中山みき
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中山 みき(なかやま みき、寛政10年4月18日〈1798年6月2日〉- 明治20年〈1887年〉2月18日)は、日本の宗教家、天理教教祖。
注釈
- ^ 中野市兵衛の天理教との関わりは、秀司の足の病の祈祷のために天保8年(1837年)10月に寄加持を行ったのがはじめてで、その後は秀司の症状が悪化するたびに中山家で寄加持が行われていた。(改訂『天理教事典』, p. 39,146,147,690-695,810)
- ^ 「月日」とは天理教主神・天理王命をあらわすことばであり、天理教では人間にとって身近な存在である月日のように親しみを感じやすくさせるために「月日」と呼ぶとされる。(改訂『天理教事典』, p. 549)
- ^ 「扇のさずけ」はみき死後に飯降伊蔵による「おさしづ(御指図)」で禁じられている。
- ^ 午後二時は教祖・中山みきが死去した時刻で、サイレンがなると信者・参拝者たちは手を止めて黙祷する。なお、同年7月7日からサイレンが現在使用されている「みかぐらうた」のメロディーとなっている。
- ^ 養子。善司の実弟である中田善亮の長男
- ^ 論文内では『稿本天理教教祖伝』の編纂当初では「ひながた」について、当時の『天理教教典』に準じてみき誕生からの90年と、立教後の50年の二つの「ひながた」の見方があったものの、第五稿以降は後者の意味に限定されていることも指摘している。
- ^ おなじく櫟本分署跡保存会の事務局長川本しづ子が教会長をつとめる天理教本常一分教会も、審判会も行なわずに罷免して裁判になっている。その後、和解し現在は天理教から独立している。
- ^ ただし、植田は八島の考察を「教祖の天啓やひながたを人間的なレベルの思想や行動と受け取り、霊魂や転生を否定し、心身を唯物的に認識していることには同意できない」としている(天理教みさとブログ<原典からの出発>「5/25月例会報告」)。
- ^ 『改訂天理教事典』の「中山こかん」の説明には、嘉永6年(1853年)に「天理王命」の神名を伝えに行った、とあるが、「てんりんおうのみこと」の説明では、32年後の明治18年の公認運動の頃から「天理王命」の字に一定した、との記述がある。(改訂『天理教事典』, p. 662)
- ^ この本は天理教の機関紙『天理時報』に1950年10月29日から1957年9月8日までの7年間、338 回に渡って連載された長編伝記小説。
出典
- ^ 国文学研究資料館 画像データベース
- ^ “親のいます里・天理 人間創造の元なる「ぢば」”. 天理教公式サイト 2015年8月1日閲覧。
- ^ a b 改訂『天理教事典』, p. 492
- ^ a b “民俗宗教における柱の信仰と儀礼” (PDF). 宮家 準 (2008年). 2015年8月10日閲覧。 “人文科学と画像資料研究 : 國學院大學学術フロンティア事業研究報告”
《所収》宮家準『神道と修験道 : 民俗宗教思想の展開』春秋社、2007年11月。ISBN 9784393291962。国立国会図書館書誌ID:000009174393 。 - ^ a b c d e f g 池田士郎「庄屋善兵衞とその妻 : 天理教立教当時の精神史点描」『天理大学人権問題研究室紀要』第9巻、天理大学人権問題研究室、2006年3月、1-17頁、CRID 1050001338429408256、ISSN 1344-0802、2023年12月21日閲覧。
- ^ a b c 五来欣造 (1935年6月3日). “天理教”. 国民新聞『月曜静観』
- ^ 改訂『天理教事典』, p. 147
- ^ 『教祖様御伝』(中山新治郎『復元』33号、天理教教義及史料集成部、1958年4月)
- ^ a b c d e 改訂『天理教事典』, p. 971-984
- ^ a b c d 島田裕巳「新宗教批判の歴史的変遷 : 天理教、創価学会、オウム真理教を事例に(<特集>宗教批判の諸相)」『宗教研究』、日本宗教学会、2008年9月、ISSN 03873293、2015年9月1日閲覧。
- ^ 福島ひとみ, 金子珠理ほか (1998-09). “Womanspirit : フェミニズム・宗教・平和の会 : 26号 (1998.9) / 天理教とフェミニズム”. Womansprit (フェミニズム・宗教・平和の会) 26 2015年9月1日閲覧。.
- ^ a b 改訂『天理教事典』, p. 777
- ^ 「ようこそおかえり」 (1985年4月、天理教道友社)
- ^ 佐野智規「<慈悲>と資本主義 -二〇世紀最初期における天理教教祖伝の分析(上)-」『早稲田大学大学院文学研究科紀要 第3分冊 日本語日本文学 演劇映像学 美術史学 日本語日本文化』第53巻、早稲田大学大学院文学研究科、2008年2月、197-208頁、CRID 1050001202458831744、hdl:2065/31902、ISSN 1341-7533。
佐野智規「〈慈悲〉と資本主義(承前) : 二〇世紀最初期における天理教教祖伝の分析(下)」『早稲田大学大学院文学研究科紀要 : 第3分冊 日本語日本文学・演劇映像学・美術史学・日本語日本文化』第54巻第3号、早稲田大学大学院文学研究科、2009年2月、163-171頁、CRID 1050001202458835072、hdl:2065/32269、ISSN 1341-7533、2023年12月21日閲覧。 - ^ a b c d e 黄耀儀「芹沢光治良の作品に現れた中山みき像を通して彼の宗教観をみる―ニューエイジ運動との接点―」『多元文化』第9巻、名古屋大学国際言語文化研究科国際多元文化専攻、2009年3月、215-229頁、CRID 1390009224655845888、doi:10.18999/muls.9.215、hdl:2237/11871、ISSN 13463462、2023年12月21日閲覧。
- ^ 幡鎌一弘「稿本天理教教祖伝の成立(教祖伝の脱構築,パネル,<特集>第六十八回学術大会紀要)」『宗教研究』、日本宗教学会、2010年3月、doi:10.20716/rsjars.83.4_1292、2015年8月23日閲覧。
- ^ 櫟本分署跡講座
- ^ 天理教豊文教会公式サイト - 「元表統領 『ほんあづま』誌の八島教学は異端でも異説でもないと正式に発言」
- ^ 天理教敷大大教会「湧き立つよろこびを求めて」第38回
- ^ 天理教教祖中山みきの研究【こかんの大坂布教】
- ^ a b 黄耀儀「『秘蹟-母の肖像』にあらわれた芹沢光治良の信者像 : スピリチュアリティの視点からの分析」『多元文化』第15巻、名古屋大学国際言語文化研究科国際多元文化専攻、2015年2月、1-14頁、CRID 1390009224655853824、doi:10.18999/muls.15.1、hdl:2237/21357、ISSN 13463462、2023年12月21日閲覧。
- ^ 澤井治郎 (2015-02). “天理教の立教をめぐって(第七部会,<特集>第72回学術大会紀要)”. 宗教研究 (日本宗教学会). doi:10.20716/rsjars.87.Suppl_304. ISSN 21883858 2015年8月23日閲覧。.
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