セルゲイ・イリューシンとは? わかりやすく解説

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セルゲイ・イリューシン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/23 08:52 UTC 版)

セルゲイ・イリューシン
Серге́й Илью́шин
1940年代
生誕 (1894-03-30) 1894年3月30日
ロシア帝国 ヴォログダ県ディリャレヴォ
死没 (1977-02-09) 1977年2月9日(82歳没)
ソビエト連邦 モスクワ
出身校空軍アカデミー
職業航空機デザイナー
配偶者ライサ・ジャルコフスカヤ
子供ウラジーミル・イリューシン
受賞技術科学博士

セルゲイ・ウラジーミロヴィチ・イリューシンロシア語: Серге́й Владимирович Илью́шин、ラテン文字表記の例:Sergei Vladimirovich Il'yushin1894年3月30日 - 1977年2月9日)は、ソビエト連邦の航空機デザイナー。航空機メーカーのイリューシン設計局(S・V・イリユーシン記念試作設計局、現在のS・V・イリユーシン記念航空複合体)の創設者である。

経歴

1894年3月30日にロシア帝国ヴォログダ県ディリャレヴォに誕生する。1910年から航空機に興味を持つようになり、第一次世界大戦中にパイロットとして従軍し、1919年赤軍の航空技官となる。1926年に空軍アカデミーで工学学位を得た後に航空機のデザインを始めるようになる。

イリューシンが設計したIl-2攻撃機Il-4爆撃機は第二次世界大戦中に赤色空軍で制式採用され、多方面に配備された。戦後はIl-18Il-62などの旅客機を生み出した。1968年ソ連科学アカデミーの会員となる。レーニン勲章をはじめ、数多くの勲章を受章した。1977年に死去し、モスクワノヴォデヴィチ修道院の墓地に埋葬された。

息子のウラジーミル・セルゲーイェヴィチ・イリユーシンは、テストパイロットとしてよく知られており、空軍少将にまで出世した[1]

脚注

  1. ^ ガガーリンは本当に世界初の宇宙飛行士だったのか”. ロシア・ビヨンド (2020年4月1日). 2022年8月1日閲覧。




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