松山城 (伊予国)
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松山城(まつやまじょう)は、愛媛県松山市に築かれた日本の城。別名金亀城(きんきじょう)、勝山城(かつやまじょう)。松山城と呼ばれる城は同じ現存12天守の一つである備中松山城(岡山県高梁市)など各地に存在する。本城も「伊予松山城」と呼び分けられることもあるが、松山市にあることもあり、単に「松山城」とした場合は一般的に本城を指す。
注釈
- ^ 落成は1854年(安政元年)。
- ^ 賤ヶ岳の七本槍の一人で、朝鮮出兵における水軍の将。
- ^ 倭城の防御手法であるといわれる二之丸と本丸間を結ぶ登り石垣(竪石垣)を築いている。
- ^ 古絵図によると築城当初の天守は、現存天守の位置とは異なっていた可能性が高いとの調査報告がなされた。また愛媛県歴史文化博物館の調査により、もともと五重の天守はなかったとの報告があった[1]。
- ^ 土佐藩兵の入城は1月27日から5か月間に及び、松山藩が15万両を朝廷に献上することで進駐は解除された。
- ^ 二之丸は軍の病院となっていた。
- ^ 1906年(明治39年)には、正岡子規と親交のあった夏目漱石により、小説「坊っちゃん」が発表された。
- ^ 明治に入って松山藩主家の松平家が姓を返上し旧姓に復した。
- ^ 2008年(平成20年)4月1日から伊予鉄道株式会社が松山城関連施設の指定管理者となった。
- ^ 1951年(昭和26年)には松山国際観光温泉文化都市建設法が公布されていた。
- ^ 国宝(旧国宝)指定作業で正確な図面が残されており、木造で復元することができた。
- ^ 『広報まつやま』2011年6月1日号によると2010年の天守入場者数は40万7千人(対前年比12.8%増)となっている
- ^ 天神櫓には久松家の祖先とされる菅原道真が祀ってあり、艮の方角に位置することから、祖先の霊廟であるとともに城の守護神としての意味が与えられていたと思われる。
- ^ 二之丸からでも約90メートルの高さがある。
- ^ 2011年は、東北地方太平洋沖地震の被害の大きさを考慮して中止となった。
出典
- ^ 「愛媛新聞」2009年10月25日一面。「NHKニッポン不滅の名城『松山城』2020年10月3日」
- ^ 日外アソシエーツ編集部 編『日本災害史事典 1868-2009』日外アソシエーツ、2010年9月27日、71頁。ISBN 9784816922749。
- ^ “御殿南西の石垣確認 松山城三之丸跡”. 愛媛新聞ONLINE. (2014年1月24日) 2018年8月3日閲覧。
- ^ 松山城がネット口コミサイト全国2位に[リンク切れ]
- ^ a b 令和元年9月10日文部科学省告示第60号
- ^ a b 文化庁編『新版 戦災等による焼失文化財 20世紀の文化財過去帳』、戎光祥出版、2003年。
- ^ 「愛媛新聞」2008年2月10日 8面。
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