2012-13 33 20 5 5 0 25 5
ギリシャ リーグ戦 エラーダス杯 期間通算
2013-14 プラタニアス 11 スーパー 24 8 2 0 26 8
セルビア リーグ戦 オープン杯 期間通算
2014-15 レッドスター 27 スーペル 20 2 2 0 22 2
2015-16 10 33 21 1 2 34 23
2016-17 4 2 - 4 2
スペイン リーグ戦 オープン杯 期間通算
2016-17 アラベス 25 プリメーラ 20 3 6 0 26 3
2017-18 8 3 0 1 0 4 0
アメリカ リーグ戦 USオープン杯 期間通算
2018 シカゴ 10 MLS 33 12 4 1 37 13
2019 29 6 0 0 29 6
2020 ロサンゼルス 7 2 0 0 0 2 0
通算 セルビア スーペル 117 37 14 3 131 40
セルビア スルプスカ 10 3 - 10 3
ギリシャ スーパー 26 8 2 0 28 8
スペイン プリメーラ 23 3 7 0 30 3
アメリカ MLS 64 18 4 0 68 18
総通算 240 69 27 4 267 73
国際大会個人成績
年度 クラブ 背番号 出場 得点 出場 得点
UEFAUEFA ELCL予選
2015-16 レッドスター 27 2 0 -
2016-17 10 2 1 4 3
4 1 4 3

試合数[編集]

2019年9月11日現在

国際Aマッチ 9試合 0得点(2015年-)


セルビア代表国際Aマッチ
出場得点
2015 1 0
2016 5 0
2017 0 0
2018 0 0
2019 3 0
通算 9 0

個人[編集]

祖父はウクライナ系で祖母はハンガリー系である。彼の名字は祖母の名字から取られているのでハンガリー風の名字となっている[20]

タイトル[編集]

クラブ[編集]

レッドスター・ベオグラード

個人[編集]

  • セルビア・スーペルリーガ得点王: 2015-16
  • セルビア・スーペルリーガベストイレブン: 2015-16

参考文献[編集]

  1. ^ Aleksandar Katai” (Serbian). srbijafudbal.net. 2013年2月22日閲覧。
  2. ^ Vojvodina vs. Čukarički 4 - 0” (2010年3月14日). 2017年10月29日閲覧。
  3. ^ Sportal: Srbin doputovao u Grčku”. 2011年6月28日閲覧。
  4. ^ "Έκλεισε" τον Κατάι, συμφώνησε με Βοϊβοντίνα”. redplanet.gr (2011年6月24日). 2011年6月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年6月26日閲覧。
  5. ^ a b c d e Mozzart Sport: Katai za MOZZART otkrio da je nekoliko meseci vodio bitku sa zdravljem: Bio sam nenormalno "plav" i lekari su utvrdili da bolujem od trombocitopenije” (Serbian) (2015年3月13日). 2015年3月13日閲覧。
  6. ^ Aleksandar Katai finally made his debut (Serbian)”. 2011年11月8日閲覧。
  7. ^ Novosti: Katai prvi otišao iz Vojvodine”. 2013年6月11日閲覧。
  8. ^ a b Mozzart Sport: Lalatović: Katai ima problem u glavi, Partizanu je pomogla gej parada” (Serbian). 2014年10月7日閲覧。
  9. ^ [1] Mozzart Sport: ZVANIČNO: Katai u Zvezdi! (セルビア語) 31 August 2014
  10. ^ RTS: Katai ostaje u Zvezdi, potpisao ugovor na dve godine!”. 2013年6月26日閲覧。
  11. ^ [2] S. Ilijoski. Novosti: “Desetka” Zvezde među najproduktivnijim igračima u Evropi: Katai u društvu velikana (セルビア語) 30 October 2015.
  12. ^ Malteški vitez Aleksandar Katai!” (Serbian). 2016年7月12日閲覧。
  13. ^ On je Katai, on je Magiko!” (Serbian). 2016年7月27日閲覧。
  14. ^ Aleksandar Katai, calidad y gol para redondear el ataque albiazul” [Aleksandar Katai, quality and goal to round up the white-and-blue attack] (スペイン語). Deportivo Alavés (2016年8月31日). 2016年8月31日閲覧。
  15. ^ シカゴ・ファイヤー、アラベスのセルビア代表FWカタイを獲得!”. 超ワールドサッカー (2018年2月7日). 2018年2月17日閲覧。
  16. ^ Chicago Fire Secure Transfer of Aleksandar Katai”. chicago-fire.com (2018年7月11日). 2018年7月13日閲覧。
  17. ^ “LA Galaxy sign midfielder Aleksandar Katai”. LA Galaxy. (2019年12月31日). https://www.lagalaxy.com/post/2019/12/31/la-galaxy-sign-midfielder-aleksandar-katai 2020年1月29日閲覧。 
  18. ^ Mozzart: Zaslužen poziv: Katai u reprezentaciji Srbije za Albaniju i Portugaliju!” (5 October 2015.). 2015年10月30日閲覧。
  19. ^ アレクサンダル・カタイ - Soccerwayによる個人成績
  20. ^ Veljko Ivanović. “Blic: Uz moju Teu sve je lakše i lepše!”. 2017年10月29日閲覧。

外部リンク[編集]