タールベルク
1812年1月8日、ジュネーヴに生まれる。彼はモーリツ・ディートリヒシュタイン伯爵とヴェッツラー男爵夫人という高貴な身分の男女の落胤と云われている。10歳でウィーンを訪れ宮廷オペラ楽団のファゴット奏者に手ほどきを受けたのち、作曲理論の大家S. ゼヒターと著名なピアニスト兼作曲家フンメルとチェルニーに師事。「難なく」最高の演奏技術を修得したタールベルクは、14歳のときにはサロンの寵児となり16歳で最初の作品を出版した。パリで最初にステージに立ったのは1834年のことである。
1836年、彼はパリ音楽院ホールの聴衆の耳を釘づけにし、センセーションを巻き起こした。ジャーナリズムはリストと比較してタールベルクを賞賛し、なかば意図的に両者をライバルに仕立て上げようとしたために、スイスに滞在していたリストはパリに駆け付けることとなった。二人の競争はやがて37年、有名なベルジョイオーゾ王妃のサロンで行われた「決闘」に発展した。
■学習・師事歴/作品とその手法/ピアニストとしてのタールベルク1.学習・師事歴
スイス生まれの作曲家。貴族の出だが、私生児として生まれたと考えられている。
10歳の時に、ウィーンで外交官になるための準備教育と共に音楽を学んだ。音楽の基本的な手ほどきをしたのは、宮廷歌劇場のファゴット奏者ミッタークである。音楽理論はジーモン・ゼヒターに、ピアノはフンメルに師事した。その後、パリにてJ. P. プクシスとフレデリック・カルクブレンナーに、ロンドンにてモシェレスにも師事している。
2.作品とその手法
16歳の時に、最初の作品を出版している。ヴィルトゥオーソの慣習に従い、自ら演奏するために、当時のオペラのアリアに基づくファンタジアを数多く作曲した。その際、メロディーはピアノの中音域に配置し、その上下に対位声部をおいたり和声づけを施す手法が多用されている。
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