イジャスラフ・ウラジミロヴィチ (ポロツク公)
(izyaslav of polotsk から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/19 06:12 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動イジャスラフ・ウラジミロヴィチ Ізяслаў Уладзіміравіч | |
---|---|
ポロツク公 | |
![]() ログネダを罰そうとするウラジーミルと、それを止めるイジャスラフ(ラジヴィウ年代記より) | |
在位 | 989年 - 1001年 |
出生 |
978/9年 キエフ |
死去 |
1001年 |
子女 |
フセスラフ ブリャチスラフ |
家名 | リューリク家 |
父親 | キエフ大公ウラジーミル1世 |
母親 | ログネダ |
イジャスラフ・ウラジミロヴィチ(ベラルーシ語: Ізяслаў Уладзіміравіч、978/9年 - 1001年)は、ポロツク・イジャスラフ朝(ru)の創始者である。キエフ大公ウラジーミル1世とログネダとの間の子。ポロツク公:989年 - 1001年。
経歴
『原初年代記』に従うならば、980年もしくは981年にキエフで生まれたことになる。しかし、両親の結婚の時期を考慮するならば、おそらく978年の冬から翌年の春のうちに誕生したと考えられる[1]。これはイジャスラフがログネダの子の中で最も年長であることからも妥当である。 987年、ログネダがウラジーミル1世の暗殺に失敗した後、ログネダと共にイジャスラヴリ(現ベラルーシ・ザスラーウエ)に移り住んだ[2]。988年に他の兄弟と共に洗礼を受け、989年にはポロツク公国を受領した[3]。ブリャチスラフとフセスラフという2人の子をもうけ、1001年に死去した[4]。イジャスラフ相伝の印章(タムガ(en))として、中央の刃に小さな十字架をあしらった三叉戟の紋章が知られている。
『原初年代記』におけるイジャスラフの記述はわずかであるが、イジャスラフの死の100年後、年代記作者は、キエフ大公国のウラジーミル1世の子孫と、ポロツク公国のイジャスラフの子孫との間の反目の原因の説明を望まれるようになった。そこで、ログネダがウラジーミルの暗殺に失敗した際に、イジャスラフが母の方に付き、母を救ったという伝説が引用された。また、16世紀の『ニコン年代記』(en)では、イジャスラフは温厚で慈愛に満ち、教養のある人物であったと記されている[5]。
イジャスラフの印章
1954年、ノヴゴロドで、東欧の古い文字体系による文字が刻まれた印章が発見された。印章は鉛を彫ったもので、表側にあたる面には、リューリク朝の三叉戟の異体形(上記の、中央の刃に小さな十字架をあしらった三叉戟)の図柄があった。三叉戟を囲む「ΝΖAC**OΖO」の文字は、おそらく「ΝΖACΛΑOZO」(イジャスラフの名を意味する)であると推測された。裏面は図柄はなく、また磨り減っていたため5文字が識別できなかったが、最初の文字は「ГРΑΔ」であることから、おそらく「ГРΑΔΠΛΤСΚ」(город Полоцк。都市ポロツクという意味)という文字であると推測された。印章の寸法は幅38mm、縦24-30mm、厚みは11mm、彫られた部分は8mmである。
妻子
妻の名前は不明である。2人の子が生まれた。
出典
- ^ Память и похвала князю Русскому Владимиру
- ^ В. В. Богуславский.Славянская энциклопедия. Киевская Русь — Московия: в 2 т.
- ^ 國本哲男『ロシア原初年代記』134頁
- ^ 國本哲男『ロシア原初年代記』144頁
- ^ Карпов А. Ю. Ярослав Мудрый. — С. 16.
参考文献
- В. В. Богуславский.Славянская энциклопедия. Киевская Русь — Московия: в 2 т.— М.: ОЛМА-ПРЕСС, 2001.— 784 с
- Рюриковичі. Ізяславичі полоцькі// Князівські династії Східної Європи (кінець IX — початок XVI ст.): склад, суспільна і політична роль. Історико-генеалогічне дослідження.— Львів: Інститут українознавства ім. І.Крип’якевича, 2000. — 649 с.
- Карпов А. Ю. Владимир Святой. — М.: Молодая гвардия, 1997. — 446 с.(Жизнь замечательных людей738号)
- Карпов А. Ю. Ярослав Мудрый. — М.: Молодая гвардия, 2001. — 583 с.(Жизнь замечательных людей1008(808)号)
- Рыжов К. Все монархи мира. Россия. — М.: Вече, 1998. — С. 371—372.
- 國本哲男他訳 『ロシア原初年代記』 名古屋大学出版会、1987
|
|
|
「Izyaslav of Polotsk」の例文・使い方・用例・文例
- Microsoftがβ版をランチするのは「NetShow streaming server」で動画や音声をオンデマンドで提供する。
- 《主に米国で用いられる》 = 《主に英国で用いられる》 an admiral of the fleet 海軍元帥.
- 篏入的 r 音 《英音の India office /ndiərfɪs/の /r/の音》.
- =《口語》 These kind of stamps are rare. この種の[こういう]切手は珍しい.
- (英国の)運輸省. the Ministry of Education(, Science and Culture) (日本の)文部省.
- は of の誤植です.
- を off と誤植する.
- あいまい母音 《about, sofa などの /ə/》.
- 副詞的小詞 《on, in, out, over, off など》.
- 迂言的属格 《語尾変化によらず前置詞によって示す属格; たとえば Caesar's の代わりの of Caesar など》.
- çon of garlic [humor]. それにはガーリック[ユーモア]がちょっぴり必要だ.
- 《主に米国で用いられる》 = 《主に英国で用いられる》 the Speaker of the House of Commons 下院議長.
- 《主に米国で用いられる》 = 《主に英国で用いられる》 the Committee of Ways and Means 歳入委員会.
- 初めて読んだ英文小説は“The Vicar of Wakefield”
- (違法罪―a sin of commission―に対する)怠惰罪
- 『each』、『every』、『either』、『neither』、『none』が分配的、つまり集団の中の1つのものを指すのに対し、『which of the men』の『which』は分離的である
- 『hot off the press(最新情報)』は『hot(最新の)』の拡張感覚を示している
- 『Each made a list of the books that had influenced him』における制限節は、リストに載った本を制限節で定義された特定の本だけに制限する
- 臨床的鬱病を治療するのに用いられる三環系抗鬱薬(商品名ImavateとTofranil)
- 『sunshine-roof』は『sunroof(サンルーフ)』に対する英国の用語である
- izyaslav of polotskのページへのリンク