安珍・清姫伝説とは? わかりやすく解説

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安珍・清姫伝説

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/13 16:37 UTC 版)

安珍・清姫伝説(あんちんきよひめでんせつ)とは、紀州道成寺にまつわる伝説のこと。思いを寄せた僧の安珍に裏切られた清姫がに変化して日高川を渡って追跡し、道成寺で鐘ごと安珍を焼き殺すことを内容としている[1]


  1. ^ 奥州の無名僧と清次の娵(女房)とあるのみ。
  2. ^ 古くから行われた絵解きは室町時代絵巻も使ったとする論旨もあるが[13]、これには懐疑的な意見も呈される[14]
  3. ^ 例えば「紀州日高郡道成寺御建立畧縁起(りゃくえんぎ)」[19]や異本としては「安鎭清姫畧物語」が伝説を記したものである[18]。なかでも豪俔(1654年没)「道成寺御建立略縁起』」は、「創建縁起」の最古の例とされる[20](室町絵巻の上下本には、道成寺の創建のいきさつが解かれるわけではない)。創建伝承は例えば「紀伊國日髙郡吉田村 鐘巻道成寺縁起」にも見える[21]
  4. ^ 千年祭本では"見目うるはしき山伏の安珍"(林 (1981), p. 44)
  5. ^ 実際は、どの場面でどの神仏に祈るかは稿本によってさまざまである。
  6. ^ 「日高河」の場面は、月岡芳年、村上華岳等により画題にされている。
  7. ^ 『道成寺縁起』では蛇となった姫が「本の方へ帰りぬ」としか記さないが[10]、絵解き台本では"本望をとげましたによつて当山と八幡山との橋の下へ入て果てました"[24]、"西の入江のあの橋の上より海中深く沈んで"等とする[25]。『佛教布教大系』や『日本百科大辭典』にも記載があるがただし、"..蛇は本望を遂げたる故にもとの方へ帰り当山と八幡山との間に身を隠した"という文言になっている[22][26]
  8. ^ 現代の絵解きでは、執念にとらわれることの戒めのたとえと諭して終えている[28]
  9. ^ 『道成寺縁起絵とき手文』と題する昭和51年付の写本が、じっさいの研究では対象となる。
  10. ^ 解説者によって様々に呼ばれているので名称にぶれがあるが、国の重要文化財としての登録題名は「紙本著色道成寺縁起」二巻である[47]
  11. ^ 「娵」の正しい読みは、「よめ」であるが、道成寺では「むすめ」と訓じて来た経歴がある[56]。原文にはその家の女房(仕える女)ともみえる[57]
  12. ^ 三田村鳶魚の、これは『紀伊国名所図会』[58]にある梗概についての考察であるが、清次の「嫁」について、息子の妻としているのはあきらかで、おそらく亭主のいない寡婦なのだろうと説く[59]
  13. ^ 旧・名田村大字上野(現今の御坊市名田町上野)[64]
  14. ^ 絵巻の上巻・下巻のそれぞれ内容
  15. ^ 道成寺絵詞」(天保12年)はその写本[70][47]
  16. ^ ただし酒井家旧蔵本(やその多くの写本)は前欠(冒頭分が欠損する)である。
  17. ^ 清水寺が舞台ということで『清玄桜姫』の破戒僧、清玄との共通点があると指摘される[81]
  18. ^ 三田村は『道成寺』を観阿弥(秦清次)作とする説をとるので、『道成寺縁起』絵巻より古いとしている。
  19. ^ 父親の名が清次だという根拠は不詳だが、一説では道成寺の能の原作者とも目される観阿弥(秦清次)と符合する、との三田村鳶魚の考察がある[59]。(観阿弥(1384年没)について、三田村は、結城治部秦清次の死没を応永十三年(1406年)五月十五日との記載を是とし、道成寺の能の原作者と断定する[95]。よって「まなごの庄司」という名を登場させたのは秦清次が初めてである[96](すなわち「道成寺縁起」絵巻より前)と説いている。ただ、観阿弥ではなく後の世代(世阿弥観世小次郎信光)の作であると諸説あるので[97]、そうなると時代がずれて三田村の考察も狂ってくる。
  20. ^ 千野 (1981): "切目川、上野、塩屋、と南から少しずつ北上し、道成寺のある小松原に下り、そして日高川に行きあたる、という構成をとっていたと思われる"。
  21. ^ "野田村上野と申す所にてたづね求むる/安珍に追付きまし"と昭和の千年祭本にみえるが林 (1981), p. 46、すでに室町期の絵巻にも"こゝは上野といふ所"と書き添えられている[10]。じっさいに該当する地名は「野田村」でなく旧・名田村大字上野(現今の御坊市名田町上野)[64]。絵解き台本には"当寺より道二里程下上野と云う處"と語るものもある[109]
