アウグスト・ストラダル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
アウグスト・ストラダル
August Stradal
基本情報
生誕 (1860-05-17) 1860年5月17日
出身地 オーストリア帝国の旗 オーストリア帝国
ボヘミア王国 テプリツェ
死没 (1930-03-13) 1930年3月13日(69歳没)
チェコスロバキアの旗 チェコスロバキア クラースナー・リーパ英語版
学歴 ウィーン大学
ジャンル クラシック音楽
職業 ピアニスト、音楽教師、作曲家編曲家

アウグスト・ストラダル(August Stradal, 1860年5月17日 - 1930年3月13日[1])は、チェコ出身のピアニスト、音楽教師、作曲家編曲家アウグスト・ストラーダルなどとも表記される[注釈 1]

生涯[編集]

ボヘミアズデーテン地方テプリツェで生まれる。弁護士で市会議員でもあった父親のフランツ・ヨゼフ (Franz Josef) はエドゥアルト・ハンスリックと親交を持っていた。ライトメリッツギムナジウムウィーンテレジアヌム英語版で学んだストラダルは、1878年から1882年までウィーン大学で法学、哲学と史学を学びアントン・ブルックナーやハンスリックの授業を聴講する一方で、個人的に(あるいは、記録にはない (nicht belegt) もののウィーン楽友協会音楽院で)作曲をアントン・ブルックナーに、その他グスタフ・ノッテボームテオドル・レシェティツキアントン・ドーアに師事した[1][注釈 2]1884年からはフランツ・リストの弟子となり、1886年にリストが死去するまで助手として各地に同行した[4]。この時期に、ブルックナーの交響曲のピアノ独奏編曲も行っている。

アウグスト・ストラダルの墓(クラースナー・リーパ)

1888年にウィーン生まれの歌手ヒルデガルト・ツヴァイゲルトドイツ語版と結婚[5]。テプリツェに戻り音楽教師として活動したのちに、ストラダルは1893年から1895年にかけてウィーンのホラークピアノ学校(Horakschen Klavierschulen)でピアノを教え、その後バイエルン王国プリーン・アム・キームゼー英語版に居を構え、ヨーロッパ各地でピアニストとして活動した。1919年からは北ボヘミアのクラースナー・リーパ英語版で音楽教師の職に就き、1927年プラハで最後の演奏会を行い、1930年にクラースナー・リーパで死去した。晩年の1928年には "Czechoslovak State Music Award" を受け、また1929年にリストに関する回想録 "Erinnerungen an Franz Liszt" を著している[1]。死後の1934年、妻のヒルデガルトは夫の伝記 "August Stradals Lebensbild" を出版している[5]

アウグスト・ストラダルの解説板(ルンブルク市博物館

ストラダルは、ピアニストや教師として活動する一方で、ピアノのために多くの編曲を残した。その対象は、自らが学んだブルックナーやリスト、またリストの弟子時代にロ短調ミサを聴いて感銘を受け、100曲以上を編曲したヨハン・ゼバスティアン・バッハをはじめ、ディートリヒ・ブクステフーデヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンヨハネス・ブラームスリヒャルト・ワーグナーマックス・レーガーグスタフ・マーラーなど広範で、未出版のものも多い。バッハのブランデンブルク協奏曲の編曲を校訂した田中博幸は、ストラダルによる編曲の特徴を「常にオクターヴで増強されたバスと、可能な限り多くの音を使った荘重な響き」[4]としている。原曲の構造を最大限に再現したストラダルの編曲は総じて演奏至難で、アルフレッド・コルトーエミール・フォン・ザウアーは「ピアノによる総譜」(Klavierpartituren) と呼んだ[1]

主な編曲作品[編集]

ほぼ全てがピアノ独奏用編曲である。

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ フランス語圏での活動やフランス語での "Auguste Stradal" という表記が目立つわけではないが、ナクソス・ジャパン[2]などはフランス語風に「オーギュスト・ストラーダル」と表記している。
  2. ^ MacDonald, 田中の記述ではウィーン音楽院で彼らに師事したとしている[3][4]

出典[編集]

  1. ^ a b c d Harten 2009.
  2. ^ ナクソスジャパン Naxos Japan [@naxosjapan] (2013年5月22日). "ワーグナー祭り (6)". X(旧Twitter)より2020年11月3日閲覧
  3. ^ MacDonald 2010, p. 2.
  4. ^ a b c 田中 2010.
  5. ^ a b Harten & Nawrocka 2009.

参考文献[編集]

外部リンク[編集]