ウクライナ文学とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > ウクライナ文学の意味・解説 

ウクライナ文学

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/11 08:03 UTC 版)

ウクライナ文学(ウクライナぶんがく、ウクライナ語: Українська література)は、ウクライナ語で書かれた文学、またはウクライナ人やウクライナ出身の人物による文学を指す。ウクライナには多様な民族が活動してきた背景があり、さまざまな言語の作品がある。また、ウクライナが独立をするまでは、ウクライナ語による創作や表現方法が抑圧を受けてきた歴史もある。


注釈

  1. ^ 『歴史』は黒海北岸の多数の民族について書かれており、スラヴ人と思われる民族が登場する。『地理学』に登場するスオベニと呼ばれた民族は、ラテン語でスラヴ人を指すスクラヴェニの可能性がある。『自然誌』には、アゾフ海とカスピ海の間に住むアンテスという民族が登場する。6世紀のヨルダネスによれば、アンテスはスクラヴェニと同一の言語を話していたとされる[1]
  2. ^ 古スラヴ語のアルファベットになかった文字は、Ґ(ゲー)とЇ(イィー)である[2]
  3. ^ 14世紀から16世紀にかけて祈祷書を中心に写本が行われ、タルノヴォの総司教イェフティミィによって正書法が改良された。言語学では、第2次南スラヴの影響と呼ばれている[2]
  4. ^ コサックとはテュルク系の言語で「群を離れた者」を意味する。ウクライナ・コサックは、ポーランド王国やリトアニア大公国の農奴から逃れた人々を中心に始まった[11]
  5. ^ カレッジ設立者のペトロー・モヒーラは、のちのキーウ府主教。当時ウクライナと文化的に関係があったモルダヴィアの大公の家庭出身だった[13]
  6. ^ たとえばアカデミアの教授だったフェオファン・プロコポーヴィチウクライナ語版の『詩学講義(De arte poetica libri tres)』など[14]
  7. ^ ロシア領内では小ロシア人、ハプスブルク領内ではルテニア人とも呼ばれた[21]
  8. ^ ロシア政府はウクライナ貴族のロシア化を進め、貴族は官僚層となった[22]。都市にはロシア人が増え、ウクライナ人の都市民もロシア語使用者が増えた。農村はウクライナ語が中心だったため、ロシア領内のウクライナ人は都市と農村で言語や習慣の格差が進んだ[23]
  9. ^ キリル・メトディー団のメンバーには作家のパンテレイモン・クリーシウクライナ語版や歴史家のミコーラ・コストマーロフウクライナ語版らがいた[19]
  10. ^ フロマーダが特に力を入れたのは農民への教育活動で、ウクライナ語やウクライナの歌謡、コサックの歴史などを教えた[19]
  11. ^ ドラホマーノフは革命諸党派を批判したために孤立したが、その思想はウクライナ民族運動に影響を与えた[29]
  12. ^ この時代の作家として、ヴォロディミル・ウィンイチェンコウクライナ語版ミコーラ・ヒフィリョウィイウクライナ語版エフゲン・マラニュークウクライナ語版ミコーラ・ゼロフウクライナ語版ミハイリ・セメンコウクライナ語版パフロー・ティチーナらがいる[36]
  13. ^ へトマン政府ウクライナ国や、ウクライナ人民共和国西ウクライナ人民共和国[37][38][39]、そしてチェコスロヴァキアから独立したカルパト・ウクライナがあった[40]
  14. ^ この時代の作家として、オレーシ・ホンチャールウクライナ語版パウロー・ザグレベルニイドミトロー・パフリチコウクライナ語版らがいる[36]
  15. ^ ミコラ・フヴィリョヴィーウクライナ語版、劇作家のミコラ・クーリッシュ、詩人のミコラ・ゼローフウクライナ語版らが含まれる[42]