  22. ^ この上野の場面:千年祭本では清姫"遂に口より火煙を吹"いたゆえだが[111]、室町時代絵巻では女房は単に恐ろしい形相になっているゆえに[10]、安珍/無名僧は神仏(金剛童子と観世音)を唱える[10]
  23. ^ 塩屋の場面:蛇を目にしたと安珍/無名僧が言いつつ大悲権現(これも観音菩薩の異称)への念仏を、"蛇となれるを見つつ、声も惜しまず"わめく、と絵解き(千年祭本)にも室町絵巻本にもある[114][10]
  24. ^ 室町絵巻ではここでで熊野権現を念じていないが[10]、三所権現(熊野権現)に助けを乞う記述は酒井家旧蔵本「賢学草子絵巻(日高川草紙絵巻)」にみえる[116][117]
  25. ^ 日高川渡りの場面は、平安時代の説話には無く、室町期の「道成寺縁起」絵巻に盛り込まれたと考察されている。この絵巻では最初追いついたとき頭と上半身が蛇となり、日高川を渡ろうと全身蛇と化した、と解釈される[122]
  26. ^ 坂東玉三郎がこれを歌舞伎舞踊化して上演している[130]
  27. ^ この場所には別の伝説も結びついており、『鐘巻道成寺縁起』(文政6年/1823年印行)によれば、道成寺と八幡宮の間の入江のほとりに九人の海士(あま)が住んでおり、海中から像を回収し、願いをかなえてもらったという[134]。すなわち九海士王子の海士の伝説を伝えている[22]
  28. ^ また、その話を題材にした映画(蛇性の婬)もある。
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  23. ^ 千野 (1981): "日高川に纏わる諸段のなかでも特に印象深い場面を挙げれば、女が思いを定めて日高川へ身を投げる、あの場面(図 3 )であろう"。
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  48. ^ a b 浜下 (1998), pp. 131–132.
  49. ^ 林 (1981), p. 44; 林 (1984), p. 28
  50. ^ この具体的な時代設定は室町期「道成寺縁起」絵巻以降にみえるが[48]、道成寺の絵解き台本のうち昭和四年作成「千年祭本」では「今より一千年の昔し人皇六拾代醍醐天皇御代」という文句になっている[49]
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  65. ^ (以上、絵巻の上巻)田中 (1979), p. 19; 浜下 (1998), p. 131にほぼ同文で転載
  66. ^ 三田村 (1911), pp. 274–275.
  67. ^ 林雅彦の論文では"三時(六時間)余り"と注釈するが林 (2005), p. 114、浜下論文では"3時間ばかり"、和歌山県立博物館ニュースの訳では「一時間半ほど」[10]。『大日本法華験記』の原文では「兩三時計」(二、三どきばかり)尾で竜頭を叩いていた[35]となっているが三田村鳶魚はこれを「半日ばかり」と釈義している[66]。『今昔物語集』
  68. ^ (以上、絵巻の下巻)田中 (1979), p. 19; 浜下 (1998), pp. 131–132にほぼ同文で転載
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  92. ^ 『賢学草子』の摸本とみなされる『道縁起縁起絵詞』の模写は『紀伊国名所図会』で確認できる(着色はないが、色情報が付記されている)。
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  112. ^ 上野の場面:絵解き(千年祭本)や室町絵巻本では、既述したように金剛童子と観世音だが[111][10]、略縁起系では熊野権現・観音である[19]
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  119. ^ 小峰:"『縁起絵巻』とは異る"部分[16]
  120. ^ 林 (1981), p. 46: "遂にかやうな姿となりまする。/ (ト次ノ場ヲ開ク)"
  121. ^ 『道成寺縁起絵とき手文』。"身にかけたる衣をこゝえぬいで捨て参りまして大毒蛇となり.. 日高川え飛び入り" (林 (1984), p. 22)。
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