にんてんどう‐ろくじゅうよん〔ニンテンダウロクジフよん〕【ニンテンドー64】
NINTENDO64
別名:ロクヨン,N64
NINTENDO64とは、任天堂が1996年に発売した家庭用ゲーム機の名称である。スーパーファミコンの後継に当たる機種である。
NINTENDO64は、CPUには、日本電気(NEC)の64ビットRISC型マイクロプロセッサ「VR4300」を搭載し、ソフトウェアの供給媒体には、ロムカセットを採用している。また、グラフィックエンジンには、Silicon Graphics(SGI)の32ビットRISC型マイクロプロセッサ「R4300」をコアとする、NINTENDO64向けに開発されたRCP(Reality Co-Processor)を搭載することにより、高精度のグラフィックスと3次元の動きを実現することが可能になった。
NINTENDO64の特徴として、「3Dスティック」と呼ばれるステックキーを装備したことが挙げられる。3Dスティックでは、十字キーやボタンキーなどでは実現が困難とされていた、3Dの空間を自由自在に動き回るといったことができるようになった。主なゲームタイトルには、「マリオカート64」、「スーパーマリオ64」、「実況パワフルプロ野球」などが挙げられる。
なお、NINTENDO64向けゲームソフトの一部は、Wiiのバーチャルコンソールにおいてプレイすることができる。
参照リンク
NINTENDO64
NINTENDO64
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/26 21:27 UTC 版)
NINTENDO64(ニンテンドウろくじゅうよん[注釈 1])は、任天堂が1996年に発売した家庭用ゲーム機。略称は「64(ロクヨン)」、「N64」。キャッチコピーは、「ゲームが変わる。64が変える。」
注釈
- ^ ニンテンドーゲームキューブ、ニンテンドーDSなどと違い、NINTENDO64は「ニンテンドウ64」が公式なカタカナ表記である(同時期のサービス「ニンテンドウパワー」も同様)。ただし、当時の雑誌等ではニンテンドー64と誤記しているものも見受けられる[4]。
- ^ のちの64DDで使用される磁気ディスク
- ^ 当時の中国の法律問題や違法コピーを危惧していたことからNINTENDO64は出荷されなかったが、本機をベースにして携帯型・ダウンロード専用とされた。
- ^ 本体正面のロゴは「NINTENDO64」のままであり、36Pinメモリー拡張コネクタの蓋部分に「ヒョンデ・コンボイ」のロゴ、本体の電源ボタンとリセットボタン、コントローラのSTARTボタンに韓国語のハングル文字が併記された。
- ^ XXXには出荷国のコードが入る。日本版・台湾版・香港版は"JPN"、北米版は"USA"、PAL版のうちフランスを除く地域向けは"EUR"、フランス向けは"FRA"、韓国版(コンボイ64)は"KOR"。
- ^ ブラジル版のみ電子機器の完成品を輸入するときに掛かる関税が高額であることから日本や中国から部品を輸入し、現地代理店のPlaytronic Industrial社(後にGradiente Entertainment社)のマナウスにある工場にて現地生産された。
- ^ 本機以降、スーパーファミコンジュニアや同世代競合機種のマイナーチェンジ機種を除く全ての据置型ゲーム機はZバッファを標準で搭載している。また携帯型ゲーム機でもニンテンドーDS以降、ゲームボーイミクロを除く全ての機種で搭載している。Zバッファが搭載されて初めて正確な面の交差が描画できるようになり、面のめくれが生じない美しい描画となった。
- ^ NINTENDO64と同世代のPlayStationや3DOはポリゴンを採用したが、座標計算は固定小数点数演算かつZソート法に簡略化されており、セガサターンに至っては四角形スプライトの変形であったため、どちらも幾何学的に正しい描画方法ではなく表示の破綻が目に付いた。
- ^ 例えば、3Dポリゴンの描画性能に特化したマイクロコード(『ゼルダの伝説 時のオカリナ』、『ゼルダの伝説 ムジュラの仮面』等)や、2Dグラフィックに特化したマイクロコード(『ヨッシーストーリー』等)、演算処理に長けたマイクロコード(『最強羽生将棋』、『F-ZERO X』等)、4人対戦のために4画面同時出力に長けたマイクロコード(『マリオカート64』等)
- ^ テレビや雑誌等で「スリーディースティック」と呼称する場合があったが、正しくは「サンディスティック」と読む[35]
- ^ アナログスティックを搭載したゲームコントローラは1989年に電波新聞社から発売されたPCおよびメガドライブ用のアナログコントローラ「XE-1 AP」が初であり、NINTENDO64のコントローラはそれに次ぐ2例目。
- ^ 台湾版は外箱に「任天堂64 台湾専用機」、香港版は同じく「任天堂64 香港専用機」と書かれていて、取扱説明書の言語とACアダプターの電圧が日本版と異なる。香港で採用されているカラーテレビの規格はPAL方式(50Hz)であるが、NTSC(60Hz)規格を採用する日本版がベースとなった。
- ^ 本作は後にニンテンドーゲームキューブやニンテンドーDS、さらにはスマートフォンアプリにもなり、任天堂の看板タイトルとなった。
- ^ PlayStation 2、ニンテンドーゲームキューブ、Xboxなど、次世代ゲーム機とのマルチプラットフォームで展開された。
- ^ NINTENDO64が発売された1996年6月時点で、PlayStationの累計出荷台数は270万台を超えていた。1997年3月末時点でNINTENDO64の累計販売台数は204万台、1998年3月末時点は315万台。対するPlayStationは1997年月末時点で累計出荷台数650万台、1998年3月末時点で1,151万台だった[47]
