樽屋
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樽屋(たるや)は、江戸の町政を司る町年寄三家の1つ[1][2]。家紋は桔梗[1]。江戸草創期以来の旧家で、町年寄を世襲で勤め[3]、当主は樽屋藤左衛門と名乗った[1]。
- ^ a b c d e f g h i j 「樽屋藤左衛門」『国史大辞典』第9巻 吉川弘文館、320頁。
- ^ a b c d e 吉原健一郎著 『江戸の町役人』 吉川弘文館、(20 - 23頁)。
- ^ 山本博文著 『将軍と大奥 江戸城の「事件と暮らし」』 小学館、182頁。
- ^ a b c d e f 吉原健一郎著 『江戸の町役人』 吉川弘文館、(136-138頁)。
- ^ a b c d 「町年寄の収入(寛政元年)」 吉原健一郎著 『江戸の町役人』吉川弘文館 (138-141頁)。
- ^ 『江戸の町役人』吉原健一郎著 吉川弘文館 (35-36頁)。
- ^ a b 吉原健一郎著 『江戸の町役人』 吉川弘文館、(154-156頁)。
- ^ 吉原健一郎著 『江戸の町役人』吉川弘文館、18頁。
- ^ 吉原健一郎著 『江戸の町役人』吉川弘文館 (149頁)。
- ^ a b c 吉原健一郎著 『江戸の町役人』 吉川弘文館、(130-131頁)。
- ^ 「町年寄の収入(寛政元年)」吉原健一郎著 『江戸の町役人』吉川弘文館 (137頁)。
- ^ 山本博文著 『将軍と大奥 江戸城の「事件と暮らし」』 小学館、176頁。
- ^ 「地割役の樽屋」吉原健一郎著 『江戸の町役人』吉川弘文館 (56-57頁)。
- ^ 「十八大通と札差」 高柳金芳著『御家人の私生活』 雄山閣出版、112-113頁。北原進著 『江戸の高利貸 旗本・御家人と札差』吉川弘文館、81-84頁。
- ^ a b 吉原健一郎著 『江戸の町役人』吉川弘文館、195頁。
- ^ 小泉袈裟勝著『枡 ものと人間の文化史36』 法政大学出版局、205-206頁。
- ^ 小泉袈裟勝著『枡 ものと人間の文化史36』 法政大学出版局、276-277頁。
- ^ 小泉袈裟勝著『枡 ものと人間の文化史36』法政大学出版局、291頁
- ^ 吉原健一郎著 『江戸の町役人』吉川弘文館 (22-23頁)。
樽屋
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詳細は「樽屋」を参照 樽屋の先祖は刈谷城城主の水野忠政で、その孫である樽三四郎康忠は徳川家康の従兄弟にあたり、天正18年(1590年)の家康江戸入りにも三四郎は従った。町年寄への就任は同年8月15日であるが、由緒書によれば初代は三四郎の子の藤左衛門忠元である。当主は代々藤左衛門を名乗るが、後見役として町年寄に就任した者は与左衛門を名乗っている。 12代目樽屋与左衛門は、郷士の家に養子に行った樽屋武左衛門の家系で、40歳の時に江戸に呼ばれて後見人となった。寛政の改革において札差仕法改革に貢献し、猿屋町会所勤務中の帯刀を奈良屋市右衛門と共に許された。退役後も株仲間政策の推進に従事した。 樽家の墓は蔵前の浄土宗西福寺にある。他の町年寄2家の墓所は不明である。
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