鰥寡孤独

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鰥寡孤獨 および 鳏寡孤独 も参照。

日本語[編集]

語源[編集]

』は「やもお」、『』は「やもめ」、『』は「みなしご」、『』は「ひとりみ」の意。

成句[編集]

鰥寡 孤独(かんかこどく)

  1. 失ったと、を失ったと、を失ったと、老いて子のない寄る辺なき人民[1]

発音(?)[編集]

か↘んかこ↗どく

出典[編集]

孟子巻2・梁恵王章句下

【白文】
王曰、「王政可得聞與」。
對曰、「昔者文王之治岐也、耕者九一、仕者世祿、關市譏而不征、澤梁無禁、罪人不孥。老而無妻、老而無夫曰、老而無子曰、幼而無父曰。此四者、天下之窮民而無告者。文王發政施仁、必先斯四者。詩云、『哿矣富人、哀此煢獨』」。
【訓読文】
わういはく、「王政聞くことをきか」と。
こたへて曰く、「昔者むかし文王の岐を治むるや、耕すは九の一、仕ふる者はにし、関市はして征せず、沢梁は無くするにつまこまでにせず。老ひ無き(くゎん)と曰ひ、老ひて夫無きを(くゎ)と曰ひ、老ひて子無きをと曰ひ、幼くして無きをと曰ふ。の四者、天下窮民にして告ぐる無き者なり。文王まつりごとを発しほどこすに、必ずの四者をにせり。云ふ、『きかな富める人、かなしや此の煢独けいどく』」と。
【現代語訳】
宣王が言った、「王者の政治についてお聞かせ頂けないか」。
孟子が)答えて言った、「文王[2]を治めていた頃、農民には収穫の九分の一しか課税せず、官吏には俸禄世襲させ、関所市場では取り調べはしても通行税や物品税を徴収したりはせず、沢地や、やなを仕掛けた川でをすることを禁止することもなく、罪人処罰するに際しては妻子まで連座させるようなことはしませんでした。老いのいない者を(かん)といい、老いて夫のいない者を(か)といい、老いて子のいない者をといい、幼くして父のいない者をといいます。これら四種類の人々は、世の中でも特に困窮している民であって、苦しみを訴える相手もない人々です。文王は政令を発して仁政を行うに際し、これら四種類の人々を真っ先に救おうとしました。『詩経』にも次のようにあります、『良いものだ、裕福な人は。哀れなのはこれらの身寄りのない人々だ[3]』」。

関連語[編集]


脚注[編集]

  1. 上田万年松井簡治『大日本国語辞典』 金港堂書籍、第2巻、1916年10月23日、紙面194ページ、デジタル100ページ、全国書誌番号:43022818、国立国会図書館デジタルライブラリー pid 954646/100上田万年松井簡治『大日本国語辞典』 金港堂書籍、第2巻、1916年10月23日、紙面537ページ、デジタル271ページ、全国書誌番号:43022818、国立国会図書館デジタルライブラリー pid 954646/271
  2. 現在の陝西省宝鶏市岐山県
  3. 詩経小雅・節南山之什・正月の一節。ただし「煢独」とあるのは、原典では「惸独」。意味は同じ。