- ^ この両者の方向性の違いは、自社タイトルの強さにもよる。ソニーは自身で有力タイトルを持っていなかったため、サードパーティの取り込みは必要不可欠であった。対する任天堂はサードパーティの厳選を考えており、開発についていけないメーカーは振り落とす方針であった[48]
- ^ ただし、後に対戦アクションゲームではあるが『ニンテンドウオールスター!大乱闘スマッシュブラザーズ』などの対戦型ゲームが任天堂から販売された。
- ^ System-on-a-chip化の徹底により、ライバル機よりも高性能ながら25,000円という低価格を打ち出した[51](PlayStationは発売時39,800円、セガサターンは44,800円だった)。しかし、NINTENDO64発売時には価格競争によりPlayStationは19,800円、セガサターンは20,000円まで価格を下げており、NINTENDO64は価格優位性を全く活かせなかった。NINTENDO64は1997年3月14日に一度目の値下げが行われ16,800円となり、最終的に1998年7月1日に行われた二度目の値下げで14,000円となった。本体販売価格の値下げは任天堂ハードとして初めての施策であった。
- ^ ハードウェアを利用して娯楽としてのコンテンツの面白さや仕組みを提供する。
- ^ 技術や性能面の良さを提供する。
出典
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NINTENDO64
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/04 09:15 UTC 版)
「パワーリーグ」の記事における「NINTENDO64」の解説
パワーリーグ64 - 1997年8月8日※ハドソンのNINTENDO64参入第1弾ソフト。※シリーズ初の3Dフルポリゴン映像導入。 ※前年にファミリーコンピュータMagazineとハドソンの共催で行われた「スーパーパワーリーグ4大会」の成績(ペナントモード)上位入賞者による架空チーム「ドルフィンズ」(スーパーパワーリーグ3〜4ではエディット選手を入れるためのチームであった)が登場。
※この「NINTENDO64」の解説は、「パワーリーグ」の解説の一部です。
「NINTENDO64」を含む「パワーリーグ」の記事については、「パワーリーグ」の概要を参照ください。
NINTENDO64
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 12:33 UTC 版)
「カスタムロボ」の記事における「NINTENDO64」の解説
『カスタムロボ』、『カスタムロボV2』が該当する。 移動:3Dスティック ガン:Aボタン ボム:Bボタン ポッド:Zトリガーボタン ジャンプ:地上でRトリガーボタン 空中ダッシュ(多段ジャンプ):空中でRトリガーボタン アタック:Cボタン 交代(2on2のみ):Lトリガーボタン
※この「NINTENDO64」の解説は、「カスタムロボ」の解説の一部です。
「NINTENDO64」を含む「カスタムロボ」の記事については、「カスタムロボ」の概要を参照ください。
NINTENDO64
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 08:55 UTC 版)
「ファミリーコンピュータ」の記事における「NINTENDO64」の解説
2001年発売のNINTENDO64用ソフト『どうぶつの森』ではゲーム内で入手出来る家具として「ファミコン」があり、プレイヤーの自宅に置くと一部のファミコンゲームがプレイ可能。
※この「NINTENDO64」の解説は、「ファミリーコンピュータ」の解説の一部です。
「NINTENDO64」を含む「ファミリーコンピュータ」の記事については、「ファミリーコンピュータ」の概要を参照ください。
「Nintendo 64」の例文・使い方・用例・文例
- 538‐6647に電話してください
- タンザニアは1964年に家族社会主義という政策を採用しました。
- Windows 7 64ビット用
- 4の 3 乗は 64 である.
- シェイクスピアの生没年は 1564 年生まれで 1616 年没である.
- 第 1 インターナショナル (1864‐76).
- ロンドンの大疫病 《1664‐1665 年》.
- その文書はシェイクスピアは 1564 年 4 月 23 日に生まれたと記録している.
- 1964 年の東京オリンピックは日本の文物に対する関心に拍車をかけた.
- 最近のパソコンは 640 キロバイト以上のメモリーを持っている.
- 英国人は、1640年に司法拷問を放棄した
- 1649年に当地はオリバー・クロムウェルに占領され、カトリック教徒の住民が虐殺された
- 南北戦争中の戦い(1864年)
- 1644年の戦いで、マンチェスター伯の率いる議会派がルパート王子の率いる王党派を破った
- 1645年の戦いで、議会派が王党派に大勝利したことで、最初の英国ピューリタン革命に終止符を打った
- 米国南北戦争の最終軍事行動(1864年−65年)
- 三十年戦争における戦い(1643)
- プロテスタントとカトリック教徒との一連の争い(1618年−1648年)で、ドイツで始まり、フランス、デンマーク、スウェーデンにまで広がり、神聖ローマ帝国とスペインと対立した
- 順序を数える際の序数64
- 64のますが互い違いに2色に塗られているボード
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