「二教」を解説文に含む見出し語の検索結果(1~10/196件中)
南北朝時代の天台宗僧。吉田兼好の兄とも弟ともいう。後醍醐天皇に召され、神仏二教を説いた。大僧正。著『山王審鎮要記』他。(生没年不詳)→ 兼好...
南北朝時代の天台宗僧。吉田兼好の兄とも弟ともいう。後醍醐天皇に召され、神仏二教を説いた。大僧正。著『山王審鎮要記』他。(生没年不詳)→ 兼好...
読み方:えしんそうず平安中期の天台宗の僧。恵心流の祖。大和生。諱は源信、恵心僧都は通称。良源に師事し、顕密二教を学ぶ。また『往生要集』を著し、以後の浄土宗信仰の展開に大きな影響を与え、宋でも高く評価さ...
読み方:えしんそうず平安中期の天台宗の僧。恵心流の祖。大和生。諱は源信、恵心僧都は通称。良源に師事し、顕密二教を学ぶ。また『往生要集』を著し、以後の浄土宗信仰の展開に大きな影響を与え、宋でも高く評価さ...
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/15 00:34 UTC 版)「釈円栄朝」の記事における「経歴・人物」の解説顕密二教を修め、明菴栄西より印可を受ける。
読み方:むかん ふもん鎌倉後期の臨済宗の僧。南禅寺開祖。信濃生。初め法諱を玄悟・玄象と称した。顕密二教を学び、東福寺円爾の法を嗣ぐ。越後華報寺を開創。のち入宋し、浄慈寺断橋妙倫の印可を受けた。帰国後、...
読み方:むかん ふもん鎌倉後期の臨済宗の僧。南禅寺開祖。信濃生。初め法諱を玄悟・玄象と称した。顕密二教を学び、東福寺円爾の法を嗣ぐ。越後華報寺を開創。のち入宋し、浄慈寺断橋妙倫の印可を受けた。帰国後、...
読み方:りげんだいし平安前期の真言宗の僧。光仁天皇の子孫。名は恒蔭王、諱は聖宝。東大寺に入った後、三論・法相・華厳を学び、興福寺維摩会の講師となった。真言宗を学び、修験道を確立する。醍醐寺・東大寺東南...
読み方:りげんだいし平安前期の真言宗の僧。光仁天皇の子孫。名は恒蔭王、諱は聖宝。東大寺に入った後、三論・法相・華厳を学び、興福寺維摩会の講師となった。真言宗を学び、修験道を確立する。醍醐寺・東大寺東南...
中国明代の傑僧。江蘇省呉江の人。号は紫柏で紫柏尊者とも。勇猛侠気の若者だったが二〇歳で得度し、禅と浄土とを学び、やがてこの二教を合した禅浄一致の教えを説いた。仏教復興に努力し、寺塔を興し『大蔵経』を印...
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「二教」の辞書の解説