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塚田正夫

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/15 01:09 UTC 版)

塚田 正夫(つかだ まさお、1914年大正3年)8月2日[1] - 1977年昭和52年)12月30日[1])は、将棋棋士名誉十段[1]。実力制第二代名人[1]日本将棋連盟会長(1974年 - 1976年)[2]勲四等旭日小綬章(追贈、1978年)。紫綬褒章(1975年秋)。花田長太郎九段門下[1]棋士番号は11[1]東京府東京市(現:東京都文京区[注 1][1])出身。


注釈

  1. ^ a b 東京都は1943年設置。文京区は1947年に小石川区本郷区が合併して成立。
  2. ^ 通常の昇段規定により昇段したのは八段までだが、タイトルの九段失冠後にも段位として「九段」を称していた。本記事の本文及び将棋の段級#九段と十段参照。
  3. ^ 名人2期を含む。
  4. ^ この後、花村はリーグ8勝3敗の成績を挙げ、60歳で挑戦者決定リーグ(A級)復帰を決めている。
  5. ^ この年の九段戦は新体制へ移行し、新たにトーナメントを勝ち抜かなければならなかった。番勝負出場を決め、結果的に防衛戦の形とはなったが、実質的には防衛戦ではなかった。そして番勝負で破れた為、防衛失敗ではなく獲得失敗と表記する。

出典

  1. ^ a b c d e f g h i 塚田正夫|棋士データベース”. 日本将棋連盟. 2019年6月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年6月3日閲覧。
  2. ^ 創立・沿革|将棋連盟について”. 日本将棋連盟. 2018年6月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年6月12日閲覧。
  3. ^ a b 加藤 1985, p. 110
  4. ^ a b c d 河口 1996, pp. 103–108, 金の感覚
  5. ^ a b 過去40年間に現役のまま亡くなった棋士の「絶局」について - 田丸昇「将棋棋士 田丸昇のと金横歩き」(2010年12月10日)
  6. ^ 訃報欄 故塚田正夫氏の告別式『朝日新聞』1978年(昭和53年」1月8日朝刊、13版、23面
  7. ^ a b c 石田 2018, pp. 129–131, 2章 棋士として-先輩と後輩


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