  16. ^ この時代の作家として、イワン・ドラチウクライナ語版ドミトロー・パフリチコウクライナ語版リーナ・コステンコヴォロディミル・ヤヴォリーフスキウクライナ語版らがいる[45]
  17. ^ ミハイル・ゴルバチョフ政権が始めた政治改革のペレストロイカが、ウクライナでもペレブドーヴァと呼ばれて本格化した[48]
  18. ^ これらの変化は、バルト三国ジョージアの民衆の動きともつながっていた[36]
  19. ^ この時代の作家としてユーリ・アンドルホーヴィチエフゲン・パシュコフスキウクライナ語版オレーシ・ウリャネンコウクライナ語版オクサーナ・ザブージコユルコー・イゾドリックウクライナ語版ステパン・プロツックらがいる[51]
  20. ^ アレクサンドル・ボロディンは『イーゴリ遠征物語』をもとに歌劇『イーゴリ公』を作曲した[5]
  21. ^ キーウ・ルーシ時代の叙事詩が地域ごとに分化し、ロシアではブィリーナが成立した[56]
  22. ^ 1930年代の大粛清では、ハルキウで数百人のコブザーリが殺害されたという情報がある。1997年にはハルキウ市がコブザーリの碑を建てた[57]
  23. ^ 書名はロシア語、内容はウクライナ語で書かれている[58]
  24. ^ マーケティング調査会社Gfk Ukraineによる2003年の調査[62]
  25. ^ 1798年から1905年までに約50種類の正書法が考案された[20]
  26. ^ 『鉛筆』は、貧しい農村の小学生が鉛筆を拾った体験を通して、貧困と教育の問題が描かれている[66]。当時の農村の小学校は、ウクライナ語を話しただけで教師が平手打ちをすることも日常茶飯事だった[67]
  27. ^ 聖者列伝は、修道士の人生の断片を集めた内容で、反面的な教育効果のために堕落した修道士についても書かれている。この点で、修道士の全人格や全人生を記述する聖人伝とは異なる[72]
  28. ^ 洞窟修道院の建立についての逸話も収録されており、コンスタンティノープルから建築士やイコン画家が来訪し、教会が建築されてモザイク画が描かれるまでの物語がある[74]
  29. ^ ウクライナ人、ベラルーシ人、リトアニア人、ポーランド人、ユダヤ人、トルコ人、ロマなどが登場する[80]
  30. ^ ゴーゴリの小説『ヴィイウクライナ語版』や『イワンとイワンが喧嘩した話』にも登場する。また、ヴェルテプのステレオタイプな登場人物はゴーゴリの『ディカーニカ近郷夜話』によって散文に置き換えられている[82]
  31. ^ 他方ロシアでは、2014年クリミア危機以降に作家の亡命が相次いでおり、ボリス・アクーニンリュドミラ・ウリツカヤウラジーミル・ソローキン、クセニヤ・ブクシャらが国外で活動している[95]
  32. ^ ロシア人作家がウクライナ民話をテーマにした作品として、コンドラチイ・ルイレーエフ『ヴァイナローフスキイ』(1824年)やアレクサンドル・プーシキンの『ポルタワ』(1829年)などがある[100]
  33. ^ 他方、19世紀にウクライナの文芸作品を高く評価し、ウクライナ文化やユダヤ文化をテーマに執筆したドイツ人として、カール・エミール・フランツォースがいた。フランツォースはウクライナの作品をドイツ語に翻訳もしている[101]
  34. ^ 旧ソ連地域では「国家語」という呼称が言語の法的地位に使われる[105]。ウクライナ最高裁判所は2014年に国家語と公用語は同一概念として判断している[106]。国家語は、ドイツ語のStaatsspracheをロシア語の государственный языкに訳すことでレーニンが使い始めた。なお、レーニン自身はロシア語を国家語にすれば民族間の敵意を高めると考えており否定的だった[107]
  35. ^ イサーク・バーベリ、イリフ=ペトロフエドゥアルド・バグリツキーウクライナ語版らがオデッサ出身[113]
