Konzert für Klavier und Orchester Nr.4 G-Dur K.41とは? わかりやすく解説

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モーツァルト:ピアノ協奏曲 第4番 ト長調

英語表記/番号出版情報
モーツァルトピアノ協奏曲 第4番 ト長調Konzert für Klavier und Orchester Nr.4 G-Dur K.41作曲年1767年 

作品概要

楽章・曲名 演奏時間 譜例
1 第1楽章 Mov.1 Allegro5分00 No Image
2 第2楽章 Mov.2 Andante4分30秒 No Image
3 第3楽章 Mov.3 Molto allegro 3分30秒 No Image

作品解説

2008年2月 執筆者: 稲田 小絵子

 モーツァルトオリジナルピアノ協奏曲第5番からであり、1767年11歳のときに生み出された第1~4番ピアノ協奏曲は、他人ピアノ・ソナタ編曲である。原曲は主にパリ活躍していたドイツ系作曲家のものであり、旅行中交流によって、モーツァルトに強い影響与えた。父レオポルトは彼らの作品楽譜持ち帰り息子協奏曲作曲練習させたのだろう。自筆譜には、父親筆跡残っている。
当時パリヨーロッパにおける文化的中心地であった1760年代各地訪れていたモーツァルト父子パリ滞在したのは63年11月からの5ヵ月間と66年5月からの2ヶ月間である。2度パリ訪問を含むこの西方旅行によって、少年モーツァルトさまざまな音楽吸収し作曲の幅も広げることになった。4曲のピアノ協奏曲はその成果のひとつといえよう

楽章原曲以下のとおり
第1楽章L. ホーナウアー、作品1-1第1楽章
第2楽章H. F. ラウパッハ、作品1-1第2楽章
第3楽章L. ホーナウアー、作品1-1第3楽章

レオンツィオ・ホナウアー(c1730-c90)はパリ活躍し高い評価受けていたドイツ人音楽家。ヘルマン・フリードリヒ・ラウパッハ(1728-78)は北ドイツ生まれサンクト・ペテルブルク活躍した音楽家モーツァルト出会ったのは、ちょうどロシア出てパリ来ていた1766年思われる




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