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無住

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/24 15:03 UTC 版)

無住(むじゅう、嘉禄2年12月28日1227年1月17日)- 正和元年10月10日1312年11月9日))は、鎌倉時代後期の僧。字は道暁、号は一円。宇都宮頼綱の妻の甥。臨済宗の僧侶と解されることが多いが、当時より「八宗兼学」として知られ、真言宗律宗の僧侶と位置づける説もある他、天台宗浄土宗法相宗にも深く通じていた。


  1. ^ 森浩一他『地域学から歴史を読む』(大巧社、2004年) ISBN 4-924899-57-7 p.53(大隅和雄『沙石集』の世界より)には、承久3年(1221年)12月28日に生まれたとする。
  2. ^ 同『地域学から歴史を読む』 p.53.
  3. ^ 同『地域学から歴史を読む』 pp.65 - 66.釈迦の教えは8万4千もあり、その中から浅はかな人間の知恵で一つだけ選び、あとのものは捨てるといった考えを好まなかったとも(p.66)。
  4. ^ 同『地域学から歴史を読む』 pp.61 - 62.
  5. ^ 同『地域学から歴史を読む』 pp.53 - 54.
  6. ^ 同『地域学から歴史を読む』 p.59.


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