  36. ^ ペトロ・ポロシェンコ政権は2018年に、国家語としてのウクライナ語の機能保障法を定め、幅広い公的分野でウクライナ語を義務づけた[117]。ロシア語やスルジクの他に、ウクライナ語に近いルシン語ベラルーシ語、そしてブルガリア語、ポーランド語、ルーマニア語、イディッシュ語、クリミア・タタール語なども使われている[118]
  37. ^ ゴーゴリと同時代のウクライナ出身のロシア語作家として、オレスト・ソモフウクライナ語版らがいる[99]
  38. ^ コンスタンチン・パウストフスキーユーリイ・オレーシャ、ミハイル・ブルガーコフ、アンナ・アフマートヴァイリヤ・エレンブルク、ヴァシリー・グロスマンらがいる[113]
  39. ^ イディッシュ語という名称が公式に決まったのは、1908年にウクライナのチェルニウツィーで開催された「イディッシュ語のための会議」だった[127]
  40. ^ ユダヤ人とウクライナ人には対立の歴史もある。ウクライナ人にとってのユダヤ人は、ポーランド王国時代にポーランド人支配層に協力した民族にあたる。ユダヤ人にとってのウクライナ人は、17世紀から20世紀にいたるまでしばしばポグロムを行った民族でもある[128]
  41. ^ キーウで活動したイディッシュ語作家には、ベルゲルソンの他にデル・ニステルイディッシュ語版レイブ・クヴィトコイディッシュ語版らがいる[131]
  42. ^ かつてポーランド領だった地域はクレスィポーランド語版と呼ばれ、ポーランドの作家がクレスィをテーマに書く作品はクレスィ文学とも呼ばれる[132]
  43. ^ ウクライナ出身のドイツ語作家にはレーオポルト・フォン・ザッハー=マゾッホもいる[108]
  44. ^ ヴィリニュス在住のヤロスラフ・メルニックウクライナ語版、ウィーン在住のターニャ・マリャルチュック、パリ在住のイレナ・カルパ、ロンドン在住のスウィトラナ・プルカロウクライナ語版、ニューヨーク在住のワシーリー・マフノらがいる[139]
  45. ^ フョードロフはモスクワの国営印刷所に勤め、1564年にピョートル・ムスチスラーヴェツと共に『聖使徒経』を手がけた。しかし上層部、高位聖職者、先達たちから迫害を受けてモスクワを去った[143]
  46. ^ 1569年のルブリン連合以後は、カトリックによる東方正教への抑圧があった。これに対して正教徒は教育、文学、芸術についての出版物を求め、『初等読本』が印刷された[146]
  47. ^ 西ウクライナで印刷所が増えた理由として、書籍印刷が盛んだったクラクフに近かった点や、製紙工房が多かった点がある[148]
  48. ^ 文学パブ「ドット・コマ」や、レストラン「クピドン」などが知られる[152]
  49. ^ ソ連時代のウクライナ経済は、連邦内で鉄鋼、軍事、穀物産業を分業していた。独立後の1990年代は、価格や貿易の自由化によってインフレーションや財政赤字と国際収支の赤字が続いた[153]
  50. ^ オクサーナ・ザブジュコのコモラウクライナ語版、イワン・マルコビチのアババガラマガウクライナ語版、ワシール・ガーボルのピラミダウクライナ語版、カプラノフ兄弟のエレニー・ペスウクライナ語版がある[155]
  51. ^ 回収された本は、トルストイ、ゴーリキー、プーシキン、ブルガーコフなどのロシア語作家の作品や、デュマやレマルクのロシア語訳などがある[157]
  52. ^ キーウ出身のブルガーコフは、ロシア内戦の体験をもとにした『白衛軍ウクライナ語版』でウクライナへの愛着を描いた[158]
  53. ^ 2017年のアルセナーレは5万人、ブックフォーラムは1万5,000人の参加者がいた[164]
  54. ^ 民主化運動プラハの春に対してソ連によるチェコスロヴァキアへの軍事侵攻が起きた際、ウクライナ作家同盟で反対したのはリーナ・コステンコだけだった[168]

出典

  1. ^ a b 伊東, 井内, 中井編 1998, pp. 32–34.
  2. ^ a b c d ポズドゥニャコーヴァ, 寺田 2011, p. 128.
  3. ^ ダツェンコ 2015, p. 128.
  4. ^ a b 黒川 2002, pp. 56–57.
  5. ^ a b c 黒川 2002, p. 57.
  6. ^ 二見 1985, p. 80.
  7. ^ a b 伊東, 井内, 中井編 1998, pp. 113–114.
  8. ^ 黒川 2002, pp. 53–54.
  9. ^ 黒川 2002, pp. 59–60.
  10. ^ 黒川 2002, p. 82.
  11. ^ a b 伊東, 井内, 中井編 1998, pp. 156–161.
  12. ^ 原田 2018a, p. 197.
  13. ^ a b 伊東 1993, pp. 80–81.
  14. ^ 伊東 1993, p. 81.
  15. ^ a b 伊東 1993, pp. 82–83.
  16. ^ 中村 2018, pp. 206–207.
  17. ^ 栗原 2018, pp. 137–138.
  18. ^ 光吉 2018b, pp. 145–146.
  19. ^ a b c d e f g h 光吉 2018c, pp. 148–149.
  20. ^ a b c ポズドゥニャコーヴァ, 寺田 2011, p. 129.
  21. ^ 光吉 2018c, p. 149.
  22. ^ 黒川 2002, pp. 131–133.
  23. ^ 黒川 2002, p. 135.
  24. ^ a b 小粥 2018, pp. 155–156.
  25. ^ 光吉 2018c, pp. 147–149.
  26. ^ 黒川 2002, p. 131.
  27. ^ 黒川 2002, p. 154.
  28. ^ a b 小粥 2018, p. 156.
  29. ^ 伊東, 井内, 中井編 1998, pp. 243–244.
  30. ^ 黒川 2002, p. 149.
  31. ^ 黒川 2002, p. 153.
  32. ^ 村田 2021, p. 6.
  33. ^ a b c 原田 2018a, p. 198.
  34. ^ 伊狩 2006, p. 4.
  35. ^ 光吉 2018c, pp. 150–151.
  36. ^ a b c d e f ホメンコ 2019, p. 106.
  37. ^ a b 伊狩 2006, p. 2.
  38. ^ a b c 光吉 2018d, pp. 158–161.
  39. ^ a b c d 田中 2022, p. 64.
  40. ^ 岡部 2021b, pp. 102–103, 106.
  41. ^ a b ソロシェンコ 2021, pp. 29–30.
  42. ^ a b 原田 2018b, p. 119.
  43. ^ ダツェンコ 2015, p. 113.
  44. ^ 藤森 2018, pp. 177–179.
  45. ^ ホメンコ 2019, pp. 106–107.
  46. ^ 原田 2018b, p. 118.
  47. ^ 黒川 2002, pp. 241–242.
  48. ^ 伊東, 井内, 中井編 1998, pp. 328–329.
  49. ^ a b ホメンコ 2019, pp. 105–106.
  50. ^ 伊東, 井内, 中井編 1998, pp. 328–331.
  51. ^ a b ホメンコ 2019, p. 107.
  52. ^ a b ホメンコ 2019, p. 114.
  53. ^ a b c ホメンコ 2019, p. 126.
  54. ^ a b 二見 1985, pp. 79–83.
  55. ^ ダツェンコ 2018b, p. 55.
  56. ^ 二見 1985, pp. 79–80.
  57. ^ 黒川 2002, p. 215.
  58. ^ シェフチェンコ 2022, p. 212.
  59. ^ シェフチェンコ 2022, pp. 210–212.
  60. ^ 藤井 2018, pp. 189–191.
  61. ^ 原田 2007, pp. 210, 220, 222.
  62. ^ a b 原田 2007, p. 207.
  63. ^ 原田 2018b, p. 138.
  64. ^ 伊東, 井内, 中井編 1998, p. 233.
  65. ^ a b 小粥 2008, pp. 17–18.
  66. ^ a b 小粥 2016, pp. 32–34.
  67. ^ 小粥 2016, p. 36.
  68. ^ ホメンコ 2019, p. 116.
  69. ^ ホメンコ 2018, pp. 200–201.
  70. ^ a b 中澤 2014, pp. 233–234.
  71. ^ 中澤 2014, pp. 235–236.
  72. ^ 三浦 2006, p. 133.
  73. ^ 三浦 2006, pp. 130, 133.
  74. ^ 三浦 2006, p. 135.
  75. ^ 三浦 2006, pp. 136–137.
  76. ^ 三浦 2006, pp. 131–133.
  77. ^ 大野 2016, pp. 153–155.
  78. ^ 大野 2016, pp. 151–152.
  79. ^ 森木 2023, pp. 18–19.
  80. ^ a b 伊東 1993, pp. 83–84.
  81. ^ 伊東 1993, p. 87.
  82. ^ a b 伊東 1993, pp. 84–85.
  83. ^ ソロシェンコ 2021, pp. 34–35.
  84. ^ a b ホメンコ 2021, pp. 25–26.
  85. ^ ホメンコ 2021, p. 16.
  86. ^ ホメンコ 2021, p. 22.
  87. ^ ホメンコ 2019, p. 119.
  88. ^ ホメンコ 2019, p. 122.
  89. ^ ホメンコ 2021, pp. 30–31.
  90. ^ ホメンコ 2021, pp. 13–14.
  91. ^ 赤尾 2018, p. 98.
  92. ^ シリア・ウクライナの戯曲を全国5都市で上演 「紛争地域から生まれた演劇シリーズ」 15年記念 地域連携プロジェクト”. 国際演劇協会日本センター (2023年). 2024年3月8日閲覧。
  93. ^ ウクライナの翻訳絵本『戦争が町にやってくる』平和とは戦争とは何か”. 絵本ナビ (2022年6月16日). 2024年3月8日閲覧。
  94. ^ ウクライナPEN、ヴィクトリア・アメリーナ氏逝去の報”. 日本ペンクラブ (2023年2月9日). 2024年3月8日閲覧。
  95. ^ 相次ぐロシア人作家の国外脱出 新たな「亡命文学」の誕生も 松下隆志”. 週刊エコノミスト Online (2022年9月30日). 2024年3月8日閲覧。
  96. ^ 戦争が“言葉”を変えていく ある詩人が見たウクライナ”. NHK (2023年8月23日). 2024年3月8日閲覧。
  97. ^ ホメンコ 2019, pp. 120–121.
  98. ^ 徳永 2023, pp. 1, 4.
  99. ^ a b c 大野 2016, p. 155.
  100. ^ a b 大野 2016, p. 171.
  101. ^ 伊狩 2006, pp. 6–8.
  102. ^ ソロシェンコ 2021, pp. 31–32.
  103. ^ ホメンコ 2019, p. 108.
  104. ^ ホメンコ 2019, pp. 108–109.
  105. ^ 池澤 2023c, p. 160.
  106. ^ 池澤 2023c, p. 178.
  107. ^ 池澤 2023c, p. 169.
  108. ^ a b c 田中 2022, p. 63.
  109. ^ a b 池澤 2023b, pp. 112–113.
  110. ^ ダツェンコ 2018b, pp. 51–52.
  111. ^ ダツェンコ 2018b, pp. 53–54.
  112. ^ ダツェンコ 2018a, pp. 54–56.
  113. ^ a b 中村 2018, pp. 210–211.
  114. ^ 嵐田 1994, pp. 57–58, 69–70.
  115. ^ 中澤 2018, p. 100-102.
  116. ^ 伊東 1993, p. 83.
  117. ^ 池澤 2023a, pp. 42–43.
  118. ^ ダツェンコ 2018a, pp. 77–80.
  119. ^ ダツェンコ 2018a, p. 76.
  120. ^ a b 中村 2018, pp. 207–208.
  121. ^ a b 中村 2018, p. 210.
  122. ^ 中村 2018, p. 211.
  123. ^ ホメンコ 2019, pp. 119–120.
  124. ^ 池澤 2023b, p. 118.
  125. ^ a b ホメンコ 2019, p. 115.
  126. ^ 池澤 2023a, pp. 46–47.
  127. ^ 西編訳 2018, p. 326.
  128. ^ 赤尾 2018, pp. 96–97.
  129. ^ 赤尾 2018, pp. 95–96.
  130. ^ 田中 2022, p. 66.
  131. ^ 西編訳 2018, p. 110.
  132. ^ 田中 2018, p. 103.
  133. ^ 田中 2018, pp. 104–106.
  134. ^ 小川 2011, pp. 121–122, 139–140, 156–157.
  135. ^ 小粥 2008, p. 17.
  136. ^ 小粥 2016, p. 38.
  137. ^ 岡部 2021a, p. 4.
  138. ^ 五之治 2015, pp. 67–68.
  139. ^ a b ホメンコ 2019, p. 120.
  140. ^ 田中 2022, pp. 63–64.
  141. ^ 岩田 1999, p. 2.
  142. ^ 岩田 1999, pp. 2, 5–7.
  143. ^ 岩田 1994, pp. 117–122.
  144. ^ 岩田 1994, pp. 121–122.
  145. ^ 岩田 1999, pp. 8–9.
  146. ^ a b 岩田 1999, pp. 10–11.
  147. ^ 岩田 1999, pp. 17, 20–21.
  148. ^ 岩田 1999, pp. 2–5.
  149. ^ 岩田 1999, pp. 4–5.
  150. ^ ホメンコ 2019, p. 109.
  151. ^ ホメンコ 2019, p. 113.
  152. ^ a b ホメンコ 2019, pp. 113–114.
  153. ^ 開発援助研究所 1998, pp. 1–3.
  154. ^ ホメンコ 2019, pp. 109–110.
  155. ^ a b ホメンコ 2019, p. 117.
  156. ^ 池澤 2023a, p. 43.
  157. ^ a b キーウの書店本棚から撤去されたロシア語書籍 ソ連批判作家の記念館にも「脱ロシア化」の矛先”. 東洋経済オンライン (2023年7月16日). 2024年3月8日閲覧。
  158. ^ 大森 2017.
  159. ^ ロシアによるウクライナ侵攻に関連する図書館・博物館の状況 藤田順”. カレントアウェアネス-E (2022年4月21日). 2024年3月8日閲覧。
  160. ^ a b c ウクライナの図書館員はいかにしてロシアの文化戦争に「動員」されたのか?(記事紹介)”. カレントアウェアネス-R (2022年8月22日). 2024年3月8日閲覧。
  161. ^ ユネスコ、ウクライナで241の文化財が損壊と発表:12の図書館、18の博物館を含む”. カレントアウェアネス-R (2023年2月24日). 2024年3月8日閲覧。
  162. ^ アングル:戦火からウクライナの文化遺産守れ、奮闘するオンライン部隊”. Reuters (2022年4月30日). 2024年3月8日閲覧。
  163. ^ ウクライナ・キーウの図書館による、国外避難している子どもに本を届けるプロジェクト(記事紹介)”. カレントアウェアネス-R (2023年7月22日). 2024年3月8日閲覧。
  164. ^ ホメンコ 2019, p. 111.
  165. ^ ホメンコ 2019, pp. 110–111.
  166. ^ ホメンコ 2019, p. 127.
  167. ^ ホメンコ 2019, pp. 111–112.
  168. ^ 原田 2018b, p. 123.





英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ウクライナ文学」の関連用語

ウクライナ文学のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ウクライナ文学のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのウクライナ文学 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS