寺田祐之
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寺田 祐之(てらだ すけゆき、1851年1月27日(嘉永3年12月26日) - 1917年(大正6年)3月14日[1])は、日本の内務官僚。鳥取・岡山・宮城・広島の各県知事を歴任した。特に広島県知事在任中、県物産陳列館(現在の原爆ドーム)の設立に関わったことで知られる。
- ^ a b c 『東京朝日新聞』大正6年3月16日朝刊、第4面の葬儀広告および第5面「寺田休職知事逝去」より
- ^ 『日本知事人名事典 第2巻』
- ^ [1]。
- ^ 前出「松島パークホテル物語」および同HP中の[2]。
- ^ [3]。
- ^ 以上、着退任の日付については戦前都道府県知事総覧地方制度沿革史事典の当該ページ、また宮城県の歴代知事・広島県 / 歴代の知事・副知事を参照。
- ^ 『東京朝日新聞』大正5年4月29日朝刊、第3面「四県知事休職」より
- ^ 『東京朝日新聞』大正6年3月15日朝刊、第5面「寺田知事危篤」より
- ^ 『官報』第183号「叙任」1884年2月12日。
- ^ 『官報』第2550号「叙任及辞令」1891年12月28日。
- ^ 『官報』第7813号「叙任及辞令」1909年7月12日。
- ^ 『官報』第3704号「叙任及辞令」1895年11月1日。
- ^ 『官報』第5548号「叙任及辞令」1901年12月28日。
- ^ 『官報』号外「叙任及辞令」1907年3月31日。
- ^ 『官報』第124号「叙任及辞令」1912年12月27日。
- ^ 『官報』第1218号「叙任及辞令」1916年8月21日。
- ^ 『官報』第1310号・付録「辞令」1916年12月13日。
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