槙原覚
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槙原 覚(まきはら さとる、1894年(明治27年)3月1日[1] - 1942年(昭和17年)5月8日)は、日本の実業家。青年期に岩崎久弥(岩崎弥太郎の長男、三菱財閥3代目総帥)から奨学金を受け、その後三菱商事に入社し水産部長とロンドン支局長[2]を歴任した。財閥解体前の三菱最後の社長であり、再編後の最初の社長となった高垣勝次郎のライバルであった[3]。
注
- ^ 大阪朝日新聞はコックス事件の報復と報道した[9]。
- ^ 「1年志願兵時代」の項目に高垣勝次郎、海外駐在先のシンガポールの知友に下田幸三郎。ロンドン駐在時代に知己を得た田村亮や香月保ほかは魅力ある人柄を寄稿。業界人より平井澄、服部一郎、竹内俊一、川村音次郎、山川捨二郎、保柳才喜、石川茂が文を寄せた。幼少期から青年期を回顧する西原林三郎、大倉商業学校同窓生、〈竜岡町の塾〉すなわち雛鳳館の寮生の追想、京極友助(一橋大学同窓)らはテニス選手としての側面を思い返し、シンガポールでテニストーナメント主催者であったこと、槙原の「企業形態論」(増地康治郎)を振り返り、またシドニー駐在の知友による文もある。ロンドン駐在時代の寄稿が多く、着道楽(松本季三志)、典型的スポーツマン(齋藤武夫)であったこと、藤室益三は豪胆でも細心であった点を述べ、駐在員を招いた槙原家のクリスマス行事(家坂孝平)や生活ぶり(各務八郎)、槙原の持論(落合精一)が紹介された。
出典
- ^ a b c 『大衆人事録』第14版(東京篇) 1942, p. 905
- ^ a b 槇原 1941, pp. 214–216, 「空襲下のロンドンから」
- ^ a b c “最新日本政財界地図(7)日本の戦後と日本聖公会”. www.asahi-net.or.jp. 2019年8月13日閲覧。
- ^ 槙原稔『私の履歴書 : さまざまな出会い』日本経済新聞出版社日経事業出版センター、2010年。全国書誌番号:21862850。英語併記、年譜あり。別題『The story of my life』
- ^ 『槙原覚君の憶出』 1943, pp. 17 (0027.jp2), 幼年時代 / 辰郎生「テニスと覺さん」
- ^ 『槙原覚君の憶出』 1943, pp. 29 (0033.jp2), 一ツ橋時代 / 関戸一平「黒い顏」と「白い歯」
- ^ 『人事興信録』第13版(下) 1941, p. 37, 〈マ〉
- ^ a b c d Rudlin, Pernille (2014) (英語). The History of Mitsubishi Corporation in London: 1915 to Present Day [三菱ロンドンの沿革:1915年以降現在まで]. Routledge. p. 53. ISBN 9781135127404 2019年8月13日閲覧。
- ^ a b 「三菱商事三井物産支店長ロンドンで逮捕さる」『www.lib.kobe-u.ac.jp』大阪朝日新聞、1940年8月4日。2019年8月13日閲覧。
- ^ “Japanese Detained Under Defence Laws In London” (英語). The Straits Times: p. 1. (1940年8月4日) 2019年8月13日閲覧。
- ^ “Japanese roundup by British protested” (英語). Baltimore Evening Sun: p. 1. (1940年8月3日) 2019年8月13日閲覧。
- ^ Elston, Paul (監督); Pigott-Smith, Tim (ナレーター) (2012). The Fall of Singapore: The Great Betrayal [シンガポール陥落:大いなる裏切り]. Brave New Media、BBC2 (テレビ番組) (英語). レバノン: All3Media International. 2017年10月14日閲覧。
- ^ “England releases one arrested Jap [イングランド、日本人被疑者を釈放へ]” (英語). Kannapolis Daily Independent(英語). (1940年8月6日) 2019年8月13日閲覧。
- ^ a b 『槙原覚君の憶出』 1943, pp. 209-(コマ番号0123.jp2-), 「槇原部長への回想(座談会)・水産部有志」
- ^ “槙原家”. 閨閥学 - 偉人たちの経歴・家族・子孫. 2019年8月13日閲覧。
- ^ “ロバート・リーフマン原著、増地庸治郎・槙原覚共訳「企業形態論」”. 鹿児島大学附属図書館 OPAC. 2019年8月13日閲覧